黒 川 金 山   地図




 

 

 

 












 

 

 

 

 

 

 

 


 

 関東地方南西部一画を流域にする多摩川の源流に、今から500年も遡ること遥か昔、金掘りを生業とする者達の黄金郷が存在しました。この職業集団は金山衆(カナヤマシュウ)と呼ばれ、時の勢力にも常に一目置かれた特殊技能集団でもありました。金山は最盛時 1,000人を抱える鉱山街として黒川鶏冠山東面の標高1,300mを超える地域に広がっていました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深緑の広葉樹原生林。黒川谷を喘ぎ喘いで溯上すれば、昼なお暗い黒川源流に現れた苔むした石垣。金山草茂るテラスは累々と連なり、坑口の闇からは得体の知れない魔物に見つめられている気さえしてきます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1986年。この遺跡に文献史学と考古学の両面からメスが入れられました。調査は4年間、その後6年の整理分析を経て、遂に黒川金山の実態が明らかにされました。

 




























 「黒川千軒」と言い伝えられる鉱山町の規模は、黒川の谷に沿って上下600m最大幅300mに及んでいること。また、300段を超えるテラスから最大時の人口は千人近くであったろうということです。

 鉱山町の年代は、出土した陶磁器から、16世紀前半には出現していて17世紀中頃に姿を消した。全盛期は伝説のとおり武田信玄の時代だったようです。(参考:東京大学総合研究博物館ニュース 

 

 






















 

 




 「近代の坑道」入口壁面の花崗岩に走る幾筋もの石英脈。黒川金山ではこういう鉱脈を追って開発した形跡が窺われます。





























 1997年。黒川金山遺跡は身延町の中山金山とともに「甲斐金山遺跡」として国の史跡に指定されました。深い山奥にはまだまだ多くの謎が残されたままだと言いますが、こういう遺跡を後世に残していければ夢があっていいなと感じます。