砥 沢 金 山   地図




 

 

 

 












 

 

 

 

 

 




















 

 


 

 下仁田から西へ、かつての中山道の脇往還「信州姫街道」を十数キロ。古くから砥石の名産地として有名だった砥沢集落があります。文禄2年(1593)には南牧関所がおかれ、宿場町としても大変賑わっていたそうです。今でも集落に入ると宿場町としてのたたずまいを色濃く残しており、日本の伝統的な街並みを愛する方たちの恰好のフォトスポットになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ここにもかつて金山があった(らしい)という話はあまり知られていません。16世紀半ば、武田信玄は上州制圧の第一歩としてこの地を組み込むことに成功しました。金鉱山開発に熱心な武田氏のことですから、あらかじめ地質的な素質も調査してあったのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砥沢の金山については佐藤興平(2001):群馬県南牧村砥沢の金鉱山跡調査報告 等により研究論文が出されていますが、実際にその坑口は、どこにどういう状態にあるのか見てみたいと思っていました。

 梅雨入り前のある日、ひさしぶりに砥沢にやってきました。あらかじめの机上調査によると貫入岩の一種である砥沢岩体の一部に鉱化帯が存在するといいます。今回はこれに沿って歩いてみることにしました。渓流をきょろきょろしながらしながら溯上していると、ふと視線を感じました。見ると年配の方がこちらを睨んでいるではありませんか。

「やべー、怪しまれているんだろなー」と思いながら、おもいっきり愛想笑顔で挨拶すると、

「なんか釣れたか?」状況からみて当然の質問です。

「いやー、釣りじゃないんです」すると少し怪訝な表情をしていましたので、すかさず

「実は趣味の金山探しなんです。あちこちの金山跡を見学しているんですが、ここも大昔、金山だったんですよね?」

 すると御年配「ああ、そうみたいだね。そこにも穴があるよ」と指をさして答えてくれました。

「えっ!うっそー!」と私の第一声。こんなに簡単に見っかっちゃていいのかな。

 坑口は草に覆われていて見えなくなっていました。御年配は「中に入ってみるか?」といいますが「危険じゃないでしょか?」と私。

「なーに、子供の頃は中に入って良く遊んだもんだ」ということで坑内も御一緒ということになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中に入るとひんやり涼しい。しかしカビ臭いな。奥へ行くほど立って歩けるくらいの高さになります。どのくらい進んだころなのか、上に向かって竪坑もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木製の補強はどれほどの年数が経っているのでしょうか。しかし、意外にしっかりしていました。足元には崩れた岩屑もほとんどなく、不思議なくらいに危険は感じませんでしたが、坑道が二手に分かれたところで引き返すことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 別の場所にも試掘跡が残っていました。脈を追いかけている様子が良く分かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 坑内で拾ったサンプルからは、黄鉄鉱ばかりで金の気配は全くありませんでしたが、なかなか見つからなかった金山の坑口。ひょんな出会いから簡単に見つかりました。

 それにしても不思議な所です。砥石鉱山、金鉱山、関所、宿場街。過去がそのままの状態で残っていました。