建て主の山口さんが、建て方見学会の際にもってこられたパネルをHP用に編集して載せていただきました。
地元西川材と地元大工を結ぶ
「みんなの家」埼玉飯能版

施主 山口家

施工 福島工務店

設計 創夢舎


1施主のこと   
 施主、(私)則弘は昭和39年飯能市本町(高麗横町)の中屋兵五郎鋸店に二男として生まれました。実家は鋸鍛冶屋の家でして、目立てなど大工道具の修理や販売もしています。近年、大工さんの仕事も大手ハウスメーカーにおされ少なくなり、実家の仕事を継ぐのは困難と考え、現在小学校の教員をしています。4人家族(則弘 ひろえ 春海 美鼓)で子供は8歳(男)と4歳(女)になりました。

2施工者との関係
 施主、則弘は平成8年に同市の福島ひろえと婚姻しました。妻の実家は福島工務店であり、棟梁の福島實(69歳)は義父にあたります。義兄、福島文安(44歳)と親子で大工をしています。義父は日本建築大工技能士会で表彰され、飯能大工組合の組合長を務め、埼玉県技能まつり(技能競技大会)で2回最優秀賞を取りました。修業時代、実父(中屋兵五郎一秀)に特注の鋸をつくってもらい、兄弟子達との材木切り競争に負けまいとした話を聞いています。

3設計者との関係
 施主、則弘は、飯能に「素木の会」があることを知り、セミナー等に参加していきました。町場の大工が建てる訳だから木造のことを勉強したいと思ったからです。家を建てるのは一生に一度のことだし、高額な借金が待っている。だから、なおさらでした。地場産業の活性化(ネットワークの広がりを含む)に自分も貢献したい念から、設計監理は「素木の会」を立ち上げた創夢舎(代表吉野勲)に決めました。 


どこの山の木だか分かるおらがん家(ち)

「材木屋さんから購入したものではいろいろな山の木が混ざってしまい木の色あいも統一しなくなる。」とは棟梁。そこで、飯能市の東吾野森林組合に注文し、飯能市のなかで一番生育条件の良いとされる東吾野の平戸という所の山の斜面の木を伐採・製材(2003年秋)してもらい、天然乾燥させました。(もう2年になります)
 これは、施主、則弘の夢(どこの山の木だか分かる家)の実現に近づけてやろうという棟梁のありがたい計らいでした。設計段階では、「柱の1本だけでよいから実父・祖父が植林した木が使えたらいいな。」(手入れなしのすごい木です)と希望をだしていたら、それが設計士の手配で実現可能となっていたのです。しかし、1本とは言わずさらに「どこの木だかよく分かる家」にしようと同調してくれたのです。
 東吾野の平戸という所は、棟梁の生まれ故郷の地でもあり、棟梁の実家(小川家)の本家もあり、そこは材木屋さん(いかだ流しもした)をしていたそうです。だから、「ありがたい計らい」が進んだように思えます。

<すごい木のはなし> 実父・山口四郎(中屋兵五郎一秀)(79)歳に聞きました。
  実父は、鋸屋で林業家ではありません。ですが、南高麗の山林の一部(20坪程度です)を所有することになりました。どうするか思案していると、祖父・加藤幾太郎(実母の父既に他界)が山林経営者ではないが、原市場の唐竹で山仕事を知っているので、「あーにすぎひのきさわらをうえねえってほうはねえ。」と言うので苗を植林したそうです。(お金になるんだから土地を遊ばせておくのは馬鹿みたいなもんで損だ。ということです。)昭和30年代以前は、トラック1杯の木が売れたら、半年は食っていけたそうです。
 あにしろ、その時「ぼろっきれをもってこい」というので、あににつかうんだんべと思って一緒に植林に行ったのだそうです。ところが幾太郎じいさんの歩くのがはええこと、はええこと、二人共苗をかついで行ったんだけど、幾太郎じいさんはぐいぐいと斜面を上がって行ってしまい、(こりゃあ、すげえ人だ!昔の人&山の人は強い!)と思ったそうです。そして、しょっぱい?様な布を取り出したかと思うと、ほそーくちぎって苗木の目印のひもにしたのだそうです。そして、2人で植林をして目印をつけていったそうです。


 その後、手入れもろくにせず年月が経ってしまいました。木は見事に盆栽のようになり、つるにしばられっぱなしになってしまいました。枝が伸びすぎなので伐採するのも
しにくくなりました。しかし、唖然とした顔を当然されたものの、温かい心と理解によって、1本だけ伐採してもらえることになったのです。(感謝)節こぶが多くなかなか芸術的な柱に生まれ変わりました。
杉苗の産地に建てる杉の家

 建てている場所は、飯能市なみやなぎ双柳の畑の一画です。妻ひろえの実家(福島家)が所有しています。双柳の畑では杉や檜の苗を育てている農家が多いので有名です。埼玉県産材のほとんどはこの地で育てられた苗です。
今回の施工により、杉檜は、商品となって生まれ故郷の地(双柳)に戻り、再生できることになります。ほとんどが植林されても商品として伐採されず、「のたれ死に」のごとく山でひしめきあい、花粉をたくさん蒔いています。そんな中で我が家の材木は、里帰り出来た若者のように感じます。
人の縁だけでなく自然の縁もからんでいるみんなの家です。縁の深さを本当に強く感じる家づくりです。



家つくり5年のあしあと


2001、 2・埼玉県飯能林業センターのセミナーに参加

     10・創夢舎と素木の会を知る

     11・双柳の家見学

2002、 2・花の木の家完成見学

      2・武甲山の見える家建て方見学

      3・所沢の家建て方見学

      4・武甲山の見える家完成見学

      4・名栗笑美亭見学

      6・間取りプラン@検討

      8・間取りプランA検討

     10・小山市保育園建て方見学

     11・間取りプランB検討

     12・間取りプランC検討

2003、 1・間取りプランD検討

      1・家つくり優先順位を考える

<T健康(木と人のぬくもり)U予算V現実的合理的C美的バランス>

      2・住まい塾(ホーミースタデイグループ)受講

      3・小山市保育園完成見学

      3・川越伊勢原の家完成見学

      3・間取りプランE検討

      3・南高麗<すごい木>を伐採可能か見てもらう

      4・南高麗<すごい木>を伐採

      4・原市場の家見学

     10・越生の家完成見学

     10・宮大工大森健司展示会見学

     10・福島工務店が東吾野森林組合の平戸の木を紹介

     11・八枝神社の土間つくり参加

     12・東吾野森林組合の平戸の木を予約

 2004、1・製材後の木を見学     自然乾燥させる

      5・名栗の家建て方見学

      10・名栗の家完成見学

      11・周辺整地始める

      11・川越后林の家建て方見学

      12・作業場を鉄パイプで建て始める

      12・福生の家完成見学

2005、2・地鎮祭     

     3・日和田山の見える家完成見学

     4・柿渋の家建て方見学

     4・川越后林の家完成見学

     4・基礎工事始まる

     9・建て方見学会・上棟式

2006、6・完成

     6/25・完成見学会

















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