天竜川水系の砂金
諏訪湖を源流として南アルプス西面の中央構造線沿いの流れと中央アルプス東面から南面にかけての流れを受け入れて一部愛知県をかすめながら静岡県へ抜けています。そして、浜松市と盤田市との境を遠州灘に注いでいます。流域は二つのアルプスに挟まれた急峻な地形のため、古くから「暴れ川」「暴れ天竜」として知られています。
天竜川沿いを走るJR飯田線の伊那大島より南になると、どうも私の行動範囲を超えているようで、地理的にさっぱり分からなくなってきます。車で飛ばせば中央高速で通過してしまうし、飯田から先は恵那山トンネルを抜けてしまうので天竜川核心部といえる部分になると既に私の脳みそに刻まれた地図から完全にはみ出してしまっています。 伊那大島は三十数年前、当時、大好きだった南アルプス塩見岳の玄関口、三伏峠へのアプローチに何度も下車しています。また、冬の荒川三山登頂に小渋湯から、長くて冷たい小渋川遡行で赤石岳へ向かった記憶もあります。このときの稜線歩行では濃霧によるホワイトアウトで、足元が全く見えなくなり、まるで空中を浮遊しているような歩行を強いられました。このとき、足元から音にならない空気の振動を感じ、思わず横っ飛びしました。勘が良かったのか運がよかったのかは定かではありませんが、足元の稜線は奈落の底へとスパッと切れ落ちていました。どうやら雪庇が崩れ落ちたのでした。このときは本当に命拾いしたと思っています。 さて、金の話では天竜川流域には、JR飯田線浦川の辺りで分岐する大入川の源流部に有名な津具金山があります。この金山の開発は1572年(元亀3)頃、武田氏によるものだそうです。しかし、どこまで行っても金と言えば武田氏ですねぇ。やはり当時、大変広大な勢力範囲を持っていた証拠でしょうね。しかも金が大好きだったらしい。津具金山は武田氏滅亡後は織田、徳川と引き継がれて行きますが、昭和に入ってから、また本格的に採掘されていたようです。輝安鉱に伴って、金・銀・銅・水銀などを産出したといいます。いつかは行ってみたいなと思いますが、私的にはえらく遠く感じてしまい、相当な覚悟をして出かけなければならないと思っています。
天竜川水源の諏訪湖周辺にはいくつかの産金地があります。JR茅野の南7q程の宮川源流に金鶏金山とよばれる古い金山がありますが、金の鉱脈が鶏の形で埋蔵されているとの伝承で名付けられ、採掘は1558年(永禄の頃)からされていたそうです。これを水源とする小さな沢でパンニングを試したことがありますが、このときは微小な金粒をいくつか捉えることが出来ました。
また、諏訪湖北岸に流入する川でも砂金は採れます。量的には大変少ないですが、砂鉱区もあったといいます。この川の流域の地質は三波川帯ですが糸魚川ー静岡構造線によって12qもずらされているといいます。もし、このずれを元の位置にもどしたとすると、この川と金鶏金山は結構近い位置につながります。おもしろいですね。
量にこだわらなければ三波川帯の地域で砂金採集すれば、かなりの確率で見つけることができるようです。ならば、南アルプス西部を南北に走る三波川帯を探ってみることにしました。って言っても金鶏金山散策のついでに、ほんのちょっぴり移動しただけなんです。紅葉狩りをしながらのお皿まわしは大変気分が良いでした。
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