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毎週の説教の全文を紹介いたします。
2012年1月8日 ローマ1章1~7節「愛されし者、召されし聖体」
新約聖書には、福音書と「使徒の働き」に続いて、パウロの書いた書簡が十二載せられています。その最初が、今日から読みます「ローマ人への手紙」です。時期的には、紀元五六年か五七年ごろ、パウロの第三回伝道旅行の後半に書かれたと考えられていますから、最初に書かれたというわけではありません[1]。また、一番長いのはコリント書の第一と第二を合わせたものでしょう。しかし、コリント書がコリント教会の独自な問題を扱っている個性的な書であるのに対して、このローマ書はキリスト教信仰の教理と実践を総合的に扱っています。実際、写本によっては、7節の、
「ローマにいる」
という言葉を省いたものもいくつかある程です[2]。
パウロは、ローマの教会をまだ訪れたことがありません。ローマを訪ねるのが悲願であると、次の13節で書いています。ローマ帝国の首都には多くの出入りがあり、見知った人も少なくなかったことは、十六章から分かります。しかし、まだ会ったことのない多くの兄弟姉妹を覚えつつ、この手紙を書いたのです。では、その、まだ見ぬ教会に宛てて、どのような挨拶をしたのでしょうか。それが、今日の1節から7節です。
「1神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、」
日本語ですと最後になってしまいますが、原文では、まず、「パウロ、しもべ、キリスト・イエスの」という順番です。パウロと名乗った上で、その自分を、キリストのしもべとして紹介するのです。そして、それは、神の福音のために選び分けられ、使徒として召された、そういう神に根拠を置く自分を紹介します。更に、日本語では分かりやすく区切っていることですが、原文では7節までが一続きの文章になっていまして、その「神の福音」とは何か、と2節で、
「-この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
3御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
4聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」
とキリストに焦点を合わせ、
「5このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。」
と、信仰の目的にまで遡ります。
今日、この言葉の一つ一つを詳しく論じることは避けます。ただ、パウロの自己紹介が福音と結びつけられ、福音はキリストと結びついていったこと。言い換えれば、パウロは自分を福音とキリストによって考えていることだけを述べておきましょう[3]。
しかし、自分だけではありません。自分が使徒として召された、というのと同じ言葉を用いて、パウロは6節で言います。
「あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です、-このパウロから、
7ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。…」
自分は使徒として召された。同じように、あなたがたも召されている。ここではそれを「神に愛されている人々」と言い換えてさえいます。
私たちはどうでしょうか。自分を、神に召された者、と自己紹介することを思いつくでしょうか。自分が神様を信じた、キリストを慕わせていただいている、という意識はあっても、神に愛された、召された聖徒、とは恐れ多い、と思うのではないでしょうか。けれども、パウロは言いたいのです。ローマにいる、まだ会ったことのない人々に、自分を福音のために召された者と名乗る。その福音は、キリストに関わることで、あらゆる国の人々に従順をもたらすための福音。あなたがたは、その一員としてイエス・キリストによって召された者、神に愛されている人々です。キリストの福音に根拠を置いて、絆を確かめる。それも、「同じ福音を信じていますよね」ということでさえなくて、イエス・キリストが召してくださった、です。あくまでも、私たちにではなく、徹底してイエス・キリストが私自身の根拠であり、全教会の交わりの根拠なのです。それは決して抽象的な、漠然としたことではなく、昔から預言者たちが旧約聖書において証ししてきた福音であり、ダビデ王の末裔として生まれ、そればかりか、死者の中から復活された大能の御子なるお方、イエス・キリストの福音という、測り知れない確かな土台に根差すことなのです。
そうは言っても、現実には私たちの交わりは、色々なことによって水を差されるものです。越えがたい溝を感じては、「ああいう連中とは世界が違うのだ」と吐き捨ててお終いにしたくなります。キリストにあって一つ、と言えば一件落着となる、だなんて子供染みた妄想のようです。
実は、このローマ教会にも大きな問題があったらしい事情が、この後を読み進めていくと見えてくるのです。それは、ユダヤ人と異邦人との民族問題です。ユダヤ人には旧約聖書に記される通りの、神の民という歴史が自負としてありました。律法を守るライフスタイルという文化が染みついていました。それ以外の民族をまとめて「異邦人」と言いますが、聖書など読んだこともない人たちでもあります。その異邦人が「イエス様を信じるだけで救われる」と信仰に入っても、生活の形はユダヤ人とは違う。異なる文化、異なる生活が、互いに裁き合ったり、蔑み合ったりする対立を生み出していたことが、透けて見えるのです。ただし、それはローマの教会だけの問題ではありませんでした。使徒の働きや、ガラテヤ書などの書簡からも分かるように、当時の教会が常に直面させられた問題でした。そして、今でも、文化の違い、違った他者を受け容れる難しさ-互いに愛し合うことの難しさは変わりません。つまり、ローマ教会の特殊な事情というのではなく、いつのどこの教会にも入り込み居座って動かしがたい、人間の現実なのです。
しかし、言い換えれば、そういう問題にアプローチするに当たって、パウロは、「もっと仲良くしたらいいじゃないか」とか「受け容れにくい相手とうまくやる工夫」とか、精神論や道徳やアイデアを垂れるという方法ではなくて、福音を丁寧に説き明かし、キリストとその御業とを学ばせる、という教理教育を始めようとしています。どうにもならないような人間関係を解決する鍵は、私たちの神、私たちを召してくださったキリストを知ることにある、と考えたのです。もっと言えば、キリストの十字架と贖い以外には、教会の交わりの希望はない、と信じているのです。
教会に宛てながら、「ローマにある教会へ」と書かない書簡は他にもありますが、
「ローマにいるすべての、神に愛されている、召された聖徒たちへ」
という書き方をするのは、このローマ書だけです[4]。当時の常識なら、ローマにいる人、だけでは不十分で、その中のユダヤ人へとか、ギリシャ人へと書くのが当たり前だったのではないでしょうか。当のパウロ自身、かつては生粋のユダヤ主義者で、異邦人とは飯も食わないぐらい自分の民族に誇りを持っていたはずです。言ってみれば、ユダヤ人と異邦人との敵対感情は痛い程、分かりすぎるくらい分かった人です。そのパウロが、ユダヤ人もない異邦人もない、キリストがあなたがたを召されたのだ、あなたがたは一つ、
「神に愛されている人々、召された聖徒たち」
なのだ。どうかあなたがたに、
「 7…私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
内側にも問題がある。外からの迫害や告発も起き始めていました。そういう中で、この福音に召された事実に立つ以外のことは考えずに、父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平安を受けて欲しい、ともに受ける共同体であって欲しいと挨拶を送ったのです。
召されたという言葉が三度繰り返されていますが、教会というギリシャ語「エクレーシア」もこの言葉から来ていまして、「召し出されたもの」という原意があります。今日の私たちも、神に召されたものであるゆえに、「教会」なのです。福音に生きるために、召されたのです。私が自分の意志で信じ選んだのでもないし、私がユダヤ人だからいい血筋だから優秀なDNAを持っているからと選ばれたのでもない。ただ、大能の御子なるイエス・キリストが永遠からのご計画により私たちを召されたのです。この世のあれこれの文化や違いを越えて、また、様々な戦いや困難の中にあっても、ともに恵みと平安を分かち合う交わりを造る。そのために召し出されて、私たちは教会に加えられているのです。
「今日からローマ書が語られ、聞いていける幸いを感謝します。自分の立場を誇り慢心するのでなく、そこから救い出される恵みを感謝します。越えがたい溝があり、変えがたい問題が立ちはだかっても、大能の主が愛と平安とをもって私共の心を満たしてください。私共を召されたキリストに立ち戻らせてください。そこから生活を新しくしてください」
[1] 「使徒の働き」で言えば、二〇1-3のころ、3ヶ月のコリント滞在中かと考えられています。
[2] 同じ事は、エペソ人への手紙の写本にも言えます。そして、エペソ書もまた、「教会の修養会」と言われるほど、普遍的な内容です。
[3] 1節の「キリスト・イエス」という言い方、イエス・キリストではなく、キリスト・イエス。これは、パウロの後期の書簡によく見られるようになる言い方です。パウロ自身の言い方が、「しもべであるパウロ」というのと同じで、キリスト・イエスは「イエスであるキリスト」という、キリストに力点を置いた文言です。イエス・キリスト(キリストであるイエス)からキリスト・イエスと呼ぶようになっていったパウロのうちに、キリストへの恐れ、恭しさ、礼拝の思いが深まっていった成熟が伺えます。
[4] 他の書簡の一章冒頭を参照。コリント書は「コリントにある神の教会へ」(Ⅰ一2)「コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ」(Ⅱ一1)、ガラテヤ書は「ガラテヤの諸教会へ」(一2)、エペソ書は「エペソの聖徒たちへ」(一1)、といった具合。
2012年1月1日 民数記10章「ラッパを鳴り渡らせ」
民数記十章の1~10節は、二本の銀のラッパについての規定が書かれており、11節以降は、民がいよいよ、シナイ山の麓から十一ヶ月ぶりに旅立って、行軍していく事が記されています。ですから、この10節までが、一章以来、シナイ山で与えられた様々な規定(特に、出発前に当たっての掟)の最後の部分であり、11節以下、一章とは違う新しい段階に踏み込んでいく、ということが出来ます。
また、この銀のラッパは、そうした旅立ち前の最後の規定、という重要な位置にあるとも言えます。二本の長いラッパを造り、民が集められる時は長く吹き鳴らす。民が出発する時、もしくは戦闘に出陣する時には、短く吹き鳴らされると言えます。ただし、この短くというのは、一回短く吹いておしまい、という意味ではないそうです。パッパッパッパッと、スタッカートで吹く。如何にも進軍する、緊張感を持たせて立ち上がらせる、という吹き鳴らし方です。民が宿営を畳んでいよいよ動き出すとき、ラッパはこのように短く連発されました。
しかし、それ以上に大事なのは、このラッパの音はただの合図という以上の意味があったらしいことです。行動を促すため、大きな音で伝達するため、という便利な道具とだけ考えてはならないのでしょう。その証拠の一つは、8節で、
「祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の定めである。」
とあるように、祭司職としてこのラッパが位置づけられていることです。神と民との間に立って、神の臨在を民に示しつつ、民を神の前に整えて執り成すのが祭司です。そのような祭司の仕事の一つとして、このラッパを祭司だけが吹きなさいと命じられたのです。言わば、この銀のラッパの響きそのものが、主の臨在を証しするもの、今日で言えば、主の聖晩餐のパンや葡萄酒のような、「礼典的」なシンボルであったと考えるべきでしょう。
民がこの時まで留まっていたシナイ山では、最初に十戒が与えられる時、
「山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので」[1]
とありました。銀のラッパの高鳴りは、あの角笛の音を否応なしに思い出させたはずです。主が語られるのですぞ、と民の思いを引き締めさせた、あの角笛の残響のようであったでしょう。また、10節では、
「あなたがたの例祭と新月の日に、…ラッパを鳴り渡らせるなら、あなたがたは、あなたがたの神の前に覚えられる。…」
ともあります。第七の月の一日は、「ラッパの祭り」と呼ばれる日でさえありました[2]。ここにも、ラッパを鳴り渡らせることが、ただの合図だけでなく、信仰的な、霊的な意味合いを持っていることが分かります。勿論、主がラッパの音を響かせるのではありません。これは、祭司の務めであり、祭司への命令です。祭司が、主の御臨在を民に覚えさせること。主を恐れ、主の前に立つ者として整えること。引いては、民全体が、主の臨在を告げ知らせるラッパの音のごとき存在となっていくこと[3]。祭司がそのような務めを果たすなら、主は民を覚えていてくださると約束しておられるのです[4]。
11節以下で、いよいよ民は出発します。ここに、
「11…雲があかしの幕屋の上から離れて上った。」
とありますが、実際にラッパを吹いたとは明記されていません。しかし、ラッパは吹かれたと考えた方が自然です。また、二章や四章で命じられていたとおりの部族の順番で、宿営は進んだのです。これまでは、命令でしたが、ここ以降はまとまった形での規定よりも、事実の記述が多くなっていきます。
ところで、その順番を伝える28節までの記述に続いて、29節から32節には、モーセが妻の兄弟のホバブに、これからも約束の地までの旅に同行してくれるよう頼んだ、という記事が挟まれています。妙なことに、ホバブ本人がこの言葉に従ったのか、やっぱり帰りますと去っていったのか、はここには記されていません。士師記を見ますと、どうやらモーセの説得に従って旅を続けたらしいと分かるのですが、ここではそれが伏せられています[5]。そうしますと、ホバブがどう答えたかとか、その後の行動はどうだったか、それでどういう益があったか、などということよりも、ホバブに同行を乞うたモーセの姿勢そのものがここで注目されていると考えなければなりません。
一言で言うならば、それは謙虚さです。ラッパの音が響き渡る中、続々と準備が進み、興奮気味に、血気に逸っていた、というのが大方の心境だったはずです。しかし、モーセはそうした高揚感に舞い上がってはいませんでした。強気で誘ったのではありません。頭ごなしに伝道したのではありません。
「31…「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのです。」
と、謙虚に助けを求めているのです。決して、旅に不安だった、主の導きだけでは心許なかった、というのではないのです。29節では、
「私たちといっしょに生きましょう。私たちはあなたをしあわせにします。主がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」
と、主の用意されている幸せを信じて疑いません[6]。それでも、モーセはホバブの経験や知恵が自分たちにはないものであることを正直に認めていました。自分たちが、足りない、弱いものであることを隠さずに表明しました。思い上がった民族主義とか、エリート意識のようなものは感じさせません。後のユダヤ人たちのような、「イスラエル人にあらずば人間にあらず」という態度はありません。広く門戸を開いて、ともに主の幸せに与ろうという招きと、あなたによって私が助けてもらう必要があるのだとの率直さがあります。この点、私たちの伝道においても省みるところが大いにあるのではないでしょうか。知人や家族に「上から目線」で信じなきゃダメだと断ずるのでもないし、媚びへつらってヨイショするのでもなくて、まず自分自身の弱さや限界や罪を謙って自覚しつつ、幸いを備えておられる主への信頼をもって接するものでありたい。人を能力や経験で値踏みするのでもなくて、この人が加わることで私たちは助けられ広くされるのだという視点を持たされたいと願います[7]。
しかし、主の備えられているしあわせへの、モーセの確信は、この後あっと言う間に水を差されます。旅立った民は、主への不信を重ねます。33節に、
「こうして、彼らは主の山を出て、三日の道のりを進んだ。主の契約の箱は三日の道のりの間、彼らの先頭に立って進み、…」
とありますが、三日だけでした。四日目からは、次の十一章に見られる通り、
「ひどく不平を鳴らして主につぶやいた」
が始まります。三日坊主の賛美と信頼。三日坊主の従順。結果、ここからカナンの地までは、11日の道のりとも言われていますのに[8]、なんと38年余りの旅となってしまうのでした。それも、雲の柱を見ながら、です。
「34彼らが宿営を出て進むとき、昼間は主の雲が彼らの上にあった。」
というのは、他でもない、主が彼らを炎天から守り、日中の移動の影となってくださったことであるはずです。それ程までに主の御臨在と慈しみをリアルに拝していながら、民はいとも容易く、ないものを数え、傲慢になり、我が儘放題となっていきました。
けれども、そういう中で、35節36節の、モーセの祈りが光っています。
「35契約の箱が出発するときには、モーセはこう言っていた。
「主よ。立ち上がってください。
あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」
36またそれがとどまるときに、彼は言っていた。
「主よ。お帰りください。イスラエルの幾千万の民のもとに。」」
これは、主の命令ではありません。こう祈れと主がモーセに言われたのでも、私たちに言われているのでもなく、ただモーセがこう祈っていた、ということです。それも、移動中は、夜まで歩いたわけではありませんから、朝晩このようにモーセは言っていた、というのです。民の不平に煩わされ、何度限界を感じたか知れない、その旅路でモーセは朝な夕な主を中心としていた。自分たちの敵が、ではなかった。また、主が帰ってこられて民の真ん中にいてくださることに望みを見ていた。
私たちの新年も、御国への旅路です。主の幸いの約束を疑わず、しかし、私たち自身も周りも、どんな失態を晒すかしれない。そういう中だからこそ、朝に晩に、主が立ち上がり、また帰ってこられ、私たちを導き共にいて下さるように祈る歩みとしたいものです。
「主が先に立たれ、幸せを備えておられると信じる恵みを改めて感謝します。それでも私共は幾たび呟き、目の前の恵みさえ軽んじてしまうことでしょう。見えざる御手をもっても、多くの人によっても、あなた様がご配慮くださっている慈しみに感謝するばかりです。やがて栄光の朝を告げるラッパの音を聞く時まで、どうか私共を憐れみ、お守りください」
[1] 出エジプト記十九16。なお、同13節、19節も。
[2] レビ記二三24-25。
[3] Ⅰコリント十四8には、「また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。」とあります。これは、十二章以来の「異言」問題を扱った中での表現です。ここでパウロは、キリスト者の使命が、異言のような何を言っているのか分からない言葉で語ることではなく、預言(説教)のように意味の明瞭な言葉で語ることを命じています。同24節「しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。」
[4] 因みに、ヨベルの年などに吹く「角笛」は、ここで用いられる「ラッパ」とは違います。こちらの方がいっそう、シナイ山での「角笛」と重なったことでしょう。ただし、本当に主が「角笛」を吹かせられたというのではもちろんなく、角笛の音が聞こえたということでしょうから、厳密に同じというのでもありません。
[5] 士師記一16と四11を参照。
[6] 32節でも「主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです。」と重ねています。
[7] ピリピ四8「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、賞賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」
[8] 申命記一2
2011年12月25日 ルカ2章1~20節「いと高き所に栄光が」
いま読みましたルカの福音書には、イエス・キリストの誕生とそれが羊飼いたちに知らされた出来事とが記されています。正確には十二月であったのかどうか、聖書には伝えられていません。しかし、羊飼いたちがイエス様のお誕生をお祝いした最初の人物たちであったことは事実です。
なぜ、羊飼いたちだったのでしょうか。貧しく、住民登録にも関係ないかのようにベツレヘムの郊外で夜番をしていた羊飼いよりも、もっと他にも救い主の誕生を知りたかった人たちがいたのではないか、と思います。いいえ、今日の箇所の最初には、時の初代ローマ皇帝アウグストゥス[1]や、シリヤ総督クレニウス。こうした人物は、歴史物を紐解けばすぐに出てくるような有名で、有能な人物です。神様は、彼らに、ではなく、羊飼いたちを選ばれたのです。
しかし、ここにアウグストゥスの名がわざわざ記されていますが、イエス様がお生まれになったユダヤは、当時ローマの属領となっていました。住民登録をしたのも、属国からの税金を徴収する上での基礎調査としてでした。その屈辱に不満を募らせ、反乱を試みるものもいましたが、大勢としては従うしかなかったのです。
さらに、ヨセフとマリヤは、住んでいたガリラヤのナザレから、エルサレム近くのベツレヘムまで南下しなければなりませんでした。登録自体はヨセフ一人でよかったはずです。マリヤまで長旅をする必要はありませんでした。まして、マリヤはイエス様を宿した身重の体でした。ナザレの村に残っていた方がよかったでしょう。けれども、ヨセフはマリヤとともにナザレへ向かいました。マリヤの妊娠を、誤解し、無責任な噂話を囁き合う人も大勢いたのでしょう。人間というのは本当に無責任で残酷です。そういう好奇の目からマリヤを守るというヨセフの心遣いも必要だったのです。
クリスマスと言えば、華やかさや暖かさ、ドラマチックな雰囲気がイメージされるものです。しかし、最初のクリスマス、イエス様のお誕生は、今時のロマンチックなムードとは無縁でした。政治や経済、地域社会の人間関係。そうした浮き世のしがらみの絡みつくどん底で、力なく、ただ妻を守るために、ベツレヘムの田舎にトボトボとやってくるしかなかった。そういう貧しく小さな夫婦の間に、イエス・キリストの誕生は起きたのです。
イエス様のお誕生そのものは、聖書は詳しく伝えません。そこで、奇跡的なドラマが起きたとは言いません。ただ、その晩、羊飼いたちに、
「 9…主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。…」
と御使い(天使)が現れて、イエス様の誕生を知らせたのです。そして、去り際に、
「13すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
14「いと高き所では、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」」
と大合唱の余韻を残して、天使たちは消えたのです。
この歌は、イエス様のお誕生をお祝いして歌われたものですから、ここには、そのイエス様によってもたらされるものが歌い上げられているとも言えます。先に後半を見ますが、
「地の上に平和が御心にかなう人々にあるように」
聖書にある「平和」というと、ヘブル語のシャロームが有名ですが、実はこの「平和」というギリシャ語は、何かとの「関係において揉め事のない状態」を意味します。語源的には、「話し合いが出来る」という意味なのだそうです。確かに、誰かと話が出来る、というのは、その人との間に敵対や競争関係があっては出来ないでしょう。しかし、私たちは平和を望んでいるつもりではいても、関係が平和であるというよりも、自分たちが平穏無事に暮らしてさえおれれば、他の国の人が貧しかろうと迷惑を被っていようとこちらを憎んでいようとへっちゃら。そういう、実に身勝手な状態を「平和」を思い込んでいたりします。自己中心的な平和、自分さえ安全であればいいという平和。けれども、そういう平和をイエス様が下さると考えたら大間違いでした。
だから、ここでは、地の上に平和が、の前に、
「いと高き所に、栄光が、神にあるように」
と言っているのですし、その後には、
「御心にかなう人々にあるように」
誰にでも、すべての人に、ではなく、御心にかなう人々に平和が、と言われているのです。
御心、と言えば、先ほど祈りました「主の祈り」の中で、
「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」
という言葉がありました。天では御心が行われている。当たり前ではないか、と思われるかもしれません。天は清らかで、悲惨がない。それに比べて地上には罪も悲惨も満ちている。誘惑や不条理が待ち構えている。どうか神様、この地上も天国のような楽園にしてください、そう考えていいのでしょうか。天で御心が行われているのは、そこが無菌状態だからではありません。むしろ、御使いたちは、御心を喜び、神様を永遠に賛美し、心から仕えているのです。自分さえ幸せになれればいい、神様は私たちを幸せにするのが当然だ、などと思っている自己中心をすっかり拭われて、神を心から喜ぶ。御心に仕える。どんな誘惑が立ちはだかろうとも気を引かれることなく御心を行うことを喜んでいる。それが、地にもなりますように、というのは、周りの状況がもっと楽になるということではなく、どんなに損で苦しい思いをしようとも、私たちが御心を喜んで行えますように、という祈りでもあるのです[2]。
「天では、栄光が、神にありますように。」
地上に平和がないことと、真の神様に栄光を帰さないこと、言い換えれば、自分が神よりも上になってしまうこととは、表裏一体です。神を神とするという一番基本となる御心を避けて、自分は自分のものだ、そう言いたがる心が、もし平和を差し出されたとしても、なお復讐しなければ気が済まない、嫌みの一つも言ってやりたい、と撥ね付けるのではないでしょうか。話し合いが出来る平和というのは、違いを認める心、自分の限界を認める謙虚さも含んでいるのでしょう。アッシジのフランシスコの「平和の祈り」という言葉があります。そこでは、「ああ、主よ、わたしに求めさせてください。慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを。」というのです[3]。裏を返せば、この祈りは、「自分を理解してほしいけれど、他者を理解したいとは思わない」心が、平和をもたらすことなどは出来ない。そう見切っているのです。
こういうことを考えますと、イエス様がお生まれになった時に歌われた「平和」が、無条件に無制限に世界全人類にもたらされることはあり得なくて、私たち一人一人の心が変わることが必然的になくてはならないと分かります。神のように振る舞うことを止めたときに、そこに平和が始まるのです。御心にかなう人々に平和、なのです。それは、とても難しい、無理なことでもあります。私たちの心の底には、自分の損得をどうしても考えてしまう罪が染みついていますから。それは、自分の力ではどうしようもないことです。
けれども、御使いたちが、お生まれになったイエス様の誕生を羊飼いたちに知らせるとともに、この歌を歌った。神の子イエス様が、救い主としてマリヤの胎に宿りお生まれになったという信じがたい知らせに添えて、神様がそのイエス様を通して、あなたがたのうちにも平和の業を始めてくださると宣言してくれた。ここに、私たちの希望があるのです。イエス様が、私たちの思いを、神様へと向けてくださる。御利益をくれるとか願いをかなえてくれるとかいう以上の、誉め称えるべきお方として、神様と出会わせ、信じさせてくださるのです。そして、私たちが自分の自己中心の罪に気づいて、悔い改めるとき、人を変えようとか自分の人生を周りのせいにすることを止めさせて、自分の心に責任を持つ者と変えられることが始まります。平和をもたせてくださいます。他者との違いを嫌わず、話し合いが出来るようにしてくださる。そのために、イエス様は、丸裸の赤ん坊になられたばかりか、やがて十字架にかかり、いのちさえも投げ出してくださったのです。
神様は、家畜小屋の飼い葉桶と、羊飼いという徹底的に卑しいしるしを用いられました。もし私たちが、本当に無力で心の醜いものだと謙るなら、飼い葉桶にお生まれになったイエス様は、その狭くて暗く汚れた心にも喜んでおいでくださり、新しいみわざをなさってくださる。神を崇めて賛美しながら帰って行くことが出来ます。今日、イエス様が私たちのために生まれて、平和への道を備えてくださった感謝をご一緒にお祝いしたいのです。
「政治や歴史のただ中で、私たちも今日、翻弄されていります。震災の余波が私たちの心にも瓦礫を積み上げています。イエス様がお生まれになった時と変わらない、人間の無力さ、汚れた心を肌で感じつつ、ここにもあなた様が目を留めて、ひっそりと御業をなしておられると、私たちのうちに信仰と平和を与えてくださることをともに祝わせてください」
[1] 広辞苑より「オクタウィアヌス【Octavianus】ローマの初代皇帝。カエサルの養子。カエサルの没後、アントニウス・レピドゥスと共に第2次三頭政治を行い、前30年アントニウスの自殺後、ローマの単独支配者となる。前27年アウグストゥスの尊号を元老院から受け、事実上皇帝となった。ローマの黄金時代を現出。(前63~後14)。」新改訳はギリシャ語原文から音訳して、「アウグスト」としていますが、日本の表記では「アウグストゥス」が一般的です。
[2] ウェストミンスター小教理問答問一〇三 第三の祈願でわたしたちは、何を祈り求めるのですか。
答 第三の祈願、すなわち「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」でわたしたちは、神がその恵みにより、ちょうど天使たちが天においてしているように①、わたしたちもすべてのことにおいて、神の御心を知り、それに従い②、服することができるように③、またそう望むように、してくださるように、と祈ります。
[3] 全文は次の通りです。
「平和の祈り
主よ、わたしを平和の道具とさせてください。
わたしに もたらさせてください……
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
『フランシスコの祈り』(女子パウロ会)より
2011年12月18日 ヨハネ21章24~25節「世界も入れることができまい」
ヨハネの福音書の最後が、今日の言葉です。ここには、この福音書を記したのが、主が愛された弟子ヨハネであることが銘記されています[1]。そして、イエス様のなさったことは他にも数えきれずあって、それを全部書き記すなら、世界にも入りきれない、という言葉で福音書が結ばれます。最後として、あまり相応しい閉じ方ではないのかも知れません。しかし、ヨハネは「有終の美」とか「感慨」というようなものを飾ろうとはせず、むしろ、これで終わりではないのだ、イエス様のなさったことはこんな程度ではない、その測り知れない豊かさを勘違いしないで欲しい、というぐらいの思いで結んでいるのです。
「24これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。」
ヨハネの証言は、これを書いたという責任の所在を明確にしています。「私たち」というのは、恐らくヨハネ自身と読者の教会とを引っくるめての言い方なのでしょう。しかし、そこでも「私たちは知っている」と言い切れるぐらい、ヨハネの証言は真実でありました。伝道や証し、また、広く真実な話というのは、誰が話したか、ということで左右されてはなりません。同じ話でも、憎らしい人が話せば否定して、好印象の人では鵜呑みにする、とはなりがちですが、キリスト者としての成長にはそうした主観から自由になり、話の内容を聞き分けるようになる面があります。けれども、ここでヨハネは、主ご自身の証しをしています。主のそばで、愛されている弟子と自らを名乗れるほどの愛をいただき、死と復活とを間近で見たヨハネは、復活の証人として立たされるためにこそ、そのような月日を過ごしていました。そして、そのためにも、ヨハネの普段が真実であると証しされていました。その普段に裏付けられて、ヨハネのこの福音書も、真実として受け容れられたのです。私たちも、聞く相手に左右されないだけでなく、自分自身が真実な証しを普段からなすようにされていくことを求めたいと思わされます。
しかし、ここで、ヨハネが福音書を書いた、というだけでなく、
「これらのことについてあかしした者」
という言い方もしています。「書いた」というのは、文字通り「書いた」という過去の事実を指す言い方ですが、「あかしした」はそれと違い、「あかししている」と現在形、継続のニュアンスがあります。ですから、ヨハネはこの福音書の執筆で終わらず、福音書が読まれていく課程において、今に至るまで証しを続けている、私たちにもヨハネは証しをしている、そのような考えをしています。
また、この「あかし」という言葉、ギリシャ語のマルトュリアは、殉教者martyrの語源でもあり、言葉だけの証しではなく、いのちをかけた証し、死をも恐れない証し、でもあります。勿論、それは、ヨハネを証人として立たせた、主ご自身がそのような証しをなさせているのです。証しを真実ならしめる条件を、ヨハネはいままでに四つ挙げてきました。
第一に、目撃証人の証しであること[2]。第二に、自己宣伝でないこと[3]。第三に、真実なるイエス様についての証しであること[4]。第四に、真理の御霊に遣わされて行う証しであること[5]。こうした条件が揃っているから、ヨハネの福音書は真実な証しなのです。今までお話ししてきたことからもお分かりのように、この「証し」は、信じていない人を信じさせるための証しというよりも、すでに信じている人の信仰を堅くするための「あかし」です。これは、先の二十章の最後でも、
「31しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じ[続け]るため、また、あなたがたが信じ[続け]て、イエスの御名によっていのちを得るためである。」
とあった通りです。今どきは、教会での「あかし」というと対外的なイメージばかりのようですが、聖書が言う「証し」には伝道的なというよりも、主の御真実をあかしするという内容面に重きを置いています。勿論、人を説得するのは聖霊であって、人の証しが感動的だとかインパクトがあるから、ということではありません。言葉で証しをするというよりも、そのいのちがキリストに結びつけられていて、キリスト者同士が励まされ合う上での「あかし」となる、ということが重視されるべきではないかと思います。
「25イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」
イエス様がなさったことは、ここまで豊かに示されてきました。カナの婚礼の奇跡、瀕死の息子を治された癒しなどの七つの奇跡。いくつもの長い説教。
「わたしはいのちのパンです。」
「わたしは世の光です。」
など、七つの「わたしは○○です」(エゴー・エイミー)。そして、後半からは、弟子達の足を洗われた御愛、それに続く告別説教、何よりも十字架に至る苦難の道。けれどもそれは決して、敗北ではなく勝利と栄光の十字架であったこと。イエス様の限りなく深く強い御愛。私たちを救い、必ず救って、決して失わないとのお約束も何度も繰り返されました。振り返って思い起こすなら、それこそ時間が足りなくなるような御業が紹介されてきました。しかし、これでネタ切れではないのです。他にもたくさんあるのです。
しかし、まだまだ、ここに書ききれないほどのわざをイエス様はなさったとは言っても、イエス様の御業は、全部書き記すなら、世界も入れることができない。これは、誇張でしょうか。今であれば、もっとコンパクトに、イエス様のご生涯の全データを収めることが出来る、と言っても良いのでしょうか。確かにこのような、一見大袈裟とも言える表現は、当時のユダヤ教、ユダヤ文化によく見られるものでもあります。しかし、ヨハネはこの福音書の最初で、イエス様を、
「一1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
「一3すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」
と紹介していました。世界をおつくりになった御方であると前置きしたのです。ですから、本当にイエス様のなさったことを余さず書きしるすには世界も足りないと言いたいのです。そして、それは私たち自身が、世界よりもイエス様を大きい方として、本当に捉えているだろうか、と省みることに繋がります。世に収まらないお方であるイエス様。
そのお方が人となってくださったことが、クリスマスの奇跡が、またどんなに大きな、驚くべき事か。世界よりも大きな方が、人類のもっとも小さな赤ん坊になられた。マリヤの胎に宿られた。それは、本当に測り知れない御業でした。けれども、そのことが、イエス様の偉大さを見失わせることになってもならないのです。飼い葉桶に寝かされた赤ん坊は、世界よりも大きなお方です。地球よりも、宇宙よりも大きなお方、到底、測り尽くせぬお方が、人となられた。そういう神秘は、私たちが忘れてはならないことです。
世界も、という言葉からもう一つ思い出しますのは、この福音書の三16です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
世(世界)[6]よりも大きなお方が、世を愛されて、その中の一人となられました。それは測り知れない恵みの業でした。でも、ヨハネは、この大いなるイエス様をあかししている、という自覚を忘れずにいたのだと思います。世界の造り主なるお方でありながら、世を愛し、人となられた。そこにもまた、この方の偉大さが証しされている。
私たちが証しされているのは、このお方であり、私たちが証しするのもこのお方です。それを忘れて、私たちは右往左往し、恵みを疑います。そればかりか、信仰から外れていくことさえあります。けれどもイエス様は、そういう私たちの弱さをも本当によくご承知で、私たちにヨハネの福音書を与えてくださり、聖書のこれだけの証言を備えてくださった。そして、それだけでも十分であったはずなのに、なお多くの兄弟姉妹の証しや教会の歴史を通じての出来事や讃美歌や様々な財産をもって、私たちの信仰を励まし、信仰から逸れていかないように守っていてくださる。また、私たち自身の貧しい証しをさえも用いて、他者が励まされるということも起きる。そこにも、主が、聖書よりも大きい方であり、世界が主の業で満ちていることが証しされています。私たちの弱さよりも、罪よりも、悩みや憎しみよりも、悲しみや死の冷たさよりも大きなお方であることを覚えるのです。
語り尽くせない主の御業のうちから、聖霊はヨハネを導かれて、この福音書を記させました。選びに選んだメッセージがこの福音書であり、聖書の証しです。主が私たちに用意してくださったこの肝心要の御言葉に心を傾けて、私たちもまた、このお方の恵みを誉め称えていきたい。主の恵みを心に宿す者とされたく願います。
「神が人となられた神秘によって、私共の狭く頑なな心の殻を破ってください。今も貧しい私共に、あなた様が聖なる愛を宿らせてくださると信じて、切なる思いで待ち望ませてください。御言葉と互いの証しとによって、信仰を育て支える交わりに与らせてください」
[1] この部分については、誰がこれを書いたのか、ヨハネ自身なのか、別の人ではないか、という議論もありますが、それについてはここで詳述はしません。
[2] 十九35。
[3] 五31。
[4] 十八37。
[5] 十五26。
[6] 世も世界も、原語は同じkosmosです。
2011年12月11日 ヨハネ21章20~23節「あなたは」
前回は、ペテロが主から三度、
「あなたは、わたしを愛しますか」
と尋ねられ、また三度、
「わたしの羊を飼いなさい」
と繰り返されてから、ペテロにとっては望ましくない死を遂げる。しかし、それこそが神の栄光を現す最期であると告げられたことを見ました。それに続いて、今日の箇所では、
「20ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。」
21ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」」
このように語ったペテロのセリフとそれに対するイエス様のやりとりを記します。イエス様はペテロに仰います。
「22…「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」」
ところが、この後が面白いのですが、
「23そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの[即ち、弟子達の]間に行き渡った。…」
そこでヨハネは、イエス様は、その弟子が死なないと言われたのではなくて、たとえ彼が生き続けるとしてもペテロよあなたには、何のかかわりがありますか、と言われたのですよ、と説明をしているのです。
改めて説明はしませんが、この弟子は福音書を書いたヨハネその人だろうと考えられています。この福音書を書いた時点で、ヨハネは恐らく、十二使徒の中で生き残っていた最後の一人であったはずです。ペテロは殉教してから二十年は経っていたでしょう。他の使徒も殉教し、ヨハネ一人が生き残っていた。その時に、ヨハネはやっぱり死なないのではないかという噂が広まっていたということも十分あり得ます。イエス様が言っていたそうではないか、ヨハネは不死身なのだ。けれども、ヨハネ本人がここで言う。イエス様はそう仰ったのではない。たとえ生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか、と仰ったのだ。そのように誤解を解いている。
ですが、このように誤解を解きたくて、ヨハネはこの箇所を書いたのでもないと思います。そんなことでこの福音書を閉じるつもりはなかったでしょう。ここで言われているのは、22節最後の言葉です。
「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
19節でも、
「わたしに従いなさい」
とありました。しかし、22節では、「あなたは」と訳されている通り、「あなた」という強い言葉がついた文です。ヨハネが殉教しようと生き延びようとそんなことは気にせず、あなたはわたしについてきなさい。人がどうあろうとキョロキョロして主に従うことが疎かになってしまってはならない。あなたは、わたしに従ってきなさい。これが、この最後のエピソードで確認したいメッセージなのでしょう。
けれども、その主に従う、という信仰の筋が、周りの人が気になって見失われてしまうこともまた、私たちにとって本当に身近な現実なのではないでしょうか。ペテロが何故ヨハネを見た時に、
「主よ。この人はどうですか。」
と聞いたのでしょうか。イエス様の右側、胸のそばに座っていた、主に愛された弟子ヨハネもまた、自分のように、行きたくないところへ連れて行かれ、殉教することになっているのだろうか。それは、ヨハネを思って、というよりも、自分の安心のための好奇心でしかないのかも知れません。私たちは、そのような知りたがりの発言をしてしまうのではないか。「目の欲」[1]と言われる罪に、私たちは弱い者です。
イエス様はこれに対して、優しく配慮ある言い方をなさったりはしません。その気持ちは分かるとか、ヨハネもヨハネで苦労するのだ、などとは言われないのです。むしろ、極端で、誤解を招いてしまったような、厳しい言い方をなさった。
「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。」
もう少し柔らかい、誤解のない言い方も出来たのではないか。そうすれば、ヨハネが不死身だというような噂が広まることも避けられたのに、とも言えるのでしょうか。いいえ、人々の誤解は誤解であったのですが、たとえその誤解があったとしても、それでも、それが何の関係があるか。ヨハネが死なないとしても、それでも、自分が逃げたくなるような殉教の死への道をイエス様に従って行けばいい。そう言われたのです。
言葉の誤解というのは、私たちにとって日常茶飯事です。言った言葉がまっすぐに届かない。誤解されて、本当に言いたいことが伝わらない。そういう勘違いの最初の例は、先ほど読みました創世記の三章にあります。主が「善悪の知識の木」の実を食べてはならないと、言われていました。食べたら必ず死ぬ、と言われていました。しかし、エバはそれを、何故か、いつのまにか、
「あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。」[2]
と誤解しています。その実を食べて、罪が入る前の、完全に聖であったはずのエバが、早とちりをしている。神様が創造された時点で、言葉が上手く通じない、そういう限界あるもので人間はあった。そして、誤解があっても、意思の疎通が出来なくても、それでも、約束を守ることは出来る。善悪の知識の木の実を食べないという契約を守ることは出来たはずです。ヨハネが死なないとしても、主に従って、自分の殉教への道を歩み出すことは出来たのです。一番大切なことは、主を信じて、御言葉に従うことだと弁えていることです。それがなければ、自分の早合点の上に立って、間違った結論を引き出すことになります。ですから、いつも自分の理解に思い込みがないか、独り歩きさせていないか、そう自戒しながら、主に従って行くこと。そして、人がどうあろうと、自分は主に従うのだ、という確認が必要なのです。
実は、ペテロとヨハネは、使徒の働きを読みますと、少なくとも最初の頃は、二人で行動を共にしています[3]。ヨハネとペテロが別々に行動を取るのだから何のかかわりがありますか、と言われたのではなく、パートナーとして働くような二人にさえ、それぞれへの主の御心は互いに異なっていること、それを意に介さないことを命じられたのです。
「人を見ないで神様だけを見て下さい」と教会ではよく言われます。それが繰り返して言われなければならない程、私たちはすぐ人を見がちです。その根っこには、人のものを見て羨み、欲しがってしまう罪、「十戒」の第十の戒め、
「欲しがってはならない」
と指摘されている、私たちの心に染みついた貪りの罪があるのでしょう。人のことが気になってしまう。比べて、不平をこぼしたりする。自分の方が損だと思う。だから、イエス様が、そのような心を甘やかすことなく、
「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」
と厳しく仰った言葉は、私たちを守る言葉でもあります。人がどうあろうと、どんな祝福を受けようと、私は私、主が召されているのは私である、と脇目を振ることから救われるのです。貪りの心を引っ叩かれるのです。
このアドベントに思わされるのは、主が進み行かれた道は、謙りの道、自分のいのちを捧げていかれた道であるという事実です。その主に私たちが従って行く道は、やはり、あれこれのものを得ようとか上昇志向とかの道ではなく、捧げていく道です。その道を私たちも歩ませて頂きたいと願っています。それは、余所見をして心を無駄にするヒマなどない道です。また、自分も他人も限界があって、思いを真っ直ぐに伝えることの難しさから目を逸らさない道です。そして、弱く、誤りに満ちた私たちをさえも、この尊いいのちの道に、主ご自身の道に召してくださいました。何度でも重ねて、
「あなたはわたしに従いなさい」
と呼びかけて、恵みへと、永遠のいのちへと導いておられる幸いを感謝したいのです。
「飼葉桶へと向かわれたイエス様の道を、この週も味わい、静かに思わせてください。限りない謙りと無私の道、貧しくとも喜びに満ちたその道を、私共も、心を捧げて歩ませてください。主が下さったこの志が、日常の些細なことで水を差されてしまうとき、気づかせてください。人を見る目を、ただ主の愛をもって見る目へと、きよめてください。」
[1] Ⅰヨハネ二16「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」
[2] 創世記三3
[3] 使徒の働き三1、3、4、四2、13、19、23。ルカ二二8では、イエス様が二人を、ロバの子を連れてくるために遣わされています。
2011年12月4日 民数記9章「雲がとどまるその場所」
今日の箇所は、次の十章でいよいよイスラエルの民がシナイ山から移動していく、その締め括りとなる箇所です。ここでは、民の歩みの霊的な面を支えることとして、過越の祭りを守ることの大切さが命じられています。
過越の祭りとは、この時から一年前、イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から救い出されたことを覚える祭りです。
「 1エジプトの国を出て第二年目の第一月に…」
とあるように、イスラエルの民は、出エジプトの出来事から暦を数えたのです。これは、出エジプト記十二章に詳しく書かれていますが、エジプトの王の頑なさを裁くため、主はエジプトの地にいるすべての初子のいのちを打たれました。王の子も民の初子も、家畜の初子までも、その晩に死んだのです。しかし、主はイスラエルの民に、羊を屠ってその血を家の鴨居に塗るなら、その家を禍の使いが通り過ぎる(過ぎ越す)と約束されたのです。
その時すでに、主はイスラエルの民に、これから毎年、この出来事を記念して、羊を屠り、血を門に塗るよう命じられました。また、イスラエルの奴隷生活の苦々しさを覚えるために「苦菜」を、そして、出エジプトの出来事が慌ただしく急な旅立ちであったことを忘れないために「種を入れないパン」を食べる、そういう過越の祭りを定めておられたのです。
今日の1節から5節は、その復習のようなもので、ここで新しく命じられたことではありませんが、第二年目に最初の過越の祭りが、定められた通りに行われたという意味では、とても大切な意味があるわけです。しかし、それとともに続く6節からが肝要です。
「 6しかし、人の死体によって身を汚し、その日に過越のいけにえをささげることができなかった人々がいた。彼らはその日、モーセとアロンの前に近づいた。
7その人々は彼に言った。「私たちは、人の死体によって身を汚しておりますが、なぜ、定められた時に、イスラエル人の中で、主へのささげ物をささげることを禁じられているのでしょうか。」
8するとモーセは彼らに言った。「待っていなさい。私は主があなたがたにどのように命じられるかを聞こう。」」
このようにして、主に伺いましたところ、主は、
「11第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない。…」
という代替案が提案されるのです。ひと月遅れの過越祭、ということです。しかし、それはひと月遅れで捧げることが出来る、という以上に、ひと月遅れてでも過越の祭りを守らなければならない、と参加が命じられています。
「13身がきよく、また旅に出ていない者が、過越のいけにえをささげることをやめたなら、その者はその民から断ち切られなければならない。その者は定められた時に、主へのささげ物をささげなかったのであるから、自分の罪を負わなければならない。」
汚れている者が過越の祭りに参加することも禁じられましたが、汚れていない者、参加出来る者が参加しないこともまた、同じくらいかそれ以上に厳しく禁じられているのです。つまり、それくらい、過越の祭りを守ることが大切だ、ということです。勿論、過越の祭りをすればいい、ということではありません。それは、第二の月も祝えなければ、第三の月が、というようには言われていないことからも伺えます。
大事なのは、過越の祭りを通して、自分たちがエジプトの奴隷生活から贖い出されたこと、子羊の生贄を捧げたこと、苦菜を食べてはあの苦々しい奴隷生活に戻りたいなどと苦しみを忘れてはならないこと、そういった自分たちの原点であるメッセージを思い返すこと、なのです。
過越の祭りは、やがてお出でになるまことの小羊、イエス・キリストを予表するものでした。ですから、イエス様が屠られて十字架の上で血を流されてからは、過越の祭りに代わって、主の聖晩餐が祝われるようになっています[1]。そして、今日のメッセージは、主の聖晩餐にも殆どそのまま当てはまると言って良いでしょう。主の聖晩餐に与る大切さ、イエス様の十字架の贖い、私たちの罪の苦々しさ、新しい交わり、それを忘れないこと。そして、信仰告白もなしに陪餐することが許されないように、信仰告白をしているのに陪餐しないことがそれに匹敵する主への冒涜である、というくらい、私たちが主とのこの交わりを大切にすることは重要なことなのです。
「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」[2]
さて、15節以下には、イスラエルの民の上にあった「雲の柱」のことが述べられています。
「15幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようにものになり、朝まであった。」
この「雲」は主の栄光の御臨在を示すものです。人間には、神である主の永遠の栄光を見ることは耐えられないために、雲が主の栄光を覆い隠す、という面と、雲そのものが主の栄光を象徴している、という面があります。雲の柱は、栄光の主が民とともにおられることを語っています。そしてここでは、その雲が天幕を離れて旅立つと、民も宿営を畳んで旅立ち、雲が留まったところで、宿営を張ったということが書かれています。
「23彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。」
とあるように、この雲の動きを、民は主の戒め(御心)と受け止めたのです。
ところで、実際に雲に従って民が旅立ったのは、次の十章でのことです。
「十11第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。」
エジプトからこのシナイ山に来るまでは別ですが、幕屋が作られたのはシナイ山ですし、天幕を離れて旅立つと旅立ち、
「21雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立った。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立った。
22二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。…」
とあるようなことは、まだここでは起きていないことであるわけです。なぜこのような内容をここで(それも割に詳しく)記したのでしょうか。それは、先の「過越の祭り」と結びついています。最初に「雲の柱」が現れたのは、あの出エジプトの出来事の直後でした[3]。彼らが、過越の小羊を屠り、エジプトの奴隷生活から旅立つその歩みにおいて、雲の柱は現れ、民を導き進んだのです。ですから、雲の柱は、過越と切り離しては考えられないのです。何か現代では、この世に対するメッセージとして、誰に対しても「神様はいつも皆さんといっしょにいてくださいますよ」と無条件に語る嫌いがあるようです。大丈夫、大丈夫、そのままで大丈夫、と言うのです。イエス様は、いつもともにいてくださいますよ、と、悔い改めも信仰もぬきに言うのです。しかし、それは聖書のメッセージではありません。イエス様が、お生まれになる前に、御使いからその名を、
「インマヌエルと呼ばれる」
と言われたのも、先に、
「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方」
とされてのことです[4]。私たちも、主の聖晩餐を守り、イエス様の十字架、私たちの罪、贖われた確かさ、そうした恵みの原点に心から立ち帰る事無しに、主がいっしょにいてくださるといくら言ったところで、それは自分に都合の良い使い方となってしまっている。逆に、主の聖晩餐に与ることによって、私たちは、あやふやな思い込みや不安を隠した気慰みではなしに、主が私とともにいてくださると-私たちの罪や弱さや実感出来ないかどうかなどに一切関係なく-本当に、目には見えないけれども、雲の柱が立ち上るようにしてともにいて、先導していてくださると、信じることも出来るのです。
そして、それは、私たちもまた、主に従っていくこととも繋がります。雲の柱が動くなら、連日でも立ち上がる。雲の柱が留まるなら、何年でもじっと待つ。けれども、その柱が急に動き始めるなら、自分のしてきたこと、今している業を惜しむのではなく、潔く切り上げそこに置いて、旅立っていく。そういう姿勢がここから教えられるのです。
イエス様が私たちのためにお生まれになったこと、私たちとともにいてくださる、というクリスマスのメッセージは、主が私たちの罪のために十字架に掛かるためにおいでくださったことを受け容れるときに、私たちのものとなったのです。この罪からの救いをイエス様が確かに下さいました。これを覚える主の聖晩餐に今日も与ります。
「雲の柱のように、マリヤの胎のように、主が私共と今ともにいてくださる。この恵みを感謝します。贖われた幸いによって心を自由にしてください。主を喜びとし、この世の何をも、私共の一切の業を、喜んで後にすることが出来る程でありますように。御名により」
[1] イエス・キリストが「主の聖晩餐」を制定されたのは、十字架に掛かられる前の晩の「過越の食事」においてでした。
[2] ヨハネ六53
[3] 出エジプト記十二章で、最初の「過越」と出エジプトが起きますが、その次の十三21で「雲の柱」が現れて、エジプトを出た民を導き始めます。
[4] マタイ一20-23
2011年11月27日 ヨハネ21章15~19節「こうお話しになってから」
先回も申しましたように、よみがえられたイエス様が、ガリラヤ湖で弟子達にお会いになった。そこで食事が済んだところで、イエス様がペテロにお聞きになる。
「あなたはわたしを愛しますか」
と三度お聞きになりました。なぜ、このエピソードをヨハネはここで書いたのでしょうか。前回の「大漁の奇跡」は導入であって、やはり、今日のほうが本筋だと思えます。19節には、ペテロの死に方、とありますが、この福音書が記された時、すでにペテロは殉教していたと思われます。もう天に召されたペテロのことをわざわざ記すことでヨハネは何を言いたいのか。それは勿論、十二弟子のリーダー格のペテロにイエス様が何を示されたかを記すことによって、使徒たちを礎とする教会が、何を土台とする共同体なのか、教会にとって大切なことは何なのか、を確認したかったからなのでしょう[1]。
イエス様がペテロに三度聞いた言葉は、三度とも同じではありませんでした。
「15ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」
と聞かれた一度目は、以前、ペテロ自身が、
「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」[2]
と胸を張っていた、その事を受けてなのでしょう。誰よりも主を愛している、と自信と意地を隠さなかったペテロに、その負けず嫌いの心は今も変わらないかと確かめています。これに対してペテロは、もうそんな張り合う言い方はせずに、
「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」
と返しているわけです。「たとい全部の者がつまずいても私だけは」と自惚れておきながら、イエス様を知らないと三度言ってしまったペテロは、もう誰よりも私はという言い方はしません。そして、自分が主を愛するかどうかということ自体、主が知っておられるとおり、と自信など欠片も見せません。これに続く二回目の、
「16ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」
は、この人たち以上に、という比較を抜きにして、あなたは、と問われます。
17節のイエス様の、三度目の問い掛けでは、
「あなたはわたしを愛しますか」
と二回目と同じようですけれど、新改訳の欄外注を見ると分かりますように、一度目と二度目では「アガポー」と言われていたイエス様も、ペテロが返してきた「フィロー」という言葉を返されて、「あなたはわたしを愛しますか」つまり、フィレオーしますか、友として愛しますか、と問われます[3]。それに続けて、
「ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めて…」
三度も「あなたはわたしを愛しますか」と問われたら、やはり私達も「しつこいなあ」とカチンと来るのではないか。イエス様は何を同じ事ばかり質問されるのか、責められているようで辛くなったのです。言うまでもなく、ペテロはここで、イエス様を三度繰り返して、「私はイエスなど知らない」と否認した大失敗、イエス様の愛に対する、言い訳のしようがない裏切り行為を思い出していたことでしょう[4]。だからこそ、三度の繰り返しに心を痛めながらも、向かっ腹を立てたりせず、
「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておられます。」
といよいよ小さくなって告白するのです。そして、これに応えてこれも三度目、微妙に言い方を変えながらですが、イエス様は繰り返して、
「わたしの羊を飼いなさい」
と仰います。
「あなたはわたしを愛しますか」
とイエス様は仰いました。わたしのために何をしますか、というような事ではなく、愛しますか、でした。私達はそう問われて、愛します、愛しています、と簡単に返事してしまうかも知れませんが、三度も繰り返してまじまじと問われるとしたら、本当に苦しくなってしまうくらい、イエス様への愛において乏しい者でしかないわけです。どんな奉仕や努力も、その愛を埋め合わせることは出来ません。自分の愛の貧しさを恥じ入るしかない。けれども、その心の貧しさを、苦しくなるくらいに覚えさせていただくこともまた私達は必要なのだ、と教えられます。
後にペテロは教会に当てた手紙の中でこう言います。
「Ⅰペテロ五1そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、お勧めします。
2あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。
3あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」
これは、ペテロがイエス様に言われた事を、他の長老達にも伝えている、しかし、イエス様から言われたようにではなく、自分自身謙って、危うさを知る者としての同じ目線で、言わば、心を痛めながら言っている言葉です。そうでないと、すぐに私達は人を「支配」しようとしたり、「卑しい利得を求めて」しまうに違いない。そうペテロは心していた。
イエス様が、教会を建て上げるため、使徒の代表格であったペテロに示されたのは、何よりもまず主を愛することであり、そこにおける自分の足りなさの自覚です。イエス様はペテロにも私達にも、ちやほやと優しい言葉ばかりかけるお方ではありません。肝腎な所ではグイグイ踏み込んでこられて、心を痛めずにはおれない思いをもさせられるのです。そうして、本当に砕かれた、謙った心を持たせてくださる。そこ以外に、教会が健やかに建て上げられることは始まらないと見ておられる。このことを示すのが18節です。
「18まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
19これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」」
ペテロの死が告げられます。それも、人から帯で縛られて、行きたくない所へと連れ出される死だと言われています。人生は、段々と自由になり、好きなように生きて、やり残しのない、優雅な晩年を迎えたいものだと、そういう人生こそが祝福だと人は当たり前のように思ってしまうのではないでしょうか。それもまた、自分に対する思い上がりです。自分の愛のなさを自覚することも、自分の死を綺麗に包んでしまわずに覚えることも、根は一つです。逆に言えば、自分の死を忘れたり美化したりすることが、自分自身を美化し思い上がることになるのです。
ヨハネはペテロの、願わしくない死を、神の栄光を現す死に方だと言います。もしかすると、ペテロが殉教して二〇年ほど経ったこの頃、ああいう死に方はしたくないとか、神の栄光を現すということが人間的な栄光の尺度で考えられていた風潮があったのかも知れません。ヨハネはそれを意識して、神の栄光を現し、イエス様に従うということが、力とか上昇とか、願いが叶うとか状況をコントロール出来るとか、人が羨むような道ではないのだ。その逆に、自分の意志を神に全く委ね、いよいよ低くなり、仕えることにおいて成熟していくこと。人から見れば、惨めで、不自由で、損だと思えるような道にこそ、神の栄光は、イエス様の歩まれた道は続いているのだ、と諭しているようです。
イエス様はペテロに、弟子となる前の名前、ヨハネの子シモン、と呼びかけられます[5]。荒削りで、己を知らず、失敗し、本当の自分の姿に気づけば、イエス様の顔を真面に見ることも出来なくなるような、そういうシモンをイエス様はお選びになり、教会の牧会を委ねられました。そういうシモンとイエス様のこのやり取りにこそ、教会の原点があります。私達もまた、イエス様に、すべてを知られた上で召されて、ここに導かれている幸いを思います。まだまだ自惚れている者ですから、心を痛めるような思いも欠かせないのです。そういう私達を、イエス様が、何よりも愛することだけが大事な、そういう関係に入れてくださっている。そのために、今日もここに集められているのです。
「あなた様への感謝は尽きませんが、その感謝をあなた様への愛へと転化してください。それを妨げている余計なものをすべて投げ出せますように。復活の主が、私共にも十字架を負わせてくださり、死を見つめて、死の彼方にある幸いを今確かめながら、本当の主の栄光を現す者としてください。死を弁え、永遠のいのちを証しする教会としてください」
[1] この箇所をモチーフにしたすばらしい本として、ヘンリ・J・M・ナウエン『イエスの御名で』(あめんどう、後藤敏夫訳)があります。
[2] マルコ十四29
[3] イエス様が問われている「愛する」という言葉は、アガパオー、神様の一方的な御愛を指す言葉ですが、これに応えるペテロの「私があなたを愛する」は、フィレオー、友として愛する、という言葉です。もともとイエス様やペテロ達が使っていたヘブル語にはこういう区別はないのですけれども、ヨハネはここで、イエス様が語られた、本当に聖なる愛、惜しみない愛、に対して、ペテロは(アガペーの愛に劣るとかいう事ではなく)イエス様を友のようにお慕いしています、と申し上げている。そういうニュアンスを含ませているわけです。けれども17節では「ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛し[フィロー]ますか」と言われたので、心を痛めて…」とあります。イエス様がアガポーからフィローに言葉を変えたから心を痛めた、のではなく、三度フィローするかと問われたと言っても良いくらい、本質的な違いがあるのではないのです。言葉をレベルダウンされたから、ではなく、三度も「あなたはわたしを愛しますか」と問われて心を痛めたのです。
[4] これは、この箇所と十三36-38の平行関係、「炭火」という言葉が二一9と十八18に共通していること(新約聖書全体でもこの二箇所だけ、という珍しい言葉!)、また、ペテロの否認という事件の「救済策」がここ以外にないという事実などからも裏付けられます。
[5] ヨハネ伝一32
2011年11月6日 民数記8章「灯火を前に向けよ」
前回の七章の最後には、
「モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」
とありました。初めて、幕屋の奥に置かれた「契約の箱」、その上の「贖いの蓋」から主がお語りになる。これ以降、主はこの形で民に語られる訳ですが、それはこの時から始まったのであり、今日の八章は、そうして語られた最初の言葉が記されているのです。その最初の主の言葉が何かと言えば、
「 2アロンに告げて言え。
あなたがともしび皿を上げるときは、七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい。」
主がお語りになる、契約の箱の置かれた「至聖所」の前、「聖所」に置かれた「純金の燭台」を、前方を照らすように灯火を向けなさい、ということでした。
「純金の燭台」については、出エジプト記二五31-40で、すでに作り方が示されていました。
「ともしび皿を上げて、前方を照らすようにする」[1]
ということも言われていました。また、レビ記二四2-4では、
「ともしびを絶えずともしておくために、燈火用の質の良い純粋なオリーブ油を持って来させよ。…夕方から朝まで主の前に絶えず、そのともしびを整えて置かなければならない。」
とも言われていました。それが、ここでまた、朝晩灯火を整えるたびに、そのともしび皿七つの方向を調整して、それが燭台の前を照らすようにせよ、と言われるのです。この後は、5節以下でレビ人のことが触れられて、次の九章では過越の祭のことが、と大事な話が続く前に、ここで、目新しくもない掟が述べられるのです。
しかし、むしろ、この灯火の意味するところの大切さが、浮き彫りになると言ってよいでしょう。幕屋において、光の果たす役目の大きさが物語られています。光は、神様の創造の御業が現すとおり、主の御真実、いのち、喜び、力を現します。また、この燭台がアーモンドの木の形を取っていることは、エデンの園にあった「いのちの木」にも通じると考えられています。また、主の御臨在であり、引いては、オリーブ油を用いることからも聖霊の御臨在をも見て取ることが出来るでしょう。幕屋の上に上る、火の柱とともに、聖所の燭台も、主を証しするものでした。
ところで、
「七つのともしび皿が燭台の前を照らすように」
とありますが、燭台の前を照らすと何が照らされるのでしょうか。幕屋の図を見ると分かりますが、聖所で「純金の燭台」は、「パンの机」と向かい合うように配置されています[2]。机の上には、十二の輪型のパンが置かれていました。このパンを燭台は照らすことになる訳ですが、十二のパンは言うまでもなく、イスラエル十二部族を象徴しています。神の民が主によっていのちを与えられていることと、主に自分たちを捧げることが、このパンの机に託されていたメッセージでした。
つまり、そのパンを灯火が照らし出す、というからには、主の民を、主が御臨在をもって照らし、いのちを与え、祝福しておられること。また、主が民の歩みやその状態を完全に知り尽くしておられること、を証しするのです。ここには、イエス様が、
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」[3]
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光である。」[4]
と言われていたことに通じます。イエス様が、光として私達を照らし、いのちを与え、豊かにいのちを持たせ、お恵みくださるのです。
ただ、それがそうである、というのでなく、そのように灯しなさい、とアロンに命じられているのです。ですから、祭司には、民に主の光を照らす務め、また、民が主の光のうちを歩むように導くことが命じられている、と言わなければなりません。そしてそれが、具体的には、次の6節からの、レビ人のきよめに現されていくのです。
レビ人を清める方法は、13節まで書かれています。その後、14節から19節までは、レビ人を取り分ける目的が説明されています。その真ん中にあるのは17節です[5]。
「イスラエル人のうちでは、人でも家畜でも、すべての初子はわたしのものだからである。エジプトの地で、わたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは彼らを聖別してわたしのものとした。」
レビ人を初子としてすべてのイスラエル人の代わりとする、と言われています。また、11節や13節で、
「奉献物」
とあるのは、揺り動かすささげ物のことです[6]。生贄の胸肉を両手に乗せて、主に向けて揺り動かし、直接燃やして捧げることはしないけれども、主のものであることを表した、そういう言葉が使われています。レビ人を実際に揺り動かすことはしなかったでしょうけれど、それでもレビ人は、生きながらにして、主のものであることが強調されています。
ただ、そのためには、7節以下にあるように、罪のきよめの水を振りかけ、全身の毛を剃り、服を洗い、生贄を捧げなければなりませんでした。それも、罪のためのいけにえと全焼のいけにえ、それぞれ一頭ずつの雄牛を捧げます。イスラエル人がレビ人に手を置き、レビ人は雄牛の頭の上に手を置いて、とありますが、どちらも「これは、私の代わりです。このものに託して、私自身をお捧げします」という意味が込められた行為です。イスラエル人はレビ人に代表され、レビ人は雄牛に託して、自分の罪を贖われ、また、自分自身を捧げる-主のものとしてしまう。儀式の一つ一つが象徴しているように、主のものとして新しく生きることによって、民全体に対するメッセージを運んだのです。それは、民が主のものである、ということです。
レビ人が、主のものとして生きること、全身を剃ったり、生贄を捧げたり、また、会見の天幕で仕えて生きる姿そのものが、民に対して、自分たちの本分を思い出させてくれるものとなりました。主が民の真ん中にいてくださること。エジプトの奴隷生活から贖い出してくださったこと。この方の豊かな祝福のうちにいのちを与えられていること。それゆえに、罪を離れ、主に仕え、きよく生きるべきことを、思い起こさせていたのです。つまり、レビ人が、主の民に対する光となったのです。
そういうことを考えますと、最後の23節以下で、二十五歳から五十歳までがレビ人の現役年齢と規定されていることも、民全体にとっての弁えとなるからではないでしょうか。若い勢いで早くから奉仕することも出来ないし、五十過ぎても「まだ体力に自信があるから」と引退を先延ばしにすることも出来ません。働きを決めるのは主です。それ以上に、私達が何かをすることが大事なのではない。自分の働きは、主がお決めになるのであり、自分が何かをすることよりも、次の世代に大切な働きを引き継いでいくことこそが大切な務めである。そういう弁えを持つことが、イスラエルの民に対しての「光」でもあったと言えるでしょう。
この光は、民の上に燦然と輝いていたわけではありません。大きな燭台が太陽のように照り付けたのではなく、聖所の暗い部屋で、七つの灯火が照っているだけでした。それは、この光が、華やかで花花しい光なのではなくて、ひとりひとりの心の奥深いところで、本人しか知らない(本人と主だけが知っている)ところで灯る光であることを教えてくれているように思います。イエス様の光は、そのようなものなのではないでしょうか。そして、マタイ五章の「山上の説教」でイエス様が弟子たちに対して、
「あなたがたは世界の光」[7]
と言ってくださったのも、世界で煌々と輝くスターになるというようなことではなく、
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」[8]
と言われた言葉を受け入れた者への言葉なのです。迫害され、悪口雑言を浴びせられ、悲しみや飢え渇きがあるとしても、その存在の深い所にあって、私達を照らし、いのちを注いでおられるお方の光が灯っている。キリストの光の中で生かされている。夢や理想を追うのではなく、御言葉によって明らかにされている現実の中で、自分の小ささ、貧しさ、罪深さを深く弁えつつ、そんな私達をも愛される主のご計画を約束されている者として歩みを続ける。それが、この世の光となるのです。
「光を造られた主が、私共に光なるイエス様をお遣わし下さり、私共をも光としておられるその御心を思い、感謝します。あなた様の光を、朝に晩に心の深くに戴きながら歩む幸いな務めを果たさせてください。今、聖晩餐の食卓を聖霊の光によって照らしてください」
[1] 出エジプト記二五37
[2] 下の図を参照。空知太栄光キリスト教会のHPより引用させていただきました。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E5%B9%95%E5%B1%8B%E5%BB%BA%E9%80%A0%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E7%9B%AE%E7%9A%84
[3] ヨハネの福音書五12
[4] ヨハネの福音書一4
[5] この前後は、abcdedcbaという内容の平行構造(キアズム)を取っています。中央eにあたる17節の中心性が浮き彫りにされます。
[6] 民数記六20、十八11など。
[7] マタイ五14
[8] マタイ五3
2011年10月30日 Ⅰコリント2章「聖霊によらなければ」
毎年、十月の最後の主日を「宗教改革記念礼拝」と位置づけています。十月三一日にルターが「九五箇条の提題」を張り出したことに由来するものですが、特に私達長老教会にとっては、ルターよりもその後の宗教改革を発展させていった、改革派やカルヴァンといった人物に焦点を合わせています。そこに、私達の教会の伝統が原点を持っているからです。とはいえ、その伝統に固執するのではありません。むしろ、改革派の伝統のモットーの一つが、「改革された教会は絶えず御言葉によって改革され続けなければならない」というものでした[1]。
昨年公刊された、『説教をめぐる知恵のことば』という本があります[2]。この本で、カルヴァンが引用されるのが、「聴き手」という項目の中なのです。「聖霊の内的啓示」というテーマで、カルヴァンの言葉が紹介されます。聖霊の照明についてカルヴァンほど力説した人はいない、という説明が付け加えられています。「聖霊の神学者」とも呼ばれるカルヴァンが、説教においても、聖霊が、聴く会衆の中にも働いてくださらなければその説教が実を結ぶことはないのだ、とハッキリ位置づけたことが確認されるのです。
この聖霊のお働きと切り離せないのが、私達人間の罪をどれほど深刻なものとして考えるかということでした。わかりやすく、それ以前の中世カトリック教会の考え方から話しますと、それまでは人間が自分自身の思索や探求によって、キリスト教の真理に到達することも出来る、という考えをしていたのです。また、罪は何かの行動に現せば重く問われますが、心における罪まで問題にはしなかったのです。「懺悔」として知られる「告悔(悔悛)」という制度がありますが、犯した罪を司祭に告白して赦しのための課題を果たさなければ赦されない、と教えるのです。しかし、心において憎むとか呟くとか思い上がるという罪は、いちいち告白していたら大変になるわけで、そういう罪は問題視されませんでした。極めつけは、「免罪符」として知られる制度で、高い金を出してその札を買えば、自分や死人の魂が滅びから天国へ驀地にお墨付きをいただけるというものです。一番基本的な間違いは、イエス様の十字架が不完全になってしまうからに違いありませんが、その一面が、やはり罪そのものの誤解です。悔い改めて罪を捨てることなしに「そのままで」救われるとはどういうことでしょうか。罪を捨てきれないまま、それでも天国へ行けるとは、罪を麻疹程度にしか考えていなかった事例です。
こういう風潮の中で、ルターが立ち上がり、カルヴァンもそれに続きました。カルヴァンはその著作の中で、人間の心が鈍いので、とか、愚かなので、という表現を繰り返します。私達が、罪のために徹底的に鈍感になっていて、神を自分で求めたり、真理を悟ったりすることなどは出来ない。また、いくら正しく立派に生きようとしても、心において罪に汚れている以上、救いを勝ち取る善行など到底出来ないという理解が、「信仰のみ」という姿勢となりました。そして、悔い改めることなしに、免罪符や何かによって救いを得ることなどは事の本質上ありえないし、この地上の生涯が、罪から救われていく「聖化」の生涯であると教えられたのです。
勿論、これはプロテスタントがこう教えた、以上に、聖書がこのように教えている事実に改革者たちが気づいて、そのように信じ、教えたことが大切なのです。先のⅠコリント二章でも、パウロは、信仰は御霊の啓示によるのだとこう言っています。
「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたのではなく、御霊と御力の現れでした。」[3]
「まさしく聖書に書いてあるとおりです。
「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、
神の備えてくださったものは、みなそうである。
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」[4]
そして、その先の一章では、
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」[5]
と言い切っていたのです。
先の本で、カルヴァンの文章を解説して、こういう一文がありました。
「み言葉を心の上に「焼き付ける」ために、…心を不信仰に対して閉ざすことが必要」
だとカルヴァンが教えた、というのです[6]。心を信仰に導く、というだけでなく、心を不信仰に対して閉ざす、という表現にハッとさせられる思いでした。私たちは無知で愚かだ、というだけでなく、頑なで狡い。神中心だと言いながら、少しでも自分の利益や好みを紛れ込ませようとする。執拗に働くエゴイズムが、御言葉を聞きながらも、それを歪めてしまう。だから、その不信仰に対して心を閉ざすことが必要で、それも自分では出来なくて、聖霊の働きによる恵みなのだ、と教えられるのです。
一方で、罪について、その深さを強調する余り、私たちはつい、それを精神的なものとして偏って考えがちです。個人主義的に捉えてしまうのです。しかし、カルヴァンはその深さを弁えるからこそ、罪ある者たちの集まりがもたらす社会の危険性ということも十分に強調しました。それが、教会もまた、罪人の集まりであり、社会や政治においても、罪の影響を免れない、という理解です。牧師や長老をもチェックしたり問題が起きたら処理をしたりする制度が必要だと考えましたし、国家が放っておけばすぐに自分を神格化してしまうようになることをも予言して、教会が国家に対して自律していることを強く主張しました。
けれども、罪が社会的なものでもあるからこそ、貧者や孤児、病人のための施設を運営することも教会の務めであると考えていたのがカルヴァンです。警告や危険視だけでなく、積極的な対抗措置を取ろうとした。批判や「それ見たことか」的な態度ではなく、罪には、恵みによって打ち勝つ必要を感じていた、と言えます。決して、そういうことをしている自分たちが立派だとか愛があるとか、思い上がるためではなかったのです。
人間の罪の徹底ぶり、それゆえに、救いは聖霊がお働きくださることによるという徹底した聖霊への信頼。けれども、そこで終わってしまうとしたら、結局、人間の罪をまだまだ甘く考えているのでしょう。カルヴァンは、それゆえにこそ、罪から私たちの心や生き方がきよくされていく、聖化の歩みをも強調しました。自己中心ではなく自己放棄となること。責任を負い、怠惰を捨てること。勿論それも、聖霊の御業に他なりませんし、聖書そのものが教えていることに他なりません。私たちの罪が赦される、ということを私たちはつい、罪を「大目に見る」程度のことだと考えてしまいます。しかし、主イエス・キリストにある罪の赦しとは、罪のせいで罰しない、というだけでなく、罪そのものから私たちを救い出してくださること、私たちの生き方と心とをキッパリと罪に背を向けさせて下さることを指しています。神様が用意してくださった救いのご計画とは、私たちを聖として神の御性質に与らせてくださることを目的としています。そこで、私たちが、難しいなあ厳しいなあと思うだけでなく、改革者たちのように、罪の忌まわしさ、醜さ、自己中心で思い上がっていることを深く恥ずかしく思って、その罪からきよめられたいという願いを強く持たせていただきたいものです。
カルヴァンは、神の主権とか予定論で知られます。小難しい事を言う冷血漢というイメージが付きまといます。けれども、カルヴァンが神学者であると同時に牧会者であり、魂への配慮を心がけ、かつ妥協することなく罪を罪として警告したことも近年ますます明らかにされています。その底には、カルヴァン自身の敬虔さがありました。
私たちもその伝統を感謝して、中世の甘い罪意識に戻るのでなく、目覚めた信仰をもって、聖霊のお働きへの信頼を告白したいと思います。自分も他の人も、利己主義や無責任を拭い去りがたい罪を抱えている者なのだ、という事を弁えるのです。そのような自分を、聖霊が捉えてくださって、救いに与らせてくださっている。その御力によって、私たちが本当に心を罪や不信仰から救い出され、神様に依り頼むようにされている。この幸いを深く心に刻むのです。
「教会を愛したもう主が、昔と同じく今も、私共を動かし、鈍く愚かな心を照らし目覚めさせてくださいますように。謙って、本当に主の恵みに満たしてください。罪を甘やかさず、悪にも善をもって打ち勝たせてください。教会の信仰の遺産を継承させてください」
[1] これは、ラテン語でecclesia
reformata semper reformanda と言われたものを訳したものです。センペル・レフォルマンダという音訳で言われることもあります。
[2] リチャード・リシャー(編集)『説教をめぐる知恵の言葉 古代から現代まで』上下二巻、加藤
常昭訳、キリスト新聞社、2010年。
[3] Ⅰコリント二4
[4] Ⅰコリント二9-11
[5] Ⅰコリント一18
[6] 上掲書、下巻、151頁。
2011年10月23日 ヨハネ20章30~31節「イエスの御名によって命を得るため」
今日の箇所は、ヨハネ二〇章の締めくくりですが、現在では、これが本来の「ヨハネの福音書」全体の結びの言葉だったのだろう、と考えられています。次の二一章は、細かな所で今までとは違っています。また、ここでこのような言葉を入れて流れを断つ意味も分からない。だからきっとここで一旦ペンを置いたヨハネが、出版まで時間が掛かっている間に、何かの事情で二一章を書かざるを得ないと思って、書き加えてから公刊された。そういうことではないか、と言われています。
ともかく、ここでヨハネが、
「30この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。」
と、本書全体を振り返るような言い方をするからには、今まで読んで参りましたヨハネの福音書が、何であったのか、何のために書かれた書であったのか、ということをこの機会にシッカリ心に刻んでおかなければ、と思うのです。
聖書が何を言いたいのか、何のために書かれたのか、ということを、人間の側で勝手に思い込んでしまい、あれこれ継ぎ接ぎをしたり、本来とは違う勝手な結論を下したり、こことここが矛盾しているからウソだ、と尤もらしいようで早呑み込みでしかないことを言う人は後を絶ちません。しかし、ここには明白に、聖書には書かれていないイエス様の御業も沢山あったと断り書きがあります。ヨハネは「七つのしるし」を伝えてきたのですが、それが全部ではないのです[1]。ヨハネ以外の、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書に伝えられている記事にも、ヨハネが記さなかった記事がありましたし、マタイ、マルコ、ルカは記録しなかった出来事で、ヨハネが書かなかったら私達が知ることの出来なかったろう記事もあります。それ以外にも、イエス様がなさったしるしは多くあるのです。最後の二一章で、もう一つの奇跡的な出来事を書いた上で、ヨハネは、こう綴ります。
「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」[2]
そのように溢れる程の出来事の中から、福音書記者たちが選びに選んで記したのが四つの福音書なのです。私達は、ここに書かれていないことを詮索するのでなく、書かれていることから注意深く聞き取らなければなりません。そしてここ、二〇章には、あえてヨハネが選んで記した目的が間違いないよう書き刻まれています。
「31しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」
イエス様を、キリストとして信じる。また、神の御子なるお方、この方ご自身が神なるお方、として信じる。それが数え切れないほどの主の御業から厳選してこれらのことを書いた目的だというのです。
改めてヨハネ伝全体を振り返ることは出来ませんが、ヨハネ伝を間もなく礼拝で読み終えようとしている今、この目的を心に刻みたいものです。これまで聞き続けて来たことから、イエス様がただの偉人や聖人などではなく、神の御子であられ、永遠におられるお方、全知全能の神であられることを信じることが出来る。キリストとして、私達を治め救い出してくださるお方だと十分分かったはずです。このことを信じることで、
「…イエスの御名によっていのちを得る…」
ところで、以前にもお話ししてきたことですが、ここでは、信じるという単語に、「信じ続ける」という意味のある形が取られています[3]。まだイエス様のことがよく分からない人に、この福音書を読んで、イエス様が神の子キリストだと信じて欲しい、というよりも、もう信じている人がずっと信じ続けるため-途中で信じることを止めて、信仰に背を向けてしまわないため-に、この福音書を書いたのだ、というのです。一度信じてしまえばもう大丈夫、ではない。信じた者が、信じ続けることが出来ずに離れて行ってしまうことが多い。その理由は、人を恐れてであったり[4]、見えるものを求めてであったり[5]、イエス様への信仰ということを拒んだり[6]、様々です。けれども、どんな理由であれ、イエス様について信じることを止めてしまっては、いのちを得ることが出来なくなる。だから、一度信じて安心、ではなく、信じ続けさせるために、とヨハネはこの福音書をわざわざ書いたのです。
もう一つ、誤解を恐れずに言えば、ここでヨハネは、イエス様を信じればいのちを得るとではなく、
「信じて、イエスの御名によっていのちを得る」
という言い方をしています。イエスの御名で、とは、イエス様のお名前を呪文やキーワードのように使えば永遠のいのちをいただける、というのではありません。御名(名前)とはその人本人そのものです。その人格でありその業やすべてを込めて「御名(名前)」というのです。ですから、イエス様の御名によっていのちを得る、というのは、私達が信じるとき、イエス様の十字架の御業や恵みに満ちたご人格に私達が肖って、永遠のいのちをいただく、と言い換えてもいいでしょう。
しかし、もう少し突っ込むなら、イエス様はこの福音書で、ご自分という道を通って救われる、とも仰ってこられました。弟子たちに、
「わたしを信じなさい。光の子どもとなるために、光を信じなさい。互いに足を洗い合いなさい。互いに愛し合いなさい。」
と教えてこられたのです。
「平安があなたがたにあるように」
と宣言してこられたのです。イエスの御名によっていのちを得るとは、そういうことでもありませんか。自分の好きな道を進みたくて、イエス様の御名だけを唱えていれば救われる、ではない。イエス様が私達に、いのちを与えるために、色々な言葉を重ねて私達に道を示してくださっている。それをすべて出来わけでは全然ないのですが、それでも、私達は、信じ続けるうちに、愛すること、赦すこと、仕えること、正しく生きることを学んでいくのではありませんか。イエス様が救ってくださるのだから、自分は何もしなくても良くて、好き放題、我が儘や世間体を伺うような生活をそのまま続けていて生きていく…それでも永遠のいのちがいただけないとは言いませんが、いのちとは、自己中心を捨てて、神さまの愛の光の中で、砕かれた心をもって生きること、なのです。
「イエスの御名によっていのちを得る」
とは、イエス様のご人格に肖って、私達もまた、主に似た者へと変えられていくことによって、いのちを得ることでもあるでしょう。逆に言えば、いのちとは、主の御名によって歩むことによってしかいのちではあれないものなのです。
しかし、このような言い方をしても、誤解しないでください。主の恵みだけでは駄目で、いのちを得るためには人間の努力も必要だ、ということでは決してないのです。ヨハネはイエス様の御言で、神様が救おうとされた家は確実に救われることを強調します。
「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせること」[7]
とも言っていたのです。ですから、ここでヨハネがこの福音書を書いているのも、主の恵みの力では足りないから、だから信じる途中で脱落していく者が多いから、補うために四つ目の福音書を書いた、のではないのです。むしろ、ひとりも失うまいと決めておられる主が、ヨハネを動かして、この福音書を書かせられたのです。主の救いの御業は、御霊によって直接働かれる、というのでおしまいではありません。人を遣わし、聖書を書かせ、伝道や教育について教会が話し合い、計画を立て、準備をし、といった具体的な形で進みます。同じように、イエス様が私達にいのちを得させてくださるために、御言を示し、戒めを与え、イエス様の御心を明かしてくださって、いのちの道を教えてくださっています。それは、私達には到底「出来た」とか「そう生きています」などとは言えない、まだまだ自分というものを握り締めていることを自覚せざるを得ない道ですが、それでも、私達はイエス様の御名を示していただくことによって、いのちへと招かれていく。それは、私達を捉えて決して離さずに、手取り足取り導こうとしておられる、神様の御愛です。
ですから、私達は、そのようなご配慮から与えられた御言に耳を傾けて聴き、学んでいきたいと思います。御言に聞き、信仰を養われて、イエス様のいのちに招かれるなら、私達の信仰は養われ、確かにされていくのです[8]。
「あなた様の救いの御手が、この御言を通して私共に差し出されていました。御言の招きに、しくじり躓きながらも応えることで、永遠のいのちを得させてくださるご配慮です。今日、ここから遣わされていくそれぞれの生活が、生きる現場が、あなた様を信じ、いのちに生きる者とされていく場、慰めと望みを、勇気と愛をいただく旅路でありますように」
[1] ヨハネは、一章から二〇章の間に、復活以外に、「カナの婚礼のぶどう酒」の奇跡(二章)を初めとして、七つの奇跡を記します。これは、完全数の「七」にもメッセージを込めて、イエス様の完全さを証ししようとしてのことです。
[2] ヨハネ二一25
[3] そうではなく、「(一度、決定的に)信じる」という「アオリスト時制」が使われている写本もありますが、有力なのは、ここでお話ししている「現在時制」での「信じ続ける」です。
[4] ヨハネ九22
[5] ヨハネ六30
[6] ヨハネ六60、66
[7] ヨハネ六38-40参照。
[8] ヨハネ五39-40「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」
2011年10月16日 エペソ1章「天にあるすべての霊的祝福」
先月の伝道礼拝では、民数記六章の「アロンの祝福」からお話ししましたが、そこで割愛したものの、お話ししなければならないなあと思ってきたのが、その祝福の中身です。民数記だけでは見えてこないのですが、今日読みました、聖書の最初の創世記ですでに土台とされていて、新約においてはハッキリと啓示されている御心があって、「祝福」を方向付けています。ちょうど、清水武夫牧師も『聖書神学事典』で「祝福」という項目を執筆しておられましたので、今日は、今年度の主題であります、「私たちに現された神のみこころ」を、「祝福」という切り口からお話ししたいと思います。
創世記の一章、先ほど読みました箇所には、人間の創造の記事が伝えられています。その前の動物の創造でも、
「22神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地に増えよ」
と祝福が告げられています。神さまは世界を創造されましたが、中でもいのちあるものを特別に祝福することを御心としておられます。更に、人間は、神がご自身のかたちとしてお造りになり、このことに基づいて祝福が与えられます。人間にも、
「28…生めよ。ふえよ。地を満たせ。」
と動物と同じ言葉が言われますが、それに加えて、
「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地を這うすべての生き物を支配せよ。」
と言われ、
「29…見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。」
と言われています。これだけを読むと、人間が生き物を支配し、植物を我が物としてよいとはとんでもない、という印象を持つ方もいるでしょう。実際、近代西欧では、この言葉を持ち出して、環境破壊を権利として主張したり、動物の乱獲や絶滅も正当化したりしてきたのです。
しかし、そういう見方は当たりません。ここでは、人間が「神のかたちに造られた」ことを踏まえて、この言葉が与えられています。神様は、万物をお造りになり、時間を掛けてこれをご覧になりました。また、すべての動物を祝福なさいました。
「31神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」
とあるように、お造りになったものを喜ばれ、祝福され、そのいのちのために自然を備えられたのです。この神の「かたち」に造られた人間は、その神のみわざを現すように、地を従え、支配するのでなければなりません。人もまた、世界を祝福するような治め方をすることが求められているのです。
神は愛であられ、恵みに豊かなお方です。人間は、その神の素晴らしさを現すものとして造られた。これは、私たちの理解や想像を遥かに超えた神の「みこころ」であります。後の創世記三章で人間は堕落してしまい、神に背いて、自己中心的な罪に染まってしまうのですが、そのようになる以前に人間に与えられた祝福は、万物を治める神の御栄えを現すということでした。
また、創世記二章で、
「神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。」
とありますが、この第七日目だけは、終わったとは言われていませんから、現在の歴史をこのように表現しているわけです。そして、今のこの歴史が、神様の祝福のうちにあり、人間が祝福を完成させていくものであることを教えています。人間は堕落して、神の祝福に背いてしまうのですが、神様の祝福の御心は変わることが無く、贖いのご計画を果たしてくださって、私たちに祝福を与えてくださいます。つまり、ただ人間を滅びから救うとか、この地上での幸せを与えるとかいう以上に、神のかたちとして、神の栄光を現して万物に関わらせることこそが、神様の目的なのです。
パウロはエペソ書一章で、
「 3私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」
という言い方をしています。そして、
「 4すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
5神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」
と続けています。ここにも、「天にある全ての霊的祝福」という中身が、私たちをイエス・キリストにあって、御前で聖なる、傷のない者にしようとされること、ご自分の子にしてくださるという祝福であることが、ハッキリと教えられています。イエス・キリストにあって私たちに与えられる祝福は、神様の目にあって完全なものとされ、神の子どもとされることです。それは、神の子どもという立場だけでなく、神のかたちとしての実質をも伴うことです。それが、「天にある全ての霊的祝福」ということです。また、この祝福は、
「世界の基の置かれる前から」
イエス・キリストにあって定められていた祝福です。これは、永遠の祝福であり、私たちが神の子どもとしていただく根拠は永遠に根差しているのです。
ペテロは言います。
「あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、謙遜でありなさい。
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」[i]
私たちは祝福を受け継ぐために召された。この祝福とは、ただ幸せになるとか、豊かになるとかいうことではなく、神様ご自身の恵みに私たちが新しくされ、神様の栄光を現すものとなる、ということです。「天にある全ての霊的祝福」と聞くと、そうだろうか、もらっていないものの方が多いような気がする…。そんな思いも湧かないでしょうか。
しかし、神様が永遠の昔から備えられた祝福とは、もっともっと大きいのです。神様ご自身の子とされて、その神様の持っておられるすべてを受け継ぐ子となるのです。人間の思い描く宝とか幸運とか、そんな小さなものではなく、神様の愛に私たちの生き方も根底から作り替えられるのです。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」[ii]
という有名な御言葉も、
「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。」
と続きます。御子のかたちと同じ姿へと変えられていくために、すべてのことが働いて益とされるのです。私たちの目から見て、悪いようにはならない、ハッピーエンドになる、ということではありません。自分を強く握り締めていたい自我にとっては、厳しく、痛く、望ましくないようなこともあるのです。神様の愛は、優しさとは違います。厳しい、容赦のないものです。私たちを愛すればこそ、小さな我が儘も、一瞬の不機嫌も、正当化することはお許しにならない。砕かれる体験を通されます。けれども、そうしたことを通して、私たちがイエス様と同じ姿へと変えられていく。プライドとか我が儘を一つ一つ剥ぎ取られながら、私たちが神様との真実な交わりにおいて成長し、主に栄光をお返しするものとされていく。足りないものを数えることを止めて、私たちが何かをすることが重要なのではなく、主の永遠の御手の中にある者としての平安を喜ぶものとされていく。そのために、すべてのことが意味を持っている、ということです。
私たちに対する神様の御心は、私たちが祝福を受け継ぐことです。それも、人間が思い描く、どんな野望や夢よりも大きく、神様ご自身との親しい交わり、親子の絆という最大級の祝福です。それぞれが置かれている状況で、神様の個別に具体的な御心(何のために、何をなさろうとしているのか)は見えないとしても、すべてのことは、私たちを祝福するために、また、私たちが祝福の神のみわざをこの地上でなすために、働くに他ならないのだと覚えたいと思います。そして、その祝福の完成する場としての御国を、待ち望み、希望をもって歩ませていただきたいものです。
「あなた様は造り主にして支配者であるばかりか、最大の祝福のうちに私共を愛しておられることを感謝します。祝福ならざるものから自由にならせてください。イエス様に似た者に変えてください。祝福を受け継ぐ望みと、祝福を伝える尊い務めをお与えくださ
2011年10月9日 ヨハネ20章24-29節「私の主。私の神」
十二弟子の一人のトマスは、今日の箇所のエピソードで知られている人です。何故だか最初のイースターに一人だけ別行動を取っていたため、イエス様にお会いすることが出来なかった。それで、他の弟子たちがイエス様にお会いしたと言ったのに、トマスは頑固に信じようとせず、
「25…私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」
と言い放って憚りません。ここから、トマスというと「疑り深い奴」を指すようになります。もっとも、英語圏でトーマスという名前が嫌われている訳ではないことを考えると、「猜疑心の塊」という程でもなく、「愛すべき疑問屋」と思われているぐらいなのかも知れません。
実はトマスがヨハネの福音書に登場するのは、ここが初めてではありません。十一6では、ラザロをよみがえらせるためにイエス様がユダヤに行こうとされたとき、
「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」
と早合点したことを勇んで口走ります。わざわざ、
「デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。」
と書かれていますから、こんなことを言う人は他にはいなくて、トマスの血の熱さを感じさせます。もう一箇所、十四5でも、最後の晩餐の席でイエス様に、
「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
と、ストレートな質問をしています。ちょっと場違いな、十二弟子の中でも「浮いている」ような存在だったのかも知れませんが、それでもイエス様に対して一生懸命についていこう、離れずにいよう、という思いがよく見えてくる、そんなトマスでありました。
二〇章だけを読むと、トマスは疑って、頑固だなあ、素直じゃないなあ、などと思うのですが、一旦そういう先入観を捨てて、今読んだような御言から思いを組み立ててみましょう。そうすると、トマスはイエス様を愛していたんだと思えます。一緒に死のうとさえ思い、どこに行くのか分からないから教えて欲しい、と食い付いていこうとしたトマスが浮かびます。だからこそ、一緒に死ねず、逃げてしまった自分を恥じていたのではないか、最初のイースターの日も独りになっていたかったのではないか、と思えます。釘の跡や脇の傷跡に手を差し入れなければ決して信じない、と鼻息を荒くしたのは、トマスの悲しみの裏返しだったかと思えます。
「26八日後に、…」
とありますが、この月曜日にイエス様が現れるとは誰も予想していなかったはずです。それまでの毎日、イエス様がまた来られるんじゃないかと楽しみにしていたでしょうが現れず、もう諦めかけていたかも知れない、そこにイエス様が現れた。それは、本当に弟子たちにとっては驚きでした。その驚きをもって、弟子たちは、土曜日ではなく次の日曜日を、「主の日」として礼拝をするようになり、今日に至っています。しかし、イースターの翌週、この八日目の日曜日に主が現れたのは、まるでトマスのためであるかのようです。トマスの疑いを取り去り、信じさせるためにイエス様が、わざわざ現れたかのようにしか読めない。
そして、イエス様が前回同様、
「平安があなたがたにあるように」
と言われた後、
「27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの手に入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」」
まるで25節のトマスの言葉を聞いていたかのように、トマスに声をお掛けになります。こう言われて、トマスはどうしたのでしょうか。手をイエス様の傷跡に突っ込んだのでしょうか。そうだと言う人もいますが、そうではないと言う人もいて、私もそう信じる一人です。なぜなら、トマスは復活の証拠を見せてくれ、と願っていたのではないのです。一緒に死んでもいいと思うほどに慕っていたイエス様が、十字架に釘打たれ、死なれて、なお槍で突かれた。そのことが受け入れがたい中でしか、こういう台詞は出て来ないのではないでしょうか。だから、イエス様が目の前に、否定しようのない形で現れてくださり、傷跡を差し出され、自分の一週間前の台詞を全部聞いておられたと知ったとき、トマスは、イエス様の復活をお祝いしたというだけではないのです。死なずに生きておられてよかったと喜ぶだけではない。
「28トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神」」
トマスもまた、イエス様が、神であられるという確信を持たされます。イエス様を敬い愛するだけでなく、賛美と礼拝を告白しています。自分が間違っていたという恥ずかしさやばつが悪い思いなど吹き飛んでしまっていて、イエス様が神であられるという事実に目が開かれて、圧倒されています。それは、言うまでもなく、彼自身の力や心で悟ったのではなく、聖霊なる神様が働いて、悟らせてくださったからに他なりません。
この開眼に添えて、イエス様がこう言われます。
「29イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」」
トマスの体験を私たちは羨ましいとも思います。イエス様に直接お会いできたら、その傷を触れるほどに示していただけたら、と思ったりします。けれども、私たち、イエス様にお会いする事なく信じる者も幸いなのだとイエス様は仰います。その理由の一つは、トマスたち使徒は、イエス様と共に過ごした第一世代の証人としての務めがありましたが、それが土台となって、以降の教会は、イエス様を見ないけれども信じていくのです。トマスたちだけの特権を羨む以上に、そこにはトマスたちがイエス様の証人として委ねられた重い務めがあったことを心に刻みましょう。伝説では、トマスは主の証人としてインドにまで出掛け、そこで殉教の死を遂げたとされています。
次に、イエス様を見たから幸せなのではない、ということを覚えましょう。見て信じなかった者も多かったのです。ならば、見なくとも信じたならば幸いです。いいえ、見なくとも信じさせていただいたことそのものが、聖霊の御業の証しなのです。勿論、ここから、何でもかんでも「信じる者は救われる」と言っていると考えてはなりません。今日の箇所を受けて、次の30、31節では、
「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」
という表現が出て来ます。何でも無闇に疑わずに信じれば幸いだというのではない。イエス様を神として信じることです。そこには、周到な証人がおり、育成期にもわたって試され耐えられてきた、十分な証拠があります。そしてそこには、私たちもまた、
「私の主。私の神」
とイエス様をお呼びできる、そういう絆があるのです。
来月大会会議が開かれます日本キリスト教団吉祥寺教会の牧師でありました竹森満佐一牧師がこんなことを語っているそうです。
「一番疑い深い、一番弱かったトマスが口にしました信仰の告白が、それからのち、二千年の間、代々の教会のほんとうの信仰の告白になったのです。われわれは、神の驚くべき奇跡をここに見る思いがするのであります。ペテロが言った事や、パウロが言ったことではないのです」。[1]
ヨハネが特筆しなければ覚えられる事もなかっただろうトマスです。他に何をしたとも記されない、弟子たちの中で浮いていたとも読める、そのトマスに、主が近づいてくださいました。そこでトマスは、「私の主、私の神」と言わざるを得ませんでした。
先に読んだ創世記では、ひとり家を離れていくヤコブに主が現れて、ともにいることを約束されました。目覚めたヤコブは、
「主が私の神となられるなら、」[2]
という祈りを捧げます。詩篇二三篇ではダビデが主を、私の羊飼い、と呼びます。よみがえられた主は、見えなくても、私たち一人一人に近づいて、「私の神」となってくださる。私のために受けられた傷を示してくださり、信じなさい、と仰ってくださる。この幸いな確かさを、私たちもまた、聖霊によっていただいて、信じ続けさせていただくのです。
「主が私の神となってくださっているゆえに、平安と喜びをもって出て行く事が出来ます。主の傷に指を突っ込んでしまうような、疑いやすく、信じない者ですけれども、それでも、見えるものにではなく、あなた様の確かな約束に根差す、幸いな者としていただきました。閉ざした戸からも入り、疑う者をも信じさせる、その主の御業を運び、拝させて下さい」
2011年10月2日 民数記7章「祭壇奉献のささげ物」
この民数記七章は、ある注解書によれば、詩篇一一九篇を除けば、聖書で最も長い章だそうです。いずれにせよ、聖書で最も退屈な章の一つでしょう。延々、十二部族の捧げ物が、人の名前以外は全く同じに十二回繰り返されるのです。しかし、それでも聞くべきことはあるでしょう。
説教題にあるように、ここでは、
「祭壇奉献のためのささげ物」
という言葉が何度も出て参ります。それは、この捧げ物が、
「 1モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具もそうした。彼がそれらに、油をそそいで聖別したとき、」
とあるとおり、当時の神殿にあたる「幕屋」が完成して、祭壇が聖別したその日に、民の族長たちが、車と牛、また、様々な捧げ物を持ってきた、というのです。ここから二つのことが分かります。一つは、民数記が時系列に沿って書かれていないことです。この
「幕屋を建て終わった日」
とは、出エジプト記の最後によれば、イスラエルの民がエジプトから出てちょうど二年目の第一の月の第一日とされています[1]。ところが、民数記の一1は、
「二年目の第二月の一日に」
とされていました。ですから、この七章は、ひと月戻ることになります。
第二月の人口調査から書く事によって、私たち読者は、神の民が数えられ、整えられて、主の臨在を中心として旅をし、戦っていく民であることが強く印象づけられます。その上で、第一月のこの奉献に戻るにしても、そこでもやはり、レビ人が幕屋を担っていくこととか、十二部族の登場の順番とかを、そういう視点で読めるわけです。十二部族が、一日一部族ずつ捧げ物を携えてくる事実そのものが、民の巡礼の歩みであるかのような印象さえ持つのです。主の民は、主の臨在を中心として地上を旅する寄留者に過ぎません。豪華な神殿を建てるのではなく、幕屋を建てては畳んでまた動いていくのです。族長たちが最初に捧げたのは、幕屋を運ぶレビ人たちのための牛と車だったのです。ある注解者は、「私たちは常に変化に備えていなければならない」と書いていましたが、傾聴すべきでしょう。
もう一つ、1節から分かるのは、この捧げ物が、主が命じられたのではなく、民の族長たちが自分たちで考え、捧げることもその数量も決めた、「自発の捧げ物」だということです。民は、主が用意してくださった、この祭壇、幕屋を本当に感謝したいと思ったのです。
出エジプト記を読めば分かりますが、ここに至るまでに、民は散々、主を怒らせるようなことをしてきました。それでも主が、憐れみをもって彼らを赦し、幕屋を建てさせてくださり、これからはこの幕屋と祭壇を用いての礼拝を受け入れてくださろうとしています。祭壇に捧げる捧げ物を主が受け入れてくださるということは、それを捧げる民を受け入れてくださる、ということです。もっと言えば、レビ記での説教でもお話ししたことですが、祭壇は礼拝者そのものを表しているわけです。ですから、祭壇奉献のために族長たちが捧げ物を持ってきたということは、祭壇においてこれから捧げられていく生贄の儀式を、自分たちそのものだと受け止めたということでしょう。
また、その捧げ物も、私たちが重きを置きがちな、罪のためのいけにえがたったの一頭なのに対して、穀物の捧げ物の豪華さや、全焼のいけにえが三頭、和解のいけにえときたら十七頭という圧倒的な多さが目を引きます。これは、罪の赦しという、ある意味では消極的な、また、自分の側の得になること以上に、主への感謝と献身、そして、主との親しい和解の交わりに重点を置いていたということです。罪が赦されておしまいではなく、主を慕い喜ぶ交わりに目が向けられていました。命じられた生贄を捧げるだけでなく、自分から主に心を捧げようと決めたのです。
そして、最後の89節、
「モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」
とあるのは、民が祭壇に託して自らを主に捧げたときに、主がこの幕屋において語られる、至聖所の「契約の箱」に置かれた蓋から語られ始めたというのです[2]。主との交わりの、新しい段階がここに始まったのです。
しかし、こうしたことを分かったとしても、それでも、この七章の長さ、諄さ、ということはどう考えればよいのでしょうか。何も、こんなに繰り返して同じ事を書かなくても良いのではないでしょうか。「以下同文」で済ませてくれたら、と思いたくなるのです。
しかし、10節11節を見ますと、族長たちは一緒に捧げ物を持ってきたのですが、主がわざわざモーセに、
「族長たちは一日にひとりずつの割りで、祭壇奉献のための彼らのささげ物をささげなければならない。」
とお命じになったのです。みんなまとめて受け付ける、というのではない。今日はこの部族の日、次はあの部族の日、と個別に向かい合われることをよしとされました。十把一絡げではない、一つ一つの部族に特別に対面されました。そして、他の民にも、自分の日だけを喜ぶのでなく、他の民の日を喜ぶことをお求めになったのだなあ、と思うのです。「以下同文」で済ませようとはなさらない神なのだなあ、と思わされます。
やがての終わりの日にも、主は、ひとりひとりをお裁きになります。それぞれのした行為に応じて裁かれます。五タラント預かったしもべにも、二タラント預かったしもべにも、等しく、
「よくやった。よい忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」[3]
との御言が何度でも聞かせられるのでしょうか。私たちにとっては、分厚い聖書の、たった四ページのこの七章さえ長く、諄く思えます。けれども、この四ページで、十二部族に与えられたそれぞれの一日一日は、その本人にとっては何と貴重なことでしょう。そして主は、私たち一人一人も、長い歴史のたった何十年、何十億という人類のたかが一人、などとは決してお考えにならず、一人一人に向かい合い、それぞれの信仰をじっくりと評価してくださる、ということでしょう。
しかし、先に読みました、マタイ十二36では、こう言われていました。
「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。
あなたがたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」
無駄な言葉の全てについて弁明をしなければならない、とすると、一生分の時間が掛かるんじゃないでしょうか。それを、もしも、今まで地上に生きてきた百億もの人が一人ずつ主の前に立たされるのだとすると、終わりの日の裁きだけで、人類の歴史以上に時間が必要になるのではないかとさえ思います[4]。
主の裁きは、決して私たちにとっては、やっと褒められるとか、面目を取り戻すとか、そういう基準で考えてはなりません。自分が高められることを期待するのではなく、主に栄光を帰し、心から自分を低めるのがキリスト者の道です。ここで覚えられているのも、生贄を捧げた事実です。勿論、生贄を捧げたことが褒められる、ということではなく、生贄に託して自分を捧げた、ということです。何を捧げたか、どれだけ捧げたか、よりも、私たち自身を主のものとする、ということです。それによって、主を崇めた、ということが大事なのです。そこから踏み込んで言えば、終わりの日の裁きにおいても、どれだけのことをしたか、口先でどんなことを言ったか、というようなものではなく、その心において、主に自分を捧げ、自分を一切誇ったりせず、主を仰いでいるか、ということが裁かれるのだ、と言えましょう。そう考えると、主の裁きにおいて、私たちが、無駄な言葉をすべて弁明しなければならなくなって、地獄に行かなくても顔から火が出てしまうのだとしても、それでもう一度謙らされて、思い上がりの最後の一欠片さえも砕かれるのだとすれば、それはそれで、御国へと入る前の、最後の総仕上げなのかも知れません。
私共一人一人のあらゆる言葉も歩みも、漏らさず知っておられる主の前で、私たちの人生はどう評価されるのでしょう。恐れ多い事ですが、私たちの無駄口への裁きさえも、主の栄光のみわざなのです。私たちの体裁も、この世の物も、すべては過ぎ行きますが、主を心から礼拝し、自分を捧げる歩みは、主の前に覚えられています。それこそは、永遠に主の目に刻まれるわざ、やがて、世界に呼び知らされるわざなのです。
「やがて、主の御前にすべてのわざが晒し出されるとき。それは、主が私共一人一人をどんなに重んじておられるかの証しです。心を開いてください。愚かな誇りから握り締めた手を開き、溢れる恵みへの感謝をもってかけがえのない今という旅路を歩ませてください。」
[1] 出エジプト記四〇1。
[2] これは、詩篇八〇1、九九1などに表現されていることですが、出エジプト記二五22の成就です。
[3] マタイ二五21、23。
[4] 終わりの日にはそういう裁きがある、というのではなく、たとえそうだったとしても、という話です。裁きについてもまた、私たちの現在の想像力では到底追いつかないことが啓示されています。
2011年9月25日 民数記6章23-27節「祝福と恵みと平和の神」
今日開きました、民数記六章の言葉は、「アロンの祝福」と呼ばれて、教会の歴史を通じて今に至るまで、世界中の礼拝で唱えられている祝福の一つです。私たちの教会でも、毎月第一週の礼拝を、この言葉で送り出されていくようにしています。この言葉から、「祝福と恵みと平和の神」と題して、今朝、イエス・キリストの神をご紹介したいのです。そして、ここにいる一人一人が、主の祝福をいただいて帰って頂きたいと願うのです。
祝福、というそのものの言葉が、最初に出て来ます。
「24主があなたを祝福し、あなたを守られますように。」
三行の言葉の最初です。主があなたを祝福してくださいますように。それと結びつくこととして、守られますように、と続きます。祝福とは、よいものを下さるということでしょう。「他者への親愛の表現」とWikipediaにはありましたから、ただものを下さる、ということだけでなく、そこに親愛の思い、心が伴っているのです。神様が私たちを祝福してくださる、というのは、私たちを神様が愛し、喜ばれて、それを具体的に行動に表してくださる、ということです。また、よいものを下さるだけでなく、禍からはお守りくださるように、ということです。
キリスト者として、礼拝でも家庭や個人でも、祈る時に最も良く口にする言葉が、この「守ってください」という言い方ではないかと
25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」
祝福の内容
主が祝福されるだけでなく、そのように祝福せよ、と命じられる主である。私たちが互いに祝福することを願われるお方だということ。争ったり足を引っ張り合ったり、批判し、憎み合うのではなく、
2011年9月18日 ヨハネ20章19-23節「平安あれ」
前回の民数記五章とこの六章とは、主の民の内面的な「聖」、数えたり見たりすることの出来ないところでの、しかし、具体的な現場で問われてくるところの、聖ということを扱っています。特に、今日の六章1節から21節では、「ナジル人」についての規定という、取っ付きにくい決まりが出て来ます。「ナジル」という言葉は、7節と9節で、
「聖別(された)」
と訳された言葉(ネーツェル)から出て来た言葉で、「分けておく」「分離する」という意味です。その通り、ナジル人とは、
「 2…男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをし…」
た人、自分を神様に対して、特別に聖別することにした人を指します。ここでは、
「 4彼のナジル人としての聖別の期間には、…」
とあるように、一定期間の聖別が規定されています[1]。何かしらどうしても神様に誓願を立ててでも叶えていただきたいことがある、というような時に、ある期間、ナジル人となる、ということがあったのでしょう。それは、私たちも似た境遇に置かれることもあるものですし、ある程度、理解や想像の出来る心境です。しかし、このナジル人の規定は、なかなか厳しいものです。まず、その期間の禁止事項が三つあります。第一は、
「 3ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。」
更には、もう酢になったものも、葡萄ジュースも、生の実もレーズンも食べてはなりません。これは、中東のように、水よりも薄めたワインのほうが衛生的という環境では厳しいことです。これは、少しでも酔って罪を犯すことがないように、という面と、葡萄は主の民を象徴するものでもありましたから、主の民との交わりから距離を置く、という面があったのでしょう。第二に、
「 5…頭にかみそりを当ててはならない」
という禁止事項があります。そして、誓願の期間が終わったら、それまで伸ばしていた髪の毛を剃るのです。第三に、
「 6…死体に近づいてはならない。
7父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らのため身を汚してはならない。」
という、あらゆる「死」との接触が禁じられます。更にこの規定は、
「 9もしだれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合、…」
であっても、彼は頭を剃り、いけにえを捧げ、それまでの期間は無効となって、もう一度、ナジル人としての期間を数え直さなければなりません。
その上、13節以下には誓願の期間が満了したときの儀式が規定されていますが、これも、合わせて羊だけでも三頭という高額なものを用意しなければなりません[2]。自分を聖別するというのも楽じゃなかったなあ、と思うのですが、実は、ここに記されている生贄は、大祭司が任職されるときの儀式と同じだけのものなのです[3]。ナジル人となると出費が嵩む、という以上に、ナジル人とは、大祭司に等しい聖なる者である、ということなのです。
他にも、ナジル人は髪の毛を切らないだけでなく、頭そのものが聖別を現すと言われていますが、同じ聖別という言葉が大祭司の「かぶりもの」[4]とか「注ぎの油」[5]と結びつけられて、また「王冠」[6]と訳されて出て来ます。いずれも、頭に関係するのです。大祭司の頭のかぶり物には、「主の聖なるもの」[7]と記された記章がつけられていましたが、ナジル人の伸ばしっぱなしの頭髪はそれに匹敵するほどの、主の聖を現していたのです。ぶどう酒が禁じられたのも、肉親の死にさえ近づいてはならないとされたのも、どれも大祭司への命令でもあったのです[8]。
勿論、ナジル人は、大祭司になれたり代われたりしたわけではありません。大祭司はアロンの子孫と決まっていました。しかし、大祭司にとっては、民の中で最も聖なる立場にいるはずの自分と並んで聖なるレベルに立つ者が現れる、それも女性がナジル人になることもある、というこの規定は、ある意味では、自分たちの特権が脅かされること、自分たちの存在そのものが相対化されるような思いになったことでしょう。そして事実、イスラエルの民は、アロンの子孫だけでなく、すべての民が自分を聖別してナジル人になる-つまり、大祭司に等しい聖なる者となる-可能性が開かれていたのです。
このことが確認されるのが、22節以下の、祝福の言葉です。ちょうど私たちが毎月第一主日に、祝福の言葉として聞いています、「アロンの祝福」とも呼ばれる三つの言葉です。
「24主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」
この言葉の中身については、今月の第四主日にお話ししたいと思います。今日は、なぜここで、ナジル人の規定のあとで「アロンの祝福」が、唐突に登場するのか、ということに目を向けます。そのヒントは、27節です。
「彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
「祈るなら」とは言いますが、祝福しなさいと命じられたのは主ご自身なのです。ですから、ここで強く覚えさせられるのは、主は民を祝福したいのだという事実です。人が祝福を祈り、祝福を求めるに先立って、主の方が「民を祝福したい」という御心をお持ちです。そう願い、そうご計画されて、そのご計画を実現してゆかれるのです。
そして、その「祝福の神」が、ナジル人の規定をも与えてくださっているのです。それは、容易ならざるあり方です。聖なる者として生きることは、困難で厳しい思いをします。しかし祝福とは労苦や訓練なしに考えられるものではなく、労苦を経て与えられるのです。労苦や禁欲的な生活によって祝福をもらえる、ということではありません。決して、祝福は私たちのわざに基づくのではなく、神様の一方的な恵みによるものです。そして、その恵みとは、私たちをご自身に似た者、即ち、聖なる者とするように働くものです。
「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」[9]
と言われるとおりです。聖ならざるまま、祝福だけは欲しい-あるいは、聖なる生き方をすることは、祝福をいただくための手段に過ぎない-という発想ではなくて、聖なる者とされていくことこそが祝福である、ということです。本当に自分は、何一つ自分のものとして握り締めておくものなどなく、「主のもの」「主の聖なるもの」として歩むのです。
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」[10]
と言われている通りです。イエス様がおいでになって、十字架に掛かられて、儀式的な律法は廃止されました[11]。けれども、私たちはナジル人の規定から自由になって、このような生き方をしなくても祝福に与れる、ということではありません。ナジル人の規定で主が仰りたかったことが、イエス様の御業によってこそ私たち一人一人に与えられるのです。それは、私たちが、主の祝福に与るということであり、主の祝福によって変えられるということです。
ただし、このように一般化してしまう前に、ナジル人の規定という具体的なことから二つのことを心に刻みましょう。第一に、死体に触れないということは、祝福が死によって傷つけられてはならない、ということです。イエス様は、死体に触れないどころか、死者の手を取って生き返らせなさいました[12]。だとすればなおのこと、私たちの信仰は、どんな死によってでも打ち負かされないものであるはずです。死はお行儀良く訪ねて来てはくれず、不意打ちであり、遠慮がありません。私たちの生活や目線が、いつ死によって終わるか分からないことを忘れず、その先にあるもの、死によって動揺することのないものとされていく、ということもまた、主の祝福であるのだと、汚してはならないところなのです。
それ以上に、「誓願」といわれる通り、特別に困難な状況や何かを犠牲にしてでもこのことを叶えていただきたいと願掛けをするような出来事というものがあります。新約聖書でも、パウロが困難なコリント宣教の間、ナジル人としての誓願を立てていたようです[13]。たとえそうした願いがなくとも、私たちは神様のものです。しかし、切羽詰まった祈りの課題を通して、私たちが重い腰を上げて、あやふやに誤魔化してきたことを手放し、本気にさせられる、ということも事実なのです。本当に叶えて欲しいこと、より大切なものに集中させられる、というお取り扱いはあるのです。家族の救いや病気の癒し、困窮の打開、といった課題に向き合って、真剣に祈らされること、そして、祈る自分自身の、主の前にある生き方が聖なるものであるだろうかと問い直されて、自分の願いの本気さを省みる。何がなくても主を恐れるべきですがその手前の「聖」として、困難な誓願をも厭わないほどの課題に取り組まざるを得ない、という状況も、決して軽んじてはならないことです。
「主が私たちをご自身のものとしてくださった幸いを感謝します。この世にあってこの世とは違う祝福に生かしてくださることが、あなた様の御心であるとは、何と大きな恵みでしょう。今、主の聖晩餐に与り、イエス様がその死をもって私たちに差し出してくださった恵みの葡萄液とパンを戴きます。私共を、ナジル人に勝る祝福で満たしてください」
[2] 使徒二一章でパウロが出した「費用」とは、これらの羊や穀物の捧げ物のことでしょう。普通は、死体で汚れた場合は、一週間汚れ、三日目と七日目に水を浴びればよいとされています(民数記十九11以下)。
[3] レビ記八章参照。
[4] レビ記八9。
[5] レビ記二一12。
[6] Ⅱ列王十一12。
[7] 出エジプト二八36-37。
[8] レビ記十9「会見の天幕に入って行くときには、あなたがたが死なないように、あなたも、あなたとともにいるあなたの子らも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。」また、レビ記二一10-12「兄弟たちのうち大祭司で、頭にそそぎの油がそそがれ、聖別されて装束を着けている者は、その髪の毛を乱したり、その装束を引き裂いたりしてはならない。どんな死体のところにも、行ってはならない。自分の父のためにも母のためにも、自分の身を汚してはならない。聖所から出て行って、神の聖所を汚してはならない。神のそそぎの油による記章を身につけているからである。わたしは主である。」
[9] Ⅰテサロニケ四3。
[10] ローマ十二1。
[11] イエス様と「ナジル人」の関係としては、直接的には二点挙げられます。マタイ二23で「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。」とあるのが、ナジル人のもじりではないか、というのが一つ。マタイ二六29「ただ、言っておきます。わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」と言われていたのが、ナジル人の誓いそのものであり、私たちを御国に入れてくださることをご自身の誓願とされていると読める。これが第二です。間接的には、誓約の廃止(マタイ五33以下)などは、ナジル人の制度の撤廃とも読めます。
[12] ルカ八54。
[13] 使徒の働き十八18「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出版した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪を剃った。」パウロは、この時、困難なコリント宣教に一旦区切りをつけたところですので、コリントでの内外からの戦いにあって、特別に誓願を立ててナジル人となっていたのではないでしょうか。また、エルサレム教会の弟子たちが誓願を立てていた、という記録もあります。使徒二一23-24「ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。」
2011年9月11日 ヨハネ20章11-18節「主にお目にかかりました」
前回の民数記五章とこの六章とは、主の民の内面的な「聖」、数えたり見たりすることの出来ないところでの、しかし、具体的な現場で問われてくるところの、聖ということを扱っています。特に、今日の六章1節から21節では、「ナジル人」についての規定という、取っ付きにくい決まりが出て来ます。「ナジル」という言葉は、7節と9節で、
「聖別(された)」
と訳された言葉(ネーツェル)から出て来た言葉で、「分けておく」「分離する」という意味です。その通り、ナジル人とは、
「 2…男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをし…」
た人、自分を神様に対して、特別に聖別することにした人を指します。ここでは、
「 4彼のナジル人としての聖別の期間には、…」
とあるように、一定期間の聖別が規定されています[1]。何かしらどうしても神様に誓願を立ててでも叶えていただきたいことがある、というような時に、ある期間、ナジル人となる、ということがあったのでしょう。それは、私たちも似た境遇に置かれることもあるものですし、ある程度、理解や想像の出来る心境です。しかし、このナジル人の規定は、なかなか厳しいものです。まず、その期間の禁止事項が三つあります。第一は、
「 3ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。」
更には、もう酢になったものも、葡萄ジュースも、生の実もレーズンも食べてはなりません。これは、中東のように、水よりも薄めたワインのほうが衛生的という環境では厳しいことです。これは、少しでも酔って罪を犯すことがないように、という面と、葡萄は主の民を象徴するものでもありましたから、主の民との交わりから距離を置く、という面があったのでしょう。第二に、
「 5…頭にかみそりを当ててはならない」
という禁止事項があります。そして、誓願の期間が終わったら、それまで伸ばしていた髪の毛を剃るのです。第三に、
「 6…死体に近づいてはならない。
7父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らのため身を汚してはならない。」
という、あらゆる「死」との接触が禁じられます。更にこの規定は、
「 9もしだれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合、…」
であっても、彼は頭を剃り、いけにえを捧げ、それまでの期間は無効となって、もう一度、ナジル人としての期間を数え直さなければなりません。
その上、13節以下には誓願の期間が満了したときの儀式が規定されていますが、これも、合わせて羊だけでも三頭という高額なものを用意しなければなりません[2]。自分を聖別するというのも楽じゃなかったなあ、と思うのですが、実は、ここに記されている生贄は、大祭司が任職されるときの儀式と同じだけのものなのです[3]。ナジル人となると出費が嵩む、という以上に、ナジル人とは、大祭司に等しい聖なる者である、ということなのです。
他にも、ナジル人は髪の毛を切らないだけでなく、頭そのものが聖別を現すと言われていますが、同じ聖別という言葉が大祭司の「かぶりもの」[4]とか「注ぎの油」[5]と結びつけられて、また「王冠」[6]と訳されて出て来ます。いずれも、頭に関係するのです。大祭司の頭のかぶり物には、「主の聖なるもの」[7]と記された記章がつけられていましたが、ナジル人の伸ばしっぱなしの頭髪はそれに匹敵するほどの、主の聖を現していたのです。ぶどう酒が禁じられたのも、肉親の死にさえ近づいてはならないとされたのも、どれも大祭司への命令でもあったのです[8]。
勿論、ナジル人は、大祭司になれたり代われたりしたわけではありません。大祭司はアロンの子孫と決まっていました。しかし、大祭司にとっては、民の中で最も聖なる立場にいるはずの自分と並んで聖なるレベルに立つ者が現れる、それも女性がナジル人になることもある、というこの規定は、ある意味では、自分たちの特権が脅かされること、自分たちの存在そのものが相対化されるような思いになったことでしょう。そして事実、イスラエルの民は、アロンの子孫だけでなく、すべての民が自分を聖別してナジル人になる-つまり、大祭司に等しい聖なる者となる-可能性が開かれていたのです。
このことが確認されるのが、22節以下の、祝福の言葉です。ちょうど私たちが毎月第一主日に、祝福の言葉として聞いています、「アロンの祝福」とも呼ばれる三つの言葉です。
「24主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」
この言葉の中身については、今月の第四主日にお話ししたいと思います。今日は、なぜここで、ナジル人の規定のあとで「アロンの祝福」が、唐突に登場するのか、ということに目を向けます。そのヒントは、27節です。
「彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
「祈るなら」とは言いますが、祝福しなさいと命じられたのは主ご自身なのです。ですから、ここで強く覚えさせられるのは、主は民を祝福したいのだという事実です。人が祝福を祈り、祝福を求めるに先立って、主の方が「民を祝福したい」という御心をお持ちです。そう願い、そうご計画されて、そのご計画を実現してゆかれるのです。
そして、その「祝福の神」が、ナジル人の規定をも与えてくださっているのです。それは、容易ならざるあり方です。聖なる者として生きることは、困難で厳しい思いをします。しかし祝福とは労苦や訓練なしに考えられるものではなく、労苦を経て与えられるのです。労苦や禁欲的な生活によって祝福をもらえる、ということではありません。決して、祝福は私たちのわざに基づくのではなく、神様の一方的な恵みによるものです。そして、その恵みとは、私たちをご自身に似た者、即ち、聖なる者とするように働くものです。
「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」[9]
と言われるとおりです。聖ならざるまま、祝福だけは欲しい-あるいは、聖なる生き方をすることは、祝福をいただくための手段に過ぎない-という発想ではなくて、聖なる者とされていくことこそが祝福である、ということです。本当に自分は、何一つ自分のものとして握り締めておくものなどなく、「主のもの」「主の聖なるもの」として歩むのです。
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」[10]
と言われている通りです。イエス様がおいでになって、十字架に掛かられて、儀式的な律法は廃止されました[11]。けれども、私たちはナジル人の規定から自由になって、このような生き方をしなくても祝福に与れる、ということではありません。ナジル人の規定で主が仰りたかったことが、イエス様の御業によってこそ私たち一人一人に与えられるのです。それは、私たちが、主の祝福に与るということであり、主の祝福によって変えられるということです。
ただし、このように一般化してしまう前に、ナジル人の規定という具体的なことから二つのことを心に刻みましょう。第一に、死体に触れないということは、祝福が死によって傷つけられてはならない、ということです。イエス様は、死体に触れないどころか、死者の手を取って生き返らせなさいました[12]。だとすればなおのこと、私たちの信仰は、どんな死によってでも打ち負かされないものであるはずです。死はお行儀良く訪ねて来てはくれず、不意打ちであり、遠慮がありません。私たちの生活や目線が、いつ死によって終わるか分からないことを忘れず、その先にあるもの、死によって動揺することのないものとされていく、ということもまた、主の祝福であるのだと、汚してはならないところなのです。
それ以上に、「誓願」といわれる通り、特別に困難な状況や何かを犠牲にしてでもこのことを叶えていただきたいと願掛けをするような出来事というものがあります。新約聖書でも、パウロが困難なコリント宣教の間、ナジル人としての誓願を立てていたようです[13]。たとえそうした願いがなくとも、私たちは神様のものです。しかし、切羽詰まった祈りの課題を通して、私たちが重い腰を上げて、あやふやに誤魔化してきたことを手放し、本気にさせられる、ということも事実なのです。本当に叶えて欲しいこと、より大切なものに集中させられる、というお取り扱いはあるのです。家族の救いや病気の癒し、困窮の打開、といった課題に向き合って、真剣に祈らされること、そして、祈る自分自身の、主の前にある生き方が聖なるものであるだろうかと問い直されて、自分の願いの本気さを省みる。何がなくても主を恐れるべきですがその手前の「聖」として、困難な誓願をも厭わないほどの課題に取り組まざるを得ない、という状況も、決して軽んじてはならないことです。
「主が私たちをご自身のものとしてくださった幸いを感謝します。この世にあってこの世とは違う祝福に生かしてくださることが、あなた様の御心であるとは、何と大きな恵みでしょう。今、主の聖晩餐に与り、イエス様がその死をもって私たちに差し出してくださった恵みの葡萄液とパンを戴きます。私共を、ナジル人に勝る祝福で満たしてください」
[2] 使徒二一章でパウロが出した「費用」とは、これらの羊や穀物の捧げ物のことでしょう。普通は、死体で汚れた場合は、一週間汚れ、三日目と七日目に水を浴びればよいとされています(民数記十九11以下)。
[3] レビ記八章参照。
[4] レビ記八9。
[5] レビ記二一12。
[6] Ⅱ列王十一12。
[7] 出エジプト二八36-37。
[8] レビ記十9「会見の天幕に入って行くときには、あなたがたが死なないように、あなたも、あなたとともにいるあなたの子らも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。」また、レビ記二一10-12「兄弟たちのうち大祭司で、頭にそそぎの油がそそがれ、聖別されて装束を着けている者は、その髪の毛を乱したり、その装束を引き裂いたりしてはならない。どんな死体のところにも、行ってはならない。自分の父のためにも母のためにも、自分の身を汚してはならない。聖所から出て行って、神の聖所を汚してはならない。神のそそぎの油による記章を身につけているからである。わたしは主である。」
[9] Ⅰテサロニケ四3。
[10] ローマ十二1。
[11] イエス様と「ナジル人」の関係としては、直接的には二点挙げられます。マタイ二23で「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。」とあるのが、ナジル人のもじりではないか、というのが一つ。マタイ二六29「ただ、言っておきます。わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」と言われていたのが、ナジル人の誓いそのものであり、私たちを御国に入れてくださることをご自身の誓願とされていると読める。これが第二です。間接的には、誓約の廃止(マタイ五33以下)などは、ナジル人の制度の撤廃とも読めます。
[12] ルカ八54。
[13] 使徒の働き十八18「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出版した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪を剃った。」パウロは、この時、困難なコリント宣教に一旦区切りをつけたところですので、コリントでの内外からの戦いにあって、特別に誓願を立ててナジル人となっていたのではないでしょうか。また、エルサレム教会の弟子たちが誓願を立てていた、という記録もあります。使徒二一23-24「ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。」
2011年9月4日 民数記6章「祝福しよう」
前回の民数記五章とこの六章とは、主の民の内面的な「聖」、数えたり見たりすることの出来ないところでの、しかし、具体的な現場で問われてくるところの、聖ということを扱っています。特に、今日の六章1節から21節では、「ナジル人」についての規定という、取っ付きにくい決まりが出て来ます。「ナジル」という言葉は、7節と9節で、
「聖別(された)」
と訳された言葉(ネーツェル)から出て来た言葉で、「分けておく」「分離する」という意味です。その通り、ナジル人とは、
「 2…男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをし…」
た人、自分を神様に対して、特別に聖別することにした人を指します。ここでは、
「 4彼のナジル人としての聖別の期間には、…」
とあるように、一定期間の聖別が規定されています[1]。何かしらどうしても神様に誓願を立ててでも叶えていただきたいことがある、というような時に、ある期間、ナジル人となる、ということがあったのでしょう。それは、私たちも似た境遇に置かれることもあるものですし、ある程度、理解や想像の出来る心境です。しかし、このナジル人の規定は、なかなか厳しいものです。まず、その期間の禁止事項が三つあります。第一は、
「 3ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。」
更には、もう酢になったものも、葡萄ジュースも、生の実もレーズンも食べてはなりません。これは、中東のように、水よりも薄めたワインのほうが衛生的という環境では厳しいことです。これは、少しでも酔って罪を犯すことがないように、という面と、葡萄は主の民を象徴するものでもありましたから、主の民との交わりから距離を置く、という面があったのでしょう。第二に、
「 5…頭にかみそりを当ててはならない」
という禁止事項があります。そして、誓願の期間が終わったら、それまで伸ばしていた髪の毛を剃るのです。第三に、
「 6…死体に近づいてはならない。
7父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らのため身を汚してはならない。」
という、あらゆる「死」との接触が禁じられます。更にこの規定は、
「 9もしだれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合、…」
であっても、彼は頭を剃り、いけにえを捧げ、それまでの期間は無効となって、もう一度、ナジル人としての期間を数え直さなければなりません。
その上、13節以下には誓願の期間が満了したときの儀式が規定されていますが、これも、合わせて羊だけでも三頭という高額なものを用意しなければなりません[2]。自分を聖別するというのも楽じゃなかったなあ、と思うのですが、実は、ここに記されている生贄は、大祭司が任職されるときの儀式と同じだけのものなのです[3]。ナジル人となると出費が嵩む、という以上に、ナジル人とは、大祭司に等しい聖なる者である、ということなのです。
他にも、ナジル人は髪の毛を切らないだけでなく、頭そのものが聖別を現すと言われていますが、同じ聖別という言葉が大祭司の「かぶりもの」[4]とか「注ぎの油」[5]と結びつけられて、また「王冠」[6]と訳されて出て来ます。いずれも、頭に関係するのです。大祭司の頭のかぶり物には、「主の聖なるもの」[7]と記された記章がつけられていましたが、ナジル人の伸ばしっぱなしの頭髪はそれに匹敵するほどの、主の聖を現していたのです。ぶどう酒が禁じられたのも、肉親の死にさえ近づいてはならないとされたのも、どれも大祭司への命令でもあったのです[8]。
勿論、ナジル人は、大祭司になれたり代われたりしたわけではありません。大祭司はアロンの子孫と決まっていました。しかし、大祭司にとっては、民の中で最も聖なる立場にいるはずの自分と並んで聖なるレベルに立つ者が現れる、それも女性がナジル人になることもある、というこの規定は、ある意味では、自分たちの特権が脅かされること、自分たちの存在そのものが相対化されるような思いになったことでしょう。そして事実、イスラエルの民は、アロンの子孫だけでなく、すべての民が自分を聖別してナジル人になる-つまり、大祭司に等しい聖なる者となる-可能性が開かれていたのです。
このことが確認されるのが、22節以下の、祝福の言葉です。ちょうど私たちが毎月第一主日に、祝福の言葉として聞いています、「アロンの祝福」とも呼ばれる三つの言葉です。
「24主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」
この言葉の中身については、今月の第四主日にお話ししたいと思います。今日は、なぜここで、ナジル人の規定のあとで「アロンの祝福」が、唐突に登場するのか、ということに目を向けます。そのヒントは、27節です。
「彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
「祈るなら」とは言いますが、祝福しなさいと命じられたのは主ご自身なのです。ですから、ここで強く覚えさせられるのは、主は民を祝福したいのだという事実です。人が祝福を祈り、祝福を求めるに先立って、主の方が「民を祝福したい」という御心をお持ちです。そう願い、そうご計画されて、そのご計画を実現してゆかれるのです。
そして、その「祝福の神」が、ナジル人の規定をも与えてくださっているのです。それは、容易ならざるあり方です。聖なる者として生きることは、困難で厳しい思いをします。しかし祝福とは労苦や訓練なしに考えられるものではなく、労苦を経て与えられるのです。労苦や禁欲的な生活によって祝福をもらえる、ということではありません。決して、祝福は私たちのわざに基づくのではなく、神様の一方的な恵みによるものです。そして、その恵みとは、私たちをご自身に似た者、即ち、聖なる者とするように働くものです。
「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」[9]
と言われるとおりです。聖ならざるまま、祝福だけは欲しい-あるいは、聖なる生き方をすることは、祝福をいただくための手段に過ぎない-という発想ではなくて、聖なる者とされていくことこそが祝福である、ということです。本当に自分は、何一つ自分のものとして握り締めておくものなどなく、「主のもの」「主の聖なるもの」として歩むのです。
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」[10]
と言われている通りです。イエス様がおいでになって、十字架に掛かられて、儀式的な律法は廃止されました[11]。けれども、私たちはナジル人の規定から自由になって、このような生き方をしなくても祝福に与れる、ということではありません。ナジル人の規定で主が仰りたかったことが、イエス様の御業によってこそ私たち一人一人に与えられるのです。それは、私たちが、主の祝福に与るということであり、主の祝福によって変えられるということです。
ただし、このように一般化してしまう前に、ナジル人の規定という具体的なことから二つのことを心に刻みましょう。第一に、死体に触れないということは、祝福が死によって傷つけられてはならない、ということです。イエス様は、死体に触れないどころか、死者の手を取って生き返らせなさいました[12]。だとすればなおのこと、私たちの信仰は、どんな死によってでも打ち負かされないものであるはずです。死はお行儀良く訪ねて来てはくれず、不意打ちであり、遠慮がありません。私たちの生活や目線が、いつ死によって終わるか分からないことを忘れず、その先にあるもの、死によって動揺することのないものとされていく、ということもまた、主の祝福であるのだと、汚してはならないところなのです。
それ以上に、「誓願」といわれる通り、特別に困難な状況や何かを犠牲にしてでもこのことを叶えていただきたいと願掛けをするような出来事というものがあります。新約聖書でも、パウロが困難なコリント宣教の間、ナジル人としての誓願を立てていたようです[13]。たとえそうした願いがなくとも、私たちは神様のものです。しかし、切羽詰まった祈りの課題を通して、私たちが重い腰を上げて、あやふやに誤魔化してきたことを手放し、本気にさせられる、ということも事実なのです。本当に叶えて欲しいこと、より大切なものに集中させられる、というお取り扱いはあるのです。家族の救いや病気の癒し、困窮の打開、といった課題に向き合って、真剣に祈らされること、そして、祈る自分自身の、主の前にある生き方が聖なるものであるだろうかと問い直されて、自分の願いの本気さを省みる。何がなくても主を恐れるべきですがその手前の「聖」として、困難な誓願をも厭わないほどの課題に取り組まざるを得ない、という状況も、決して軽んじてはならないことです。
「主が私たちをご自身のものとしてくださった幸いを感謝します。この世にあってこの世とは違う祝福に生かしてくださることが、あなた様の御心であるとは、何と大きな恵みでしょう。今、主の聖晩餐に与り、イエス様がその死をもって私たちに差し出してくださった恵みの葡萄液とパンを戴きます。私共を、ナジル人に勝る祝福で満たしてください」
[2] 使徒二一章でパウロが出した「費用」とは、これらの羊や穀物の捧げ物のことでしょう。普通は、死体で汚れた場合は、一週間汚れ、三日目と七日目に水を浴びればよいとされています(民数記十九11以下)。
[3] レビ記八章参照。
[4] レビ記八9。
[5] レビ記二一12。
[6] Ⅱ列王十一12。
[7] 出エジプト二八36-37。
[8] レビ記十9「会見の天幕に入って行くときには、あなたがたが死なないように、あなたも、あなたとともにいるあなたの子らも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。」また、レビ記二一10-12「兄弟たちのうち大祭司で、頭にそそぎの油がそそがれ、聖別されて装束を着けている者は、その髪の毛を乱したり、その装束を引き裂いたりしてはならない。どんな死体のところにも、行ってはならない。自分の父のためにも母のためにも、自分の身を汚してはならない。聖所から出て行って、神の聖所を汚してはならない。神のそそぎの油による記章を身につけているからである。わたしは主である。」
[9] Ⅰテサロニケ四3。
[10] ローマ十二1。
[11] イエス様と「ナジル人」の関係としては、直接的には二点挙げられます。マタイ二23で「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。」とあるのが、ナジル人のもじりではないか、というのが一つ。マタイ二六29「ただ、言っておきます。わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」と言われていたのが、ナジル人の誓いそのものであり、私たちを御国に入れてくださることをご自身の誓願とされていると読める。これが第二です。間接的には、誓約の廃止(マタイ五33以下)などは、ナジル人の制度の撤廃とも読めます。
[12] ルカ八54。
[13] 使徒の働き十八18「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出版した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪を剃った。」パウロは、この時、困難なコリント宣教に一旦区切りをつけたところですので、コリントでの内外からの戦いにあって、特別に誓願を立ててナジル人となっていたのではないでしょうか。また、エルサレム教会の弟子たちが誓願を立てていた、という記録もあります。使徒二一23-24「ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。」
2011年8月28日 ヨハネ20章1-10節「まだ理解せず」
この二〇章と二一章で、ヨハネの福音書は終わります。最後の二章では、イエス様の復活の後のことが扱われます。他の三つの福音書でも最後は復活記事になりますが、このヨハネが一番長いのです。日本語聖書でも、マタイは一頁とちょっと、ルカも三頁足らず、マルコと来たらもともとは8節だけでした。しかしヨハネは四頁という詳しさです。今日はその最初の部分を見ます。
ところで、四つの福音書がそれぞれに記す復活記事は、どれも大小の違いがあって、調和させようとすると苦労します。しかし、妙に一致していればいたで「辻褄を合わせたに違いない」と言われたでしょう。これでよかったとも言えるのです。無理に整合させようとする必要もありませんが、矛盾していると片付ける必要もない。例えば、ヨハネでは、マグダラのマリヤ一人がお墓に出掛けて帰ってきたかのように読めますが、2節の最後で、
「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません」
と複数で語っているのですから、マリヤが一人だった、と言うのではないのです。けれども、ヨハネは特別にマグダラのマリヤに注目しています。この朝、イエス様を愛して、
「 1…朝早くまだ暗いうちに墓に来た」
マリヤ。他の福音書によれば、イエス様のお体に香料を塗りに行こうとしたマリヤ[1]。しかし、イエス様を愛して、次回の11節以下では最初にイエス様にお会いする光栄に与るマリヤではありますが、そのマリヤでさえ、イエス様が復活されるとは信じてもいませんでしたし、期待してもいませんでした。何しろ、
「…墓から石が取りのけてあるのを見た。」
だけで、中を覗こうともせず、
「 2それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。『だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。』」
と、墓泥棒が主のからだを盗んだに違いない、と決めつけているのです。この墓は、
「十九41…まだだれも葬られたことのない新しい墓…」
でしたから、盗まれるとしたらイエス様のおからだ以外にはありません。それでも、マリヤの行動は、イエス様が生前繰り返しておられた、十字架と復活の予告などまるで届いていなかったことを現しています。
「 9彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。」
という言葉には、マグダラのマリヤも含まれていたのです。
これを知らされたペテロと、
「イエスが愛された、もうひとりの弟子」
即ち、この福音書を書いたヨハネ本人ですが、この二人はもう少し冷静でした。
「 3そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓の方へ行った。
4ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
5そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
6シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
7イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
8そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして、見て、信じた。」
ペテロとヨハネの違いが色々と出て来ます。走っても早く着いたのはヨハネでした。しかし、ヨハネは先に着いても墓には入らず、後から来たペテロが中に入りました。これは、墓の穴というものが私たちの思い描くような洞窟のように広いものではなく、大人が屈んでやっと入れるくらいの小さなものだったことを理解すると分かるでしょう。ヨハネが先に入ればペテロはヨハネの肩越しにしか中を見られません。だから一番弟子のペテロが中に入るのを待ったのだ、ということでしょう。
マリヤは墓の蓋の石が取り除けられているのを見ただけで走り出してしまいましたが、ヨハネは覗き込んだだけで、亜麻布が置いてあるのが見えました。これで、イエス様のからだを誰かが盗んだのではないことは分かりました。そして、中に入り、イエス様の頭に巻いてあった布切れも、離れた所に別に置かれているのが見えました[2]。これで、イエス様のお体はもうどこにもない。泥棒が、香料を巻いてコールタールのようになっていた布を、わざわざほどいたり、その上それを巻き直したりするはずはありません。でもイエス様のお体はないのです。
「そして、見て、信じた。」
とあるとおり、ヨハネはイエス様がよみがえられたのを信じたのです。ペテロは信じたとは言われません。ペテロはまだ復活まで信じる前にパニックになっていたのでしょう。しかし、信じたヨハネを含めて言われます。
「 9彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。」
信じた、と言ったばかりなのに、これはどういうことか、疑問とされてきました。しかし、ヨハネは墓の亜麻布や布切れを見て信じたのです。イエス様が仰ってこられた聖書の証しを受け入れて、イエス様のよみがえりを信じたのではなかったのです。死からの復活という事実は信じました。しかし、信じてどうしたでしょう。喜んで、神を賛美したのでしょうか。イエス様の御言のすべてが、今までにない輝きをもって響いてきて、ヨハネの中から沸いて出たのでしょうか。いいえ、
「10それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。」[3]
そして、19節では、
「…弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸が閉めてあった…」
と言われるばかりなのです。まだ、心はイエス様にも閉ざされて、恐れていたのです。
イエス様の復活を信じるとは、勿論これが歴史的な事実であり、弟子たちの期待や希望が生み出した幻想だとか心理的・精神的な復活だなどと片付けることは出来ません。ここには明らかにイエス様の復活が客観的な事実として証拠立てられています。しかし、それを、イエス様に起きた奇跡だと信じて終わってもなりません。「二千年も昔にイスラエルで起きた不思議な出来事」というだけなら、真剣に考えようともされないでしょう。イエス様が仰ってこられたのは、そんな程度のことではありません。
イエス様の復活は、イエス様がまことに私たちのいのちの主であられる、という証しです。イエス様は、私たちに聖霊を注いで[4]、私たちの心を永遠のいのちで満たし、悲しみを喜びに変え[5]、世のものならぬ平安を与え[6]、天に私たちのための場所を備えてくださるのです。いいえ、二章でイエス様は輝くヘロデ大神殿を前にして、
「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」[7]
と仰っていました。それは、
「ご自分のからだの神殿のこと」
つまり、教会のことだとも言われていました[8]。イエス様は、ご自身の復活によって、教会を建て上げ、そこに聖霊をお注ぎになり、ご自身の神殿としてくださると言われていたのです。イエス様が仰ってこられた、
「わたしがいる。恐れることはない[9]。…わたしはいのちのパン[10]…わたしは世の光[11]…わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます[12]。…」
と言われていた言葉がすべて本当であることが、信じられるのでなければ、イエス様の復活を例え信じたとしても、聖書の言う、なぜイエス様がよみがえらなければならなかったのかを理解してはいないのです。
私たちはまだ恐れていないでしょうか。自分のところに帰るのが安全だと思っていないでしょうか。そうではないのです。イエス様が私たちのためによみがえってくださって、今も聖霊を注いで、私たちに御言の約束を届けていてくださるのです。主イエスは、私たちのために死んでよみがえってくださいました。そこまでのイエス様の辿られた道を思えば、私たちはなおこの地上の泥に塗れながら生きないわけにはいかないのですが、その私たちのうちにイエス様が、永遠のいのちを注いでくださっているのです。
「私たちにいのちを持たせるため、それも豊かに持たせるためにおいでくださったあなた様の御業を拝しながら、なお心の鈍い私共ですが、どうかこれもまた主の御霊の恵みによって私共を教え、導いてください。よみがえりのいのちをもって私共が今生かされているとの確信が、ひとりひとりの歩みの中で、深められ、根を下ろして、味わわれますように」
[1] マルコ十六1、ルカ二四1。しかし、ヨハネはこのことを記しません。それはヨハネ十九39-40で、すでに十分すぎるほどの香料がイエス様に塗られていたことを踏まえてか、十二3前後でマルタの妹のマリヤがナルドの香油をイエス様の足に塗って差し上げたことと不必要な伏線を張ってしまうことを避けたのか、理由はあれこれ考えられます。マタイも、マグダラのマリヤたちが香料を塗ろうとしたことは記していません。
[2] この「巻かれたまま」を、イエス様の頭をグルグル巻きにしていたのが中身だけポッカリと抜けたように「巻かれたまま」であったのか、クルクルときれいに畳んで巻いておかれていた、ということなのかは判断が分かれます。ただ、香料をくるんで巻いていたなら、頭の布も剥がして巻いておくのは困難かと思われます。いずれにせよ、別のところにあったのです。
[3] このことばは、十六32「見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。…」との予告と切り離せません。これは、明らかにイエス様に背を向けた行動です。
[4] ヨハネ十六7。
[5] ヨハネ十六22。
[6] ヨハネ十四27。
[7] ヨハネ二19。
[8] ヨハネ二21。これに続いて22節では、「それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。」とあり、聖書のことばを信じることとの関係が言及されています。
[9] ヨハネ六20。
[10] ヨハネ六48。
[11] ヨハネ八12、九5。
[12] ヨハネ十11。
2011年8月14日 ヨハネ19章38-42節「恐れて隠していた者が」
今日の箇所もまた、イエス様が十字架上で亡くなられてから、よみがえられるまでの間に起きた出来事を記しています。特に、他の福音書よりもヨハネはこのイエス様の葬りを詳しく記しています。今までお話しして参りましたように、ヨハネはイエス様の十字架を、苦難と悲壮感ではなく、イエス様の勝利の時、神さまの愛の真骨頂、栄光の成就として書いている訳です。これは、この埋葬においても十分に現されています。39節に、
「…没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、…」
とあります。すでに年を重ねていたニコデモが自分で持ってきたのではなく、若い者に持たせてきたのでしょう。しかし、並でない量です。王様にこれだけの香を添えて葬りをしたという記録があるそうです。とすると、30キロもの香と一緒に亜麻布何枚にもくるんだということもまた、イエス様の埋葬が、王の葬儀のようであった、ということを証しするものでしょう。
また、41節には、イエス様のお墓が、
「イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。」
とありました。園に葬られる、というのも、旧約聖書では王様についてのみ記されていることです。また、まだ誰も使ったことがないものというのは、初穂とか初子が神さまの者であるということにも通じますし、まだ男の人を知らなかったマリヤの処女の胎からイエス様がお生まれになったことや[1]、まだ誰も乗ったことのないロバの子にイエス様が乗られたこととも重なります[2]。特別に、神のために聖別された墓であったのです。
このように、イエス様の埋葬は、悲しみや絶望である筈ですのに、ヨハネはそこで起きていた小道具の一つ一つ、香料にせよ園にせよ新品の墓にせよ、どれも王にこそ相応しいものであったのだと並べています。勿論、日没までの三時間足らず、ソソクサと片付けられたことでしょうが、それはまた何と大いなる葬りであったかと言いたいのです。
さて、これだけの立派な香料や墓を用意したのは、アリマタヤのヨセフとニコデモの二人でしたが、今お話ししたような意味を考えると、これは二人の勇気や善意から出たことだとは思えなくなります。むしろ、この二人の行動そのものが、イエス様の王としての面目躍如でした。
「38そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り片付けたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り下ろした。
39前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。」
アリマタヤのヨセフは、四つの福音書全てで、この遺体の引き渡しで登場しています。それまではイエス様の弟子であることは隠して、鳴りを潜めていたのです。もう一人、ニコデモは、三章で夜中にコッソリ、イエス様を訪ねて来ました。また、七50から52節でも登場していますが、そこでも煮え切らない発言をして、退場してしまいます。やはり、恐れたのです。自分はイエス様の弟子だと公言したら、みんなからどんな目に遭わされるか。また、指導者[3]や議員[4]としての地位、財産[5]がある。そして、必ずしもその名士としての立場に胡座をかいていたわけではなく、そこで立派に生きようとしていた。正しいこと、人を助け、役立つことをしていた人たちです。そうした一切合切を失うことになるかも知れない。その両天秤の間で、自分がイエス様を信じると告白することを躊躇ってきたのです。
では、その二人が、どうしてここでこんな大胆な行動を取ったのでしょうか。こんなことをすれば、ユダヤ当局からたちまち、裏切り者、イエスの一味という烙印を押されることになる。地位も名誉も財産も、残さず没収となる。今までの良い働きさえ出来なくなる。それをなぜ、二人は敢えてしたのでしょうか。
その理由は、根本的なところでは、神の御霊のみわざに他なりません。イエス様のお姿を大勢見た人の中で、たった二人だけがこんな行動を取ったのです。イエス様とご一緒なら死ぬことも覚悟しておりますと息巻いた弟子たちは、誰一人ここに来ていません[6]。ですから、イエス様の側からの超自然的な働きかけなくしてこの行動を説明することは不可能です。
しかし、それだけで片付けてもなりません。実は、イエス様は、以前十二32で、
「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
と仰っていました。まさしく、イエス様が十字架に上げられたとき、ニコデモとアリマタヤのヨセフさえも、恐れや打算や捨てがたいものに捕らわれることを止めて、主の元に行った。いいえ、実のところは、イエス様が彼らを引き寄せてくださったのです。
ところで、この、イエス様が地上から上げられる時、というのを、ヨハネの福音書は様様に言い換えながら語ってきたのですが、十字架においてイエス様の栄光が現されることは、イエス様の栄光が、「恵みの栄光」であると言われたことから理解できます。神の惜しまぬ愛を示し、弟子たちの足を洗い、一粒の麦となり、友のためにいのちを捨てる、そういうイエス様の御愛が、十字架においてハッキリと示されたのです。
人は中々自分を捨てられません。結局の所、人間はエゴイスティックで、口先ばかりの見栄っ張りです。しかし、イエス様はそうではありませんでした。十字架にご自身を捧げられたし、そこでの態度-母とヨハネに声をかけて親子の縁を結ばせ、
「わたしは渇く」
と言われて、酸いぶどう酒を飲まれて、完了を宣言なさった-その最後の瞬間に至るまで、イエス様には聖なる愛しか見えませんでした。痛みと恥で体が耐えきれず、文字通り死んでしまわれた程だったのに、エゴイスティックな本性が見え隠れすることはついになかったのです。
ニコデモやアリマタヤのヨセフのような人には、名士としての自負を擽り、なるべく自尊心を傷つけないアプローチが得策だと考えられがちです。しかし、彼らの心を砕いたのは、イエス様が本当に「自分が」とか、恨みとか怒りとか、そういうものの一切ない、聖なる愛のお方だと証しされたからです。いくら立派なことを言って他人を感心させることは出来ても、反対や苦痛が続けば、人間はいずれボロが出るものです。でもイエス様には、そういう綻びは一寸もありませんでした。いいえ、かえってそこから、内なる愛が輝いて見えたのです。そこには、我慢とか演技とか無理といったものも皆無だった。御霊は、そういうイエス様のお姿とともに、ニコデモとアリマタヤのヨセフのうちにお働きになったのです。この世の富や力、名声や賞賛…そんなものを誇り失うまいと恐れるのとは、百八十度違う生き方が、イエス様を通して、私たちの心に迫ってきます。
そして、その私たちの後ろから、ニコデモたちが、その捨て身の証しをもって、私たちの薄っぺらい愛を一刀両断にします。キリスト者としての証しとは、口でどんな素晴らしいことを語り、上辺で愛や謙遜や感謝を演じることではありません。見られていないところで、私たちは我が儘であり、愛するよりも人を裁き、自分の損得に敏感であり続けるものです。それが、いつかポロッとバレてしまう。そんな「証し」では、必ず幻滅され、引いては「所詮、教会の言う愛だって理想に過ぎないってことだね」と、イエス様が嘲られることになります。キリストの愛は、そんな私たち如きの愛ではありません。
改めてハッとさせられるのですが、この二人は、三日目にイエス様が復活されると信じていたのではありません。まだ誰もそんなことは信じていません。もし信じていたなら、三十キログラムもの香料ごとくるんだりはしなかったでしょう。ただ、イエス様への信仰を表明し、その死への悲しみを精一杯表したかったのです(すべてに換えてでも)。復活や、その後のキリスト教の展開を当てにしてでもなく、ただ、向こう見ずにも、自分の生活も地位も将来も擲って、キリストを告白しているのです。
教会の証しも、そういうものでしょう。十字架や復活や御国への信仰を口で語ること以上に、生きている土台や目的や願いが、イエス様の愛に打たれて、その愛だけで十分とする、人格的な信仰であるのです。勿論それには到底及ばない私たちです。だから、せめて自分たちの愛のなさを取り繕わず、誰かに褒められたとしても「いいえ、私なんかじゃないんです。主の恵みなんです。主が愛してくださっているんです」と、素直に主を指さしたいものです。そんな私たちをさえ、愛し、いのちを捨ててくださいました。そして、張りぼてみたいな私たちの、本当に貧しい限りの証しをさえ用いて、愛のみわざをなしてくださっている主を、ますます仰ぎたいものです。
「愛や平和を口先で歌うことに何の益がありましょう。どうか、私たちのすべてをあなた様の愛によって新しくし、生きつつ語る者とならせてください。福音を語りつつも、人に媚びへつらい、自らもこの世の富や心地よさに心寄せている、などという茶番ではなしに、キリストの十字架にこそいのちへの道がある、と心から信じ、告白し、従わせてください」
2011年8月7日 民数記5章「宿営を汚さないように」
民数記の五章と六章は、四章まで続いてきた統計とは打って変わって、四つの規定を述べています。今日は五章の三つの規定をお話しします。
一読しただけで、「ひどい規定だなあ」という印象を持つ方が多いのではないでしょうか。
「 2「イスラエル人に命じて、ツァラアトの者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営から追い出せ。
3男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出して、わたしがその中に住む宿営を汚さないようにしなければならない。」
とは、乱暴な処置だという気がしますし、12節以下の「ねたみのおしえ」も、妻が一方的に不利で、「魔女裁判」のような嫌あな感じがします。
しかし、病気や死体によって汚れている人が他の人に触れることを忌むべきこととされていたのは、レビ記で既に明らかにされていたことです。特に、ツァラアトという皮膚の病気の患者が、宿営の外で暮らすべきことはレビ記十三章で明示されていました[1]。ただし、ツァラアトの規定の中に興味深くあったことですが、その患部が体中を覆っていれば、彼はきよい、と見なされて、患部と健康な皮膚が両方あった方が汚れているとされるのでした[2]。つまり、隠しようがなくなれば問題ないのですが、隠せる程度の時には汚れているとされます。しかし、そのときに人間は本能的に隠したがるでしょう。それを顕わにすることがツァラアトに込められた霊的なメッセージだったのです。
同じことは、漏出を病む者にも言えますし、死体によって身を汚している者にも言えます。白を切り通そうとすれば切り通せるような人も少なくないでしょう。宿営の外に出された人は、実数の一部でしかなかったかもしれません。けれども、そこが問われたのです。
「 6…男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、
7自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、その五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。」
とあるのもそうです。他人に対する罪、それも、損害を被らせるような罪を犯しながら、口を拭って、なかったことにしてしまうことを人間はしがちです。8節は、
「もしその人に、罪過のための弁償を受け取る権利のある親類がいなければ…」
とあるのは、被害者がすでに死んでいて、訴えられる恐れもないことを前提としています。その上、被害者の親族も誰一人いないのであれば、黙っておけばいいと思いたいのではないでしょうか。ですが、ここでは6節に、
「主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し」
とあるように、他人に対する罪は根本的に主に対する不信の罪であると教えられています。誰一人、被害者の親族がいなくても、祭司に対して全額プラス五分の一を弁償し、雄羊の生贄も捧げる、というのも、罪が人に対してである以上に主に対するものであるからです。それを認めて、自分の罪を告白し、今更であっても不正の収入を全額の二割増にして償うことを主は求められたのです。
このことを更に具体的に教えるのが、11節以下です。
「12イスラエル人に告げて言え。もし人の妻が道をはずして夫に対して不信の罪を犯し、
13男が彼女と寝て交わったが、そのことが彼女の夫の目に隠れており、彼女は身を汚したが、発見されず、それに対する証人もなく、またその場で彼女が捕らえられもしなかった場合、」
なのです。6節の、主に対する不信の罪、の具体的なこととして、夫に対する不信の罪が扱われるのです。道ならぬ関係を持ってしまったが露見しなかった場合、うまく隠しおおそうとすることが取り扱われているのです。
ここで妻が飲まされる「呪いの水」は、本物の毒だとか、腹が膨れ、腿が痩せ衰え、不妊になってしまうような水だったのではありません。きよい水に塵を混ぜ、誓約を書いた紙を浸けただけの水です。多少腹が下ったかもしれませんが、当時の飲み水は大体が同じくらい不衛生だったのではないでしょうか。ただ、その水を飲むに当たって、疑いを掛けられた妻は、自分の身の潔白を誓約し、嘘だったら呪いを受けても良いと、
「アーメン、アーメン」
と応えたのです。もし本当は夫に隠れて罪を犯したのであれば、主に対しても嘘を突き通そうとするか、決心しなければなりません。
勿論、こんな儀式をしなくても、主は私たちのすべての罪も、心において抱いた欲や醜い思いも一切ご存じです。儀式を避けたら逃げ切れる、ということでもなく、主の前に隠し切れるものは何一つないことを知って、すべての罪は告白すべきです。それでも、このような儀式が、主の前にあるということを具体的に教え、迫ってくる、という意味は十分にあります。
今に置き換えると、私たちは今日も主の聖晩餐に与ろうとしています。主のからだと血を記念して、パンと杯の葡萄ジュースをいただきます。Ⅰコリント十一章では、
「もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。
そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。」[3]
とあります。この後、パンと杯をいただくときに、民数記五章の妻の立場になって、花婿なるキリストに対して犯した罪はなかったろうか、主に対する不信の罪を犯しながらこれを飲むならば呪いを受ける、と考えてみると、飲むのが恐ろしくなる筈です。
しかし、だからといって陪餐を辞退しても解決にはなりません。私たちは罪を犯さずには生きられない者です。だからこそ、イエス様の十字架があり、主の聖晩餐を通して、救いの恵みが差し出されているのです。思い上がりを捨てて、罪ある私のために主が十字架に掛かってくださったと告白し、パンと杯をいただかなければなりません。
この民数記の五章は、ここまでの統計や十二部族とレビ人の役割分担といったことを受けながら、そうした見えるところの背後に、見えない汚れや罪が隠されていることを問うてきます。部族ごと氏族ごとの使命を明らかにしたものの、その最小単位である夫婦の間に、不信の罪が入り、疑心暗鬼になりかねない罪が入り込んでいる現実を照らし出します。それは結局、主に対しても隠し事を続け、「全知全能の神」という告白に生きてはいない人間の罪を炙り出しています[4]。
呪いの水が、幕屋の床の塵を加えられたものであることは、創世記三章で、蛇が、
「おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。」[5]
と呪われたことに通じます。つまり、人間がサタンと「同じ穴の貉」となって、主を欺き、夫や妻を欺こうとする者と成り果てていることを強力に印象づけます。
最後の31節の、
「夫には咎がなく、その妻がその咎を負うのである。」
とあるのは、妻がその咎を夫のせいにすることを禁じるということです。勿論、夫の側に罪があれば罰せられることは、6節以下の規定で明らかです。また、こういう形で暴かれる前に、悔い改めをもって告白していれば赦されるのです。いいえ、現場で取り押さえられてさえ、イエス様は姦淫の女を赦してくださったのです[6]。そのことを考えるとなおさら、この規定は実際に適用されたことはそんなにはなかったのではないか、と思います。やはり、想定されている問題を解決するよりも、もっと民全員に通じる問題を問うているのでしょう。汚れている者は追い出してしまえ、というのではない。自分の汚れに気づきなさい。汚れも罪も残らず知っておられる主の前に、正直に生きなさい。そして、罪を一つ残らず捨てなさい。言い訳をしたり正当化したりせずに、罪を告白して歩みなさい。そうして、主の住まわれる宿営を、汚さないようにしなさい、ということです。
これを自分の力でせよ、というのではありません。私たちは、主から遠く離れて立ち、
「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」
と言う他ないものです。しかし、そこに主に受け入れられる道があります。自分のどうしようもない汚れに気づき、憐れみを乞い求めること。それが主の御心であり、イエス・キリストにおいて一方的な恵みとして私たちに与えられた、御国への道なのです。
「今、もう一度、居住まいを正す思いで、パンと杯を戴きます。聖なる御国への道においてさえ、罪を隠し持とうとしたり、不信の罪を犯してしまったりする私共です。上辺ではなく、心の奥底までの清さを、主との真実な交わりを、そして、夫婦や人間関係においてきよめていただく幸いを、どうぞ教えてくださり、願わせ、与えてくださいますように」
[1] レビ記十三45-46「患部のあるツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は、汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。」
[2] レビ記十三12-14「もしそのツァラアトがひどく皮膚に出て来て、そのツァラアトが、その患部の皮膚全体、すなわち祭司の目に留まるかぎり、頭から足までをおおっているときは、祭司が調べる。もしそのツァラアトが彼のからだ全体をおおっているなら、祭司はその患部をきよいと宣言する。すべてが白く変わったので、彼はきよい。しかし生肉が彼に現れるときは、彼は汚れる。」
[3] Ⅰコリント十一27-31
[4] 2節の「死体によって身を汚している人」が汚れるとされていることは、レビ記二一章の祭司に対する規定の中で、前提とされてはいました。しかし、これが明文化されるのは民数記十九11という後のことです。ただし、レビ記十一章で、汚れた動物の死体に触れた者は汚れる、という規定が繰り返されています。ということは、人間の死体も触れれば汚れるのであれば、人間そのものが「汚れた動物」と同じ範疇に属すると考えられている、とも言えます。
[5] 創世記三14
[6] ヨハネ伝八1-11
2011年7月31日 ヨハネ19章31-37節「自分たちが突き刺した方を見る」
前回、28節と30節に重ねて、
「完了した」
とありました。既にイエス様は、十字架での贖いの御業を全うなさいました。
「人がその友のためにいのちを捨てる。これよりも大きな愛はありません」
と仰っていた、私たちに対する最も大きな愛を現してくださいました。そして、霊をお渡しになったのです。今日読みましたところは、そのイエス様の亡くなられた後のこと。これ自体が何かをするとか、イエス様の御業であるというのではない。しかし、イエス様がそのいのちをもって贖いの御業を全うしてくださったということが、真に生き生きと証しされるような、そういう出来事が重ねて起きたことを、ここに記すのです。
起きた出来事は、イエス様に敵対するユダヤ人の計らいによることであり、十字架に処刑したローマ兵の行動と関わったことです。
「31その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを負ってそれを取りのける処置をピラトに願った。」
十字架刑というのは、凄まじい苦痛を伴いますが、致命傷を与えるものではありません。普通、三日ほどかけて苦しみつつ弱って亡くなるのだそうです。(そういう残酷さを見せつけることも十字架刑という公開処刑の政治的な目的でした。)しかし、この時ユダヤ人たちは、その夕方から、過越の祭りの最中の「大いなる安息日」と呼ばれる特別な安息日が始まろうとしていることもあり、
「木に掛けられた者は呪われている」[1]
という律法もありますから、神殿から見えるこんなそばに、十字架に掛けられた死刑囚が磔にされている状態を好ましくないと考えました。そこで、こういう場合にする、臑を(恐らくはハンマーなどで)折って、衰弱した心臓にショック死を与える処置を行うよう総督ピラトに願った、というのです。
ところが、兵士たちは、他の二人にはこの処置を施したものの、イエス様のところに来ると、もう亡くなられていたことに気づいたので、その臑を折ることはしませんでした。ですが、一人の兵士が、死を確認するためか、腹を立てたのか、面白半分でか、
「34しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」
本を読みますと、この水はイエス様の心臓が破裂したための体液だろうなどと述べているものもあります。また、これは奇跡的な、説明の付かないことだとするものもあれば、いや、特別なことではない、医学的に説明のつくことだとする立場もあるようです。はっきりしているのは、ヨハネは自分がこれを目撃したのだ、と強く35節で主張していることと、この出来事を見た他の人々、兵士たちは、奇跡だと驚いたり恐れたりして信じるようになったわけではなかった、ということです。ですから、これは奇跡か医学的な現象か、というよりも、ヨハネはどんな意味のことだと言っているのか、信仰の目を持ってでなければ関心も興味も持てないような、どういう意味を語っているのか、なのです。それは、
「36この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書のことばが成就するためであった。
37また聖書の別のところには、「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」と言われているからである。」
とある通りです。イエス様の骨が折られなかったことと、イエス様が槍で刺されたこととに、聖書の預言の成就を見ているのです。
35節の「彼の骨は一つも砕かれない」は、出エジプト記十二46と、先ほども読み、先月の婦人会でも開きました詩篇三四篇20節の言葉を元にしたものです。出エジプト記では、過越の祭りにおいて、小羊を家々で食するわけですが、一軒の家では食べきれないとき、隣の家と分けて食べても良いが、骨を折ってはならない、と規定されています[2]。それは、生贄を食べることにばかり目が向いて、自分たちの身代わりの生贄である、という面を蔑ろにしてはならない、ということでしょう。
もう一つの詩篇三四篇は、主が御民を守ってくださるという確信を歌い上げていく中で、
「19正しい者の悩みは多い。
しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。
20主は、彼の骨をことごとく守り、
その一つさえ、砕かれることはない。」
と歌っていたのです。主との正しい関係で生きようとする者を主が必ずお守りくださる。それが、骨の一つさえ砕かれない、という表現で言われていました。
ですから、イエス様の骨が折られなかったということは、ヨハネによれば、イエス様が真の過越の小羊、私たちを贖うための身代わりの生贄である、ということと、神様がイエス様の骨を守り、その正しさを証ししてくださった、ということのメッセージであり、引いては、私たち民をも必ずお守りくださるという証しだと言っているのです。
もう一つの37節の言葉は、ゼカリヤ書十二10の言葉です。
「10わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」[3]
おわかりのように、ここでは、血と水が出たということよりも、イエス様が刺されたということと重なる預言の言葉として語られています。イエス様が刺された。亡くなられて、もう何も出来ないのに、腹癒せか何かでブスリと突き刺される。しかし、ゼカリヤの預言では、主が、
「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、」
と言っておられました。イエス様を刺した兵士一人のことではありません。人間は、主に刃向かってきた。主の慈しみの御手に、槍を突き返し、斬りつけるようなことばかりしてきた。けれども、そのことに気づく、ともゼカリヤは言っていました。
「恵みと哀願の霊を注ぐ。」
ここで語られているのは、主の恵みの約束です。主が御霊を注いでくださって、民の目が開かれるのです。そして主を、自分が突き刺して来た方として仰ぎ、そこから「哀願」へ、主の前に平伏して祈る信仰へと導かれると言っていたのです。自分たちが突き刺した方を見る、というのは、ゼカリヤ書のこういう本来の意味としては、十字架のイエス様に一人の勝手な兵士が槍を突き刺すというだけのことではありません。昔から神様に逆らい、神様を傷つけてきた人間が、ようやく目が覚めて、神を悲しませてきた自分の罪に気づく-気づかせていただく。恵みによって、そのことを深く悲しみ、ひとり子を失って嘆くほどの深い悲しみをもって悔い、悔い改めへと導かれる。それが、イエス様の十字架のお姿を通して、私たちにハッキリと示されることなのです。
そういう意味でも、イエス様が槍で刺されたとき、
「血と水が流れ出た」
ことは象徴的です[4]。「水」は、ヨハネがこの福音書の最初から、何度も小道具として用いてきた、きよめのシンボルでした[5]。ですから、やはり、この「血と水」が流れ出たことは、イエス様の死が、まことに私たちをきよめるのだと言いたいに違いありません[6]。
ユダヤ人たちは、律法を守り安息日を聖別し、過越の祭りを恭しく祝おうという、実に真面目で立派な志を持っていました。しかし、その自分たちを立派で正しいとする思いこそが、イエス様を殺し、神の御心に逆らう罪だったのです。その罪に私たちが気づくのは至難の業です。私たちはすぐに自分を正しいとしたい、立派な自分でありたい、自惚れていたいからです。だから、そういう私たちに、主が憐れみをもって、恵みと哀願の霊を注いでくださる。自ら矢面に立って傷つかれ、血と水を流されて、私たちの曇りがちな目、塞がれた目をきよめて開いてくださって、初めて、私たちは悔い改め、主の前に謙り、贖いに与ることが出来るのです。ここに教会の根拠があるのです[7]。
この二つの出来事は、大きな、驚くべき奇跡とは無縁のものでした。どちらも人が考えがちな、華々しく心打たれるような御業ではなく、かえって主の死を強く印象づけるだけのことでした。私たちが求めるべきしるしも、アッと驚く大事件ではない。主が本当にいのちを捨てて私たちを贖ってくださったことへの確信、そして、私たちもまた見えないところで主のわざに生き、感謝と愛のわざに励ませていただくことを追い求めたいのです。
「完了したとの御声を私共の心に刻んでください。新しいしるしを求めるより、主の血によりきよくされること-汚れた自惚れを捨て、本当に謙って、恵みの主を誉め称えることだけを願わせてください。主の愛に到底及ばない者だからこそ、じたばたせず投げ出しもせずに、貴く確かな御心にこの身を捧げ、全てを完了させる主の御愛にお委ねします」
[1] 申命記二一22-23「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」ちなみに、パウロは、ガラテヤ三13で、「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。」と、この律法もまた、キリストの身代わりの生贄を証しするものとして引用しています。
[2] 出エジプト記十二46「これは一つの家の中で食べなければならない。あなたはその肉を家の外に持ち出してはならない。またその骨を折ってはならない。」また、民数記九12「そのうちの少しでも朝まで残してはならない。またその骨を一本でも折ってはならない。すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。」
[3] その続きは、「11その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。」と言われています。またこの言葉は、ヨハネの黙示録一7の下敷きにもなっています。「見よ。彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン」。一読の通り、こちらでは、裁き、後悔、絶望の色合いが強い意味を持たされています。
[4] ヨハネは、その第一の手紙でイエス様を、「このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。7あかしするものが三つあります。8御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」(Ⅰヨハネ五6-8)と紹介しています。
[5] カナの婚礼、サマリヤの井戸、ヨハネの洗礼、三章のニコデモとの対話、ベテスダの池、シロアムの池、などなどなど。
[6] ちなみに、ヘブル九19-20では「モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。」とあり、「水」と「血」に加えて、先のヨハネ十九29に出て来た「ヒソプ」も絡んで述べられています。
[7] アウグスティヌスは、創世記二章で、エバがアダムのわき腹から取られたあばら骨により創造されたことに準えて、イエス様のわき腹が開かれて、(血[聖餐式]と水[洗礼]を礼典とする)教会が誕生したという解釈をしています。いずれにせよ、この句は、教会史でももっとも多く引用されてきたヨハネ伝の文句だと加藤常昭牧師は語っています。
2011年7月24日 ヨハネ19章28-30節「完了した」
28節と30節には、
「完了した」
という同じ言葉が出て来ます。28節の、
「…聖書が成就するために…」
とあるのも、もともとは同じ言葉でして、これは「終わり」とか「目標」「ゴール」を指す言葉から来た動詞です[1]。28節の時点で、イエス様はご自分の十字架上での使命が「完了した」と知られました。それに加えて、なお、
「聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた」
とあるのですが[2]、これだけを安易に受け取って、聖書の言葉を「未来予言」だとか、逆に、イエス様が、「すべてが完了したけれど、まだあの言葉を言って成就させなければならないから」などとお考えになって、わたしは渇くなどと仰ったのだ、と考えてもなりません。
確かに、詩篇には、この28節と29節と重なる御言があります。
「彼らは私の食物の代わりに、苦みを与え、
私が渇いたときには酢を飲ませました。」[3]
しかし、「聖書が成就する」とは、そうした文章単位のことではなく、旧約聖書そのものがイエス様のことを証ししている、という意味なのです[4]。28節で言われている聖書としては、先ほどの詩篇六三篇のほうが合っているでしょう。
「神よ。あなたは私の神。
私はあなたを切に求めます。
水のない、砂漠の衰え果てた地で、
私のたましいは、あなたに渇き、
私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」[5]
イエス様は、父なる神様に対する渇き、気を失うばかりに慕う思いを告白しておられるのです。先に、十八11ではゲッセマネの園での逮捕に当たり、こう言われていました。
「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
そう仰って、十字架という苦難を自ら飲み干してくださったイエス様は、今、
「すべてのことが完了したのを知って、」
なお、まだ、父が下さるのであれば、喜んで杯を受けたい。なお、父の御心を行いたい。
「わたしは渇く」
と仰ったのです。十字架が終わろうとして、ホッとした。やれやれやっと苦難から解放される、というのではありませんでした。父が下さる杯は、喜んで飲み干そうと仰います。ヨハネが伝える十字架は、苦難や悲惨一色ではなく、これこそイエス様の愛の頂点、栄光のとき、勝利の十字架、と見ているのですが、それはここにも明らかです。
「29そこには、酸いぶどう酒のいっぱい入った入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。」
これは、渇くと仰ったイエス様に対して、文字面だけを受け取ったユダヤ人たちの反応でした。しかし、確かに十字架ではのどがカラカラに渇くのです。けれども、その渇いた喉に酸っぱいぶどう酒を与えるなら、焼け付くような苦しみが増すのではありませんか。先の、もう一つの詩篇の言葉は、残酷な行為の譬えだったのです[6]。しかし、
「30イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。…」
これをお受けになってから、完了を宣言されたのです。酸いぶどう酒を飲んだから完了したのではないのです。すでに、28節で、完了したと言われていたのです。そのことを、酸いぶどう酒を飲まれた上で、宣言なさったのです。イエス様の贖いの御業は、ただ十字架の苦難をお受けになって、決まった時間だけ十字架を堪え忍ばれて、それで完了したのではない。父が下さる杯を喜んで飲み尽くし、なお渇くと仰り、人間がなお差し出す悪意のぶどう酒をさえ受けられる、イエス様の限りない愛によって果たされたのです。
パウロは言いました。
「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」[7]
ギリギリでの勝利者。辛うじての勝利者、9対10とか、サヨナラホームラン、ではない。コールドゲーム、完封勝利、「そこまで勝たなくても…」と言いたくなるぐらいの圧倒的な勝利者となる。なぜなら、イエス様の贖いが、贖い以上の強く深い御愛によって果たされたからです。人は「力を尽くす」「限界まで尽くす」と言います。しかし、イエス様において示された神の愛は、十字架を果たしてなお「尽きる」ということを知らない。ここまで、ということがない。そういう愛によってだから、私たちもまた、どんなときも希望を持ち、慰めをいただき、赦しとそれ以上の慈しみとを信じることが出来るのです。
また、ヨハネは、イエス様に差し出されたこの酸いぶどう酒が、
「ヒソプの枝につけて」
と記します。現代のハーブの「ヒソップ」とは違って、ユダヤでは、そこらへんの石垣に生えている低木です。しかし、これは旧約の儀式において重要な役割を果たしました。過越の祭りでは、門に小羊の血を塗るのに、このヒソプが使われました[8]。ツァラアトが癒されたときとか[9]、きよめの儀式で用いられます[10]。そして、詩篇五一篇では、姦通と殺人の罪を悔い改めるダビデが歌っています。
「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。
そうすれば、私はきよくなりましょう。
私を洗ってください。
そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」[11]
ヒソプが主のきよめを象徴することを考えると、ヨハネがわざわざイエス様に酸いぶどう酒を差し出したのがヒソプであったと記しているのは、やはりそこに、イエス様の十字架が、罪のきよめと関わっていることを言いたいのだと思います。前日の過越祭の夜、エルサレムやユダヤ中の家で門に血を塗りつけた同じ草が、いま十字架で血を流されているイエス様に差し出された。それを差し出した本人は、全くそんなことは考えてもいなかったでしょう。むしろイエス様が酸っぱいぶどう酒を飲んで藻掻くところを笑ってやろう、ぐらいのつもりだったのでしょう。しかし、そこにも主は、私たちの罪を完全に清め、私たちを贖う真の大祭司としての証しをしておられた、とヨハネは言いたいのです。
「完了した」
とイエス様は仰いました。私たちを滅びから救い、永遠のいのちを得させてくださるための御業は、イエス様の十字架において完了しました。
「…そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。」
頭を垂れる、という言葉は、枕する、と訳されたのと同じ言葉です[12]。枕するところもない、と言われたイエス様が、遂にこの十字架に枕される。そこに住んでくださる。そして、霊をお渡しになったとは、霊をおささげになった、霊を引き渡された、という言い方です[13]。イエス様は、ここでも主導権を握っておられます。十字架に殺された、という言い方はこの場合、正しくありません。イエス様は自ら十字架につかれ、自ら苦しみを飲み干し、なお飲み干そうという情熱を、(人としての)最後の力を振り絞って表明なさり、霊を神様のおささげになったのです。ここに、私たちの贖いは、間違いなく完了したのです。
では、私たちが信じることは必要ないのでしょうか。あるいは、私たちが信じて信仰生活を送らなければならないのであれば、完了していないではないか、ということにならないのでしょうか。いいえ、確かに完了したのです。完了したからこそ、私たちが今、信じることも出来ているのです。十字架のみわざが完了していなければ、私たちが信じることなど到底不可能です。それに、もしイエス様の十字架が不完全であるなら、一体、十字架の何を信じたらいいのでしょうか。
私たちは、イエス様のように、「完了した」と言って人生を終えることが出来るでしょうか。一日だって、今日も悔いなくやり残すことなく、自分の果たすべき分を果たしたと言い切ることは難しいのです。しかし、私たちが、ではなく、イエス様が、「完了した」と仰って、私たちの分を果たしてくださった。私たちのいのちのために、イエス様がいのちを全うしてくださった。そして、今も私たちのうちに御業をなし続けてくださって、イエス様の恵みによって生きる道に導いてくださる。私たちの人生における神様のみわざを成し遂げてくださって、最後には「完了した」と宣言してくださる。このことを信じるのです。
「圧倒的な愛をもって私共を導いてくださることを感謝します。自分で自分のわざを全うしようとする罪からお救いください。あなたの溢れる恵みに依り頼んで、一日一日を感謝と賛美をもって閉じていくことが出来ますように。私共は足りなくても、主は大きく深いお方です。そして、やがては栄光の御国に目覚めさせていただく朝を待ち望みます」
[2] これは同じようなことが、先の24節でも、36節や37節でも繰り返して言われている言い回しです。
[3] 詩篇六九21
[4] ヨハネ五39「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」
[5] 詩篇六三・一。
[6] マルコ十五23では、十字架につける直前に、「彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。」とあります。これは、感覚を多少麻痺させる効果のあるもので、「慈悲のぶどう酒」とも呼ばれていました。それはお受けにならず、苦難を100パーセント味わい尽くされました。しかし、この、死の直前に差し出された、意地の悪い「酸いぶどう酒」はお飲みになったです。こちらは、慈悲どころか苦難を増すものでしたのに…。
[7] ローマ八37。文語訳では「勝ち得て余りあり」としていました。
[8] 出エジプト十二22「ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。」
[9] レビ記十四4「祭司はそのきよめられる者のために、二羽の生きているきよい小鳥と、杉の木と緋色の撚り糸とヒソプを取り寄せるよう命じる。」
[10] 民数記十九6、18。また、ヘブル九19も。
[11] 詩篇五一・七。
[12] マタイ八20「すると、イエスは彼に言われた。狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
[13] ヨハネ十九16「そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。」また、ガラテヤ二20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」、エペソ五2「また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」また、同25節も。
2011年7月17日 ガラテヤ5章1-15節「自由をえさせるため」
今日は、「御言葉に聴く」の学びを予定しています。テーマは「私たちに現された神の御心を知る」の二回目です。特に今日は、「自由」という事に絞ってお話しをします。
ガラテヤ書の五1には、
「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」
とあり、13節には、
「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」
とあります。「自由を得させるために」「自由を与えられるために」キリストが私たちを解放してくださった。こう重ねているのです。
「自由を得させるために、私たちを解放してくださいました」
と言われるのは、福音は、あれをしなければならない、これをしなければならない、という人間が考え出した誤解、神様が定めたのではない迷信から、人間を解放してくれること、神様の恵みの中であれこれの律法や束縛から自由な者として私たちを歩ませてくれることを言っています。
ここで、自由を得させるために、と言われるほど、福音、引いては、救いやキリスト教そのものにとって、自由という面は重要です。自由を失えば、健全な信仰生活もなくなります。勿論、自由だけが救いの目標だ、というのではありません。私たちの第一の目的は、神の栄光を現し、神を永遠に喜ぶことです。先に読みました、創世記一章では、
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」[1]
「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」[2]
と言われています。神様は、人間をご自身のかたちに似せて、神の栄光を現す者としてお造りになりました。神様が人間に与えられた律法の中で、最も大切な律法は、
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。…あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」[3]
の二つだと言われています。それは、神様ご自身が愛だから、そのかたちに造られた人間もまた、愛を特性としていることを教えています。
キリストが、自由を得させるために私たちを解放してくださった、というのは、この愛をはみ出して、あるいは愛を壊すような形で、好きなようにすることが出来る、というような意味ではありません。それでは、自由ではないではないか、といえば、そうではありません。自由には「絶対的な自由」または「目的としての自由」ということはありません。必ず、その根っこに何かしらの欲求とか動機というものがあって、それを「自由」に行えるか行えないか、ということを言うのです。ある人が何かには目がない、とします。その場合の自由とは、自分の好きなそのことを好きなだけ出来る自由を考えるでしょう。しかし、それが、本当に自分がしなければならないことを妨げたり、そちらにばかり気を取られてしまったりするならば、その好きなことに捕らわれてしまっているわけで、そのことから自由になる必要があります。
神様ご自身が自由なお方です。しかし、神様の本質が聖なる愛ですから、「自由気ままな暴君」となりはしないかと心配する必要はありません。神様には、ご自身の聖なる愛を踏みにじりたくなるような、もっと強く大きな欲求などはないのです。ご自身の愛のままにすべてのことを誠実に行われることにおいて、完全に自由なのです。ウェストミンスター信仰基準において「無償の恵み」と訳されているのは、「自由な恵みFree Grace」という言葉で、「一方的な恵み」とも訳されてきた言葉です[4]。神様は、その恵みを施すことにおいて「自由」なのであって、勝手に恵みを止めたり取り上げたりするような意味で、「自由」なのではありません[5]。
しかし、パウロは、
「またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」
と言い、
「ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい」
とコメントを付けています。自由なお方である神のかたちに造られた、自由な存在であるはずの人間は、罪を犯したために、罪の奴隷となってしまいました。「自由」という言葉自体、私たちは神様から離れたイメージで考えがちです。罪の結果の歪められた発想で「自由」を考えてしまうのです。神様が人間に示してくださった御心は、聖なる愛に生きるための道で、心から喜んで従うべき道です。しかし、それを人間は、窮屈で不自由だと考えてしまいます。御心に従わないで済むことが「自由」だと考えます。
そればかりではありません。私たちは、自由で何物にも振り回されず、自分の歩むべき道を心から進むべきですのに、異なるものに縛られて、依存してしまうことを好んでさえしまう傾向があります。神に縛られたくないと言っているはずなのに、他のものに縛られることで安心しようとするのです。
ご存じの方もおられるでしょうが、この「ガラテヤ人への手紙」の背景は、パウロによって福音を伝えられたガラテヤ地方の教会が、「割礼を受けたり律法を守ったりしなければ救われない」という教えに傾いてしまった事情です。それを知ったパウロが、その間違いを正すために書き送った書簡です。イエス・キリストの十字架により、キリストを信じるだけで、一切の行いによらず、救っていただける、というのが福音です。「福音(良い知らせ)」と言われる通り、ただ恵みにより救われる-行いによらない-というのは素晴らしく、有り難い知らせです。それなのに、道徳や儀式を守らなければ救われない、と教える人々がやってきたときに、そちらにフラフラと流されてしまったのです。
ガラテヤ教会が陥った「律法主義」が間違いで、聖書が最初から一方的な恵みによる救いを教えているのだと、パウロは様々な角度から述べていきます。しかし、それによって教会が二度と「恵みによる救い」から離れなくなったかと言えばその逆で、教会の歩みは、恵みならざるものに引きずられることとの戦いの連続でした[6]。二千年間の教会史は、絶えず、片や、恵みだけでは不十分だとして人間的な儀式や律法によって信徒を束縛しようという誘惑があり、片や、恵みだけなのだからと自分の欲望や自己中心性の奴隷となったまま身勝手でよしとする誘惑がありました。それは、今も変わりません。
自由とは、根本的には、一人一人の心の問題です。心に恐れや不安、焦りがある限りは、いくら律法を取り払っても自由ではあれませんし、自由を回復する「律法」を造ることも出来ません。かえって、その恐れに漬け込んで、新しい制約が作られていき、主の恵みによる自由が小さくされていくのです。教会の中でも、「クリスチャンなんだからこうでなければならない」ということが「暗黙の了解」とか「不文律」のように支配しがちです。確かに聖書は、祈りや信仰について、規範を記しています。その神の規範(聖書)以外のものが、私たちの中で不文律となってしまうことが多いのです。
また、信徒一人一人の内面よりも、プログラムとか会堂とかビジョンなどが大事になって、奉仕や献金や参加を促して、その目標さえ達成すれば成功だ、と考えられてしまうこともあります。その内心の「自由」を重んじて、一方的な恵みのみに信頼することにおいて成長するよう促していくことは、遠回りであり、目に見える成果には結びつきにくいことです。ですから、手っ取り早く、何かをするということに走ってしまうのです。しかし、自由を得させるためにこそ、キリストが解放を与えてくださった、という言葉は何と重いことでしょう。私たちの基準は、ここになければなりません[7]。
神がキリストにおいて私たちに示してくださっている御心は、私たちが、何らかの律法を守ることによってではなく、キリストの贖いの御業を信じること(受け入れること)によって救われた、自由な者として成長していくことです。本来、神の慈しみを映し出すものとして造られた、人間存在の目的を回復して、自己中心や欲望の奴隷でなく、愛をもって互いに仕える、自由さに成長していくのです。教会の交わりは、このことを促していくべきもので、見えるところや数字上のことを目的とするのでは決してないのです。
そのためには、一人一人が如何に罪に捕らわれ不自由であるかを認めなければなりません。それは、自分の弱さとか、感情に支配されることとか、自分の行動や人生を他の人や出来事などのせいにしてしまうことを顧みれば、十分すぎるくらい明らかです。私たちは、イエス様に捕らえていただいて初めて自由への道に成長していけるのです。イエス様が私たちの自由を御心としていて下さるという言葉の重さと尊さを受け止めたいと願います。
「自由を得ていく途上にあって、今なお多くの迷信に捕らえられています。キリストの恵みに信頼し切れない、申し訳ない者です。どうか私たちの心を恵みによって捕らえて、強く雄々しくしてください。十字架をも負われた、主の自由さに、日々与らせてください。」
[2] 創世記一27
[3] マルコ十二29-31
[4] ウェストミンスター信仰告白第十一章一節「義認について 御自分が有効に召命する者たちを、神はまた、無償で義とされる。それは、[第一に]彼らに義を注入することによってではなく、彼らの罪を赦すことによって、また、彼らの人格を義なるものと見なし、受け入れることによって-いずれも、何か彼らの内になされたことや彼らによって行われたことのゆえにではなく、ただキリストのゆえになされる-であり、更に[第二に]信仰それ自体や信ずる行為、あるいは何か他の福音的従順を、彼らの義として彼らに転嫁することによってではなく、キリストの従順と償いを彼らに転嫁し、彼らの方では、信仰によってキリストと彼の義を受け入れて、それらに依り頼むことによって、である。-この信仰を、彼らは自分で持つのではない、それは神の賜物である。」同三節「キリストは、このようにして義とされる者たちすべての負債を、自らの従順と死によって完全に支払い、彼の父の義に対し、彼らの代わりに、ふさわしい、真の、完全な償いをなさった。しかし、キリストは、彼らのために父によって与えられ、また、キリストの従順と償いは、彼らの代わりに受け入れられ、そしてその両方のことが、彼らの内にある何もののゆえでもなく、無償でなされたのであるから、彼らの義認は、ただ、無償の恵みによるのであり、それは、神の厳正な義と豊かな恵みが共に、罪人の義認においてほめたたえられるためである。」など。
[5] こういうことを考えると、「無償」では訳語として不十分ではないかとも思います。しかし、「一方的」や「自由」でも、十分に伝えきれるわけではありません。
[6] パウロ書簡を読むと、「律法主義」との戦いは、ローマ書、ピリピ書、コロサイ書、Ⅱテモテ書など、生涯続いています。
[7] 献金を例に取れば、パウロはⅡコリント九章で、「どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」と述べています。注意したいのは、パウロは一人一人の自発性を、方便ではなく、本気で大事にしているということです。主の恵みを持ち出すのも、多額の献金を引き出すためではなく、恵みに注目することこそが、パウロの目的だからです。
2011年7月10日 ヨハネ19章25-27節「と言われたその時から」
先に十九章23-24節では、イエス様が着物も下着までも奪い取られたことを見ました。しかし、その光景の中でも、ヨハネはイエス様の勝利を見ています。下着が一枚であって、兵士たちも裂こうとせずに籤引きにしたことは、神の民、教会が本質的には一つであって引き裂かれることは決してないという暗示でした。他の人々が、教会を辱め、民を丸裸にしようとも、主の十字架の御業は、私たちを決して手放すことなく、一つの民として下さるのです。
しかし、それを理解せずに、呟いたり疑ったりしてしまう私たちの信仰は、まさに十字架の足下で籤引きをしたり着物を分け合ったりしている兵士たちと重なってしまうのですが、今日の25節はこう書き出します。
「25兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。」
他の福音書を読みますと、十字架の時、弟子たちはみな散り散りバラバラで、女性たちも、
「遠くから見ていた」[1]
とあるだけでした。ですから、この女性たち(そして26節にある「愛する弟子」即ち、福音書記者のヨハネ自身と)が格別勇気と愛によってイエス様の足下に来た、と英雄視することは難しいのです。ですから、兵士たちの戯れとわざわざ対比させてはいるものの、彼女たちはただ立っている他なく、終始無言です。それよりも、彼女たちにイエス様が語りかけてくださったことが大事なのです。兵士たちよりマシかも知れないけれども、何も言えず何も出来ない弟子たち。いいえ、母マリヤでさえ、人としては「我が子」のイエス様に、何にも出来ません。しかし、イエス様が、その弟子たちに語り掛けてくださった。決して、集まった勇気ある女性や弟子へのご褒美、報いとしてではなく、受ける値などない者たちへの、一方的な恵みの御業をなさったのです。
「26イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。
27それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。…」
母マリヤはどんなお気持ちだったでしょう。三〇年以上前、生まれて間もないイエス様を抱いて、このエルサレムの神殿に詣でたとき、老人ザカリヤが、
「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。…」[2]
と言われた言葉通り、マリヤの心も止めを刺されんばかりだったでしょう。
そのような母マリヤのこと、そして今後の生活の支えを案じられたイエス様は、そのそばに立っていた、愛する弟子を、新しくマリヤの息子として縁組みなさるのです。
「そこにあなたの息子がいます。…そこに、あなたの母がいます。」
因みに、他の福音書を見ますと、この時に登場する女性には、
「ゼベダイの子らの母マリヤ」
つまり、ヨハネの母もいたとあります[3]。実の母がいる前で、「あなたの母がいます」という、常識的には場違いな言葉が発せられます。しかし、
「…その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」
とあります。ヨハネはこの言葉を受け入れて、母マリヤを自分の母として家族となります。実の母も一緒に住んでいたかも知れません。でも、家族として暮らしたのです。それは、ただのお世話とか福祉とかを越えた、新しい人間関係です。それが、イエス様が十字架にお掛かりになって、私たちの想像の及ばない苦難を受けつつ現された、栄光の御業なのです。
イエス様が母に、
「女の方。」
と呼びかけられたことは、当時の文化では丁寧な言い方なのですが、私たちには冷たい言い方にも聞こえます。しかし、この同じ言い方は、二章でも出て来ました。イエス様の行われた最初の奇跡、カナの婚礼の場です。最初の奇跡に登場したマリヤとのやり取りが、またこの十字架というクライマックスでも再登場しています。そして、カナの婚礼で明らかにされた、ユダヤ教の儀式では人をきよめることなど出来ない、イエス様だけがそこにいのちの御業を始められ、婚礼を祝福してくださるのだ、と明らかにされていたのが、ここで遂に、イエス様の十字架のみわざが人をきよめるのだと、そして、新しい人間関係を始めていくのだ、と宣言されているのです。
先回、イエス様の下着が一枚の縫い目なしのもので、兵士たちも分けようとはしなかったことから、聖書が最初から教えていたこと、イエス様も繰り返して教えておられたことが「民を一つとする」というご計画を思い起こしました。個人個人が救われてイエス様と共に歩む、というに留まらず、互いに愛し合い、結ばれて、友のためにいのちを捨てるほどの愛を、イエス様は与えよう-綺麗事やスローガンではなく、本当に心を新しくすることによってそのように生かそう-となさって、十字架にお掛かりになったのです。そして、そのことが、一枚織りの下着にダブらされたように、ここでハッキリとイエス様のお言葉によって、母マリヤと弟子のヨハネとが結び合わされたのです。つまり、これはマリヤとヨハネだけのことではなく、イエス様が私たちをも結び合わせてくださる、という御心の初穂なのです。
ところで、この次の28節にこうあります。
「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って…」
ということは、やはり、マリヤとヨハネとを家族として結び合わせたのは、イエス様の十字架における目的だったと言える出来事だったのです。他に「これ」ということもなく、事実上、十字架で起きた出来事で記されているのは、今日の箇所ぐらいなのです。しかし、28節の言い回しは、ここまでイエス様は、十字架の苦しみやご自分が何をなすべきか、何を話せば、すべてのことが完了したことになるのか、ご存じではなかった、ということです。言い換えれば、マリヤとヨハネに、
「女の方。そこに、あなたの息子がいます」
「そこに、あなたの母がいます」
と言えば、十字架上での使命は終わりだと分かっていたからそう言われたのでもなかった、ということです。
勿論、イエス様は人であるとともに神であられますから、まったくご存じなかったとは断言できません。しかし、人でもあられたのであって、そこには、知識の限界も当然あったのです。そして、痛みには耐えかねるほどの肉体をお持ちでした。十字架の苦悶、気が狂うほどの激痛に四時間は晒されていたのです。また、前回申しましたように、イエス様は身包み剥がされて、裸の恥に晒されていました。そういうときに、回りを見渡して、母マリヤとヨハネを見て、ご配慮なさった、自分の苦悶はさておいて、母や弟子たちのことを心に掛けて下さって、こういうことを仰ったとは、何というイエス様でしょうか。それも、あれだけは言っておかなければ、とか、あれを言えば完了だ、というのではなく、そういうことは知らなかったけれども、母たちとヨハネがいるのを見た時に、イエス様は(ご自身が悶絶しそうなほどの激痛と屈辱に全身を貫かれながらも)その口から、母とヨハネを親子の絆で表現されるほどの強い結びつきを宣言する言葉が吐いて出たのです。
それは、ひとえにイエス様が母と弟子、そして、ご自身の民を愛しておられたから、です。それを言えば終わるとか、そう言うことになっていたから、という計算があってのパフォーマンスなら私たちにも出来ないことではないかも知れません。しかし、そんなことを言っても何にもならないような時、普段の、誰も聞いていないとき、遠慮せずに本音が出せる時、そういう時に私たちの口から出るのはどんな言葉でしょうか。イエス様は、そのような中で、十字架につけた人々を赦し[4]、母と弟子に声をお掛けになりました。
そして、その同じ愛によって、主が私たちを愛していてくださり、私たちを神の家族として結びつけて下さっています。イエス様が、十字架の苦痛と恥の間も、思っていらしたのは私たちのことでした。そして、私たちを主にある家族として結びつけてくださる。このイエス様の御愛に気づかせてくださいます。そして、当然そのイエス様が私たちに、
「互いに愛し合いなさい」
と言われたのも、パフォーマンスとか偽善とかの愛の言葉ではなく、心からの愛の言葉を語り、生きる者へとしたい、との御心なのです。本当に確かな、揺るぎないイエス様の愛が、十字架の贖いを完了させました。その恵みを
[1] マタイ二七55-56「そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。」マルコ十五40-41「また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちであった。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。」ルカ二三49「しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた。」
[2] ルカ二35。ただし、この「剣があなたの心を刺し貫くでしょう」は、不定過去(一度の決定的な出来事)の時制ではなく、現在時制ですから、イエス様の成長のご生涯、何度も何度も、マリヤの心が痛むことを言っています。ですから、この場はザカリヤの預言の「成就」ではなく、成就してきたであろう心情の「頂点」というべきかと思います。
[3] 四福音書で共通するのは「マグダラのマリヤ」だけです。彼女の重要性は、復活の証人ともなるからです。しかし、それ以外は入り乱れていて、不詳です。整合性を得ようとして、「ゼベダイの子らの母マリヤ」とは「[イエス様の母マリヤの]姉妹」であって、イエス様とヨハネたちは従兄弟だったのではないか、などという人もいますが、マルコによれば四人だけではなかったのですし、イエス様の母マリヤの名前はヨハネにしかなく、その別名も捜さなければならないことになってしまいます。あまりここでは突っ込んだ憶測はせずにおきます。
[4] ルカ二三34「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
2011年7月3日 民数記四章「真っ青の布を延べ」
民数記の三章と四章には、荒野を旅していたイスラエル民族の中でも、祭司の部族である「レビ人」の人口調査と、レビ人が聖所を移動させる時の役割分担について記しています。お読みになって分かるように、レビ人はさらに「ゲルション族、ケハテ族、メラリ族」という三つに分かれていました。そして、ケハテ族から祭司アロンの家系が出て来ます。
ここで命じられている役割分担は、明確です。ケハテ族は、幕屋のもっとも大事な、聖所の中の様々な器具を運びます。契約の箱や燭台、パンの台、香の祭壇など、一番大切な什器です。ゲルション族は、幕屋の布類をすべて運ぶ係りです。メラリ族は、板や釘などの骨組みの部分を運びます。一番、地味な仕事だと言っていいでしょう。
しかし、三章との大きな違いはもう一つ、ここでの対象が、
「三十歳から五十歳」
とされていることです。前回は、生後一ヶ月以上の男子全員が対象だったのですが、ここでは三十歳から五十歳、わずか二十年の期間に限定されています。
その理由は、幕屋を運ぶという体力を要するから、ということでもあるでしょうが、それだけでしょうか。回は遂にイエス様が十字架に釘打たれた記事でした。さらっと書いてはありますが、さらっと読み飛ばしてはならない、イエス様の痛みを思わされる18節です。しかし、ヨハネはこの出来事を決して暗く書いてはいません。むしろ、勝利の時、イエス様が王であられることの宣言として描いています。
今日の23、24節では、イエス様が、十字架につけられたとき、四人ひと組の兵士が、イエス様の着物を分けたことと、下着は籤を引いて誰の者にするかを決めたことが書かれています[1]。着物を四人で分けたとあるのは、四枚の着物を重ね着されていたというような意味ではなく、服とサンダルとベルトとターバンの四つをそれぞれ分配した、ということだと考えられています。また、このように死刑囚の遺品が処刑者の取り分になるというのは(多くの文化で見られるようですが)当時の慣習であったそうです。
そして、下着を分けた、ということは、当然、イエス様が十字架に掛けられたときは裸であったことを明示しています。多くの聖画と呼ばれるものも、十字架の苦悶や壮絶さを描きはしても、イエス様の腰は布で隠しますが、実際の十字架は、もっと憚り無く、容赦のない辱めでした。ここに、私たちは、イエス様が十字架に掛かられた苦しみと辱めの一端をまた見る思いがします。
しかし、ヨハネはイエス様の十字架を、痛ましい悲惨という見方をしていません。この記事もまたそうです。十字架に掛けられたイエス様の着物を兵士たちが分けたり籤を引いたりしたことは、他の福音書も記しています[2]。そして、それも含めたイエス様の十字架での出来事が、詩篇二二篇の成就でもあることは暗示されています[3]。それなのに、ヨハネが敢えてこの出来事を、詳しく記して、イエス様の下着が縫い目なしの一枚のものであった、とか、籤を引くようになったのが、詩篇二二18の成就である、とか伝えているのは、余程の意味があってのことであるに違いありません。
一つには、下着が、
「上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。」
とあることの意味です。イスラエルの歴史では、着物は、神の民の一体性を象徴する道具としてしばしば使われています。Ⅰサムエル記十五17-29では、主に逆らう罪を重ねたサウルに対する裁きとして、サウルが王位から退けられ、王国が引き裂かれることが、サムエルの上着が裂けたことで現されました。後のⅠ列王記十一29-31でも、預言者アヒヤが自分の新しい外套を十二切れに引き裂き、イスラエル王国が南北に分断して、ヤロブアムの手に十部族が付くことを告げました。
もっと積極的には、大祭司アロンの祭服は、青色の撚り糸だけで一枚に織ることがいわれていました[4]。また、その大祭司の衣装は、どれほどの悲しみがあるとしても、決して引き裂いてはならないとも言われています[5]。
そういうことを考えても、イエス様の下着が一枚布であった、とわざわざ記されているのは、ただの事実ではないでしょう。十16でイエス様は、
「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」
と言われていました。また、最後の晩餐の席では、
「彼らが全うされて一つとなるため」[6]
と何度も仰って、祈られていました。イエス様が、ご自身の民を一つに集めて、一つの群れとしてくださる。民を引き裂き、分断するようなものから、必ず救い出して、導いてくださる。そのようなゴールを目指しての目的を明らかにしておられました。ですから、ここ十字架においても、イエス様の下着という小道具さえも、イエス様が十字架に掛かられることによって、民が一つになるという御業が証しされていたのだ、とヨハネは言いたいのでしょう。
しかし、大祭司の祭服が、一枚のもの、引き裂いてはならない、ということは、レビ記では、生贄が、傷のないものでなければならないとされていたことと通じています[7]。それは、「全き」とも訳されることで、民の礼拝が純粋な心で、混じりけのない、真実なものであることを表しています。ですから、主の民の「一体性」とは、見えるところでの一致団結や組織的に一つに纏められる、というようなことではありません。それは、もっと深いところにおける、根源的な一致であり一体性です。
カルヴァンは、「主イエス・キリストが着ている物をはぎ取られたのは、彼の義を私たちにまとわせるためである。彼の体が裸で人々の辱めにさらされたのは、私たちが栄光をまとって神の御座の前に現れるようにするためである」と言いました[8]。そもそも神様は、アダムが堕落した時に、無花果の葉で腰を隠そうとするアダムとエバに、皮の衣を着せてくださいました[9]。それは、外見だけの装いでなく、存在そのものを包んでくださり、回復させてくださることのお約束でした。
神様は人間に服を着せるだけでなく、その人間を救うために、この時、裸の恥をも引き受けられました。十三章では、イエス様は弟子達の足を洗うために上着を脱がれた、とありましたが、その上着は、まさに今日の「着物」のことです。裸になられたのは、弟子達の心を洗い、罪から清めるためでした。
しかし同時にこの上着を分け合う兵士たちは、何とがさつで無神経で近視眼であることでしょうか。イエス様がどんな方なのか、何のために十字架に掛かれているのか、そういうことには気づかず、考えようともしません[10]。片方の強盗は、イエス様を見ているうちに、この方が神のキリストだと気づいたと言うのに、彼らが見ているのは着物を分け合うだけのことです。そして、そのような神を恐れぬ心から、イエス様の下着をくじ引きしています。
ヨハネは、このくじ引きにコメントして、
「…それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。」
と言います。これは、詩篇二二18の言葉です。そこでは、詩人が、神から見捨てられたかと表現するような苦しみの中から訴えています。そして、敵対する人々が寄ってきて、侮辱や嘲笑をしてくる様が描かれています。その中で、
「着物をくじ引きにします」
という言葉が出てくるのです。
そう考えると、イエス様の一枚の下着を分けたということが、この御言葉の成就であったというヨハネの意図も、キリストに逆らい嘲り慰み物にする人々がいることと、そのキリストの民をも同じように弄び、迫害し、あわよくば引き裂こうとする人もいることまで暗示しているのでしょう。けれども、その悪意にも関わらず、民は一つに守られる、彼らを引き裂くものはいない、ということなのです。
現実には、教会は必ずしも一致しているわけではなく、歴史を振り返っても、教派や民族の壁を挟んで争ってきた歴史もあります。ヨハネの時代でさえ、教会は既に外部からの迫害ばかりか内側からも偽教師や異端や不信仰の問題が噴出していました。私たちの教会や家庭も偉そうな事は言えません。それでも、民は一つ、と言えるのでしょうか。
ここで私たちは、イエス様が下着までもはぎ取られたこと、その時に、下着に証しされて民の一体性が証しされていることを深く覚えましょう。イエス様が民を一人残らず救われて、一つ民とされるとの御心は、すべてのものがはぎ取られなければ分からないのでしょう。私たちは、見えるところでの一致とか、自分の感覚を中心に、一つになるとか一致がないとか判断しがちです。人には愛や犠牲を厭わずに、自分に尽くしてくれることを求めるものです。けれども、イエス様の下さる一致は、個性や意見の違いがなくなることではなく、違いや問題があるにも関わらず「一つ」であるという一致です。私たちもまた、あれもこれもと思っていた余計なものをはぎ取られながら、何一つ持たない素寒貧にされるような思いをさせられながら、初めて、そうだ私たちはキリストにあって一つである、と本当に心から告白させていただけるような、そういう一致です。
見えないところで心を一つにする-いいえ、既に主にあって一つである-という事実を受け入れること。相手に阿るでもなく要求するでもなく、ただ「歩み寄る」でもなく、主にあって和解し、新しい一致に生きること、なのです。そして、十字架の主の足下で、自分の取り分を求め籤を引いているような生き方でなく、一人一人が日々、謙り、自分を捨て、主に栄光を帰することにおいて、一つを成就するよう招かれています。
「教会の礼拝や交わり、また中会での交わりに、神の民の一体性と、夫夫の豊かな個性を垣間見ます。主の苦難と兄弟姉妹の信仰とから、どれほど恵みを受け、襟を正されてきたことでしょう。どうか私たちが、自分ではなく、主の規準から一致を求め、和解し、心を合わせていくことが出来ますように、目の覆いを、余計な物を取り去ってください」
[2] もっとも、マタイとマルコは、くじを引いて着物を分けた、という記し方で終わっていますし、ルカは「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです」という有名な言葉と結びつけて、ですが、事実としてはマタイ、マルコと変わらず簡略です。マタイ二七35-36、マルコ十五34、ルカ二三34。
[3] マタイ二六、二七章は特に顕著です。
[4] 出エジプト記二八31-32。「エポデの下に着る青服を、青色の撚り糸だけで作る。その真ん中に頭を通す口を作る。その口の周囲には、織物の縁をつけ、よろいのえりのようにし、ほころびないようにしなければならない。」
[5] レビ記二一10。「兄弟たちのうち大祭司で、頭にそそぎの油がそそがれ、聖別されて装束を着けている者は、その髪の毛を乱したり、その装束を引き裂いたりしてはならない。」聖書には悲しみの表現として、衣服を裂くことがよく出て来ます。しかし大祭司は、自分の親が死んでさえ、祭服を破ってはならないとされていました。
[6] ヨハネ十七11、21-23。
[7] レビ記一3他「もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。…」そして、レビ記二一章全体が、祭司の身に欠けがあってはならないことを教えつつ、民の霊的な完全さを要求しています。
[8] 榊原康夫『ヨハネ福音書講解 下』二五三頁。
[9] 創世記三21。
[10] また、マルコ五25-34には、長血の女が「お着物にでもさわることでもできれば、きっと直る」との信仰をもってイエス様の着物にさわったことが掛かれています。その信仰をもって触った着物を、兵士たちは何も考えずに四分しています。
2011年6月26日 ヨハネ19章23-24節「下着のためにくじを引き」
前回は遂にイエス様が十字架に釘打たれた記事でした。さらっと書いてはありますが、さらっと読み飛ばしてはならない、イエス様の痛みを思わされる18節です。しかし、ヨハネはこの出来事を決して暗く書いてはいません。むしろ、勝利の時、イエス様が王であられることの宣言として描いています。
今日の23、24節では、イエス様が、十字架につけられたとき、四人ひと組の兵士が、イエス様の着物を分けたことと、下着は籤を引いて誰の者にするかを決めたことが書かれています[1]。着物を四人で分けたとあるのは、四枚の着物を重ね着されていたというような意味ではなく、服とサンダルとベルトとターバンの四つをそれぞれ分配した、ということだと考えられています。また、このように死刑囚の遺品が処刑者の取り分になるというのは(多くの文化で見られるようですが)当時の慣習であったそうです。
そして、下着を分けた、ということは、当然、イエス様が十字架に掛けられたときは裸であったことを明示しています。多くの聖画と呼ばれるものも、十字架の苦悶や壮絶さを描きはしても、イエス様の腰は布で隠しますが、実際の十字架は、もっと憚り無く、容赦のない辱めでした。ここに、私たちは、イエス様が十字架に掛かられた苦しみと辱めの一端をまた見る思いがします。
しかし、ヨハネはイエス様の十字架を、痛ましい悲惨という見方をしていません。この記事もまたそうです。十字架に掛けられたイエス様の着物を兵士たちが分けたり籤を引いたりしたことは、他の福音書も記しています[2]。そして、それも含めたイエス様の十字架での出来事が、詩篇二二篇の成就でもあることは暗示されています[3]。それなのに、ヨハネが敢えてこの出来事を、詳しく記して、イエス様の下着が縫い目なしの一枚のものであった、とか、籤を引くようになったのが、詩篇二二18の成就である、とか伝えているのは、余程の意味があってのことであるに違いありません。
一つには、下着が、
「上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。」
とあることの意味です。イスラエルの歴史では、着物は、神の民の一体性を象徴する道具としてしばしば使われています。Ⅰサムエル記十五17-29では、主に逆らう罪を重ねたサウルに対する裁きとして、サウルが王位から退けられ、王国が引き裂かれることが、サムエルの上着が裂けたことで現されました。後のⅠ列王記十一29-31でも、預言者アヒヤが自分の新しい外套を十二切れに引き裂き、イスラエル王国が南北に分断して、ヤロブアムの手に十部族が付くことを告げました。
もっと積極的には、大祭司アロンの祭服は、青色の撚り糸だけで一枚に織ることがいわれていました[4]。また、その大祭司の衣装は、どれほどの悲しみがあるとしても、決して引き裂いてはならないとも言われています[5]。
そういうことを考えても、イエス様の下着が一枚布であった、とわざわざ記されているのは、ただの事実ではないでしょう。十16でイエス様は、
「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」
と言われていました。また、最後の晩餐の席では、
「彼らが全うされて一つとなるため」[6]
と何度も仰って、祈られていました。イエス様が、ご自身の民を一つに集めて、一つの群れとしてくださる。民を引き裂き、分断するようなものから、必ず救い出して、導いてくださる。そのようなゴールを目指しての目的を明らかにしておられました。ですから、ここ十字架においても、イエス様の下着という小道具さえも、イエス様が十字架に掛かられることによって、民が一つになるという御業が証しされていたのだ、とヨハネは言いたいのでしょう。
しかし、大祭司の祭服が、一枚のもの、引き裂いてはならない、ということは、レビ記では、生贄が、傷のないものでなければならないとされていたことと通じています[7]。それは、「全き」とも訳されることで、民の礼拝が純粋な心で、混じりけのない、真実なものであることを表しています。ですから、主の民の「一体性」とは、見えるところでの一致団結や組織的に一つに纏められる、というようなことではありません。それは、もっと深いところにおける、根源的な一致であり一体性です。
カルヴァンは、「主イエス・キリストが着ている物をはぎ取られたのは、彼の義を私たちにまとわせるためである。彼の体が裸で人々の辱めにさらされたのは、私たちが栄光をまとって神の御座の前に現れるようにするためである」と言いました[8]。そもそも神様は、アダムが堕落した時に、無花果の葉で腰を隠そうとするアダムとエバに、皮の衣を着せてくださいました[9]。それは、外見だけの装いでなく、存在そのものを包んでくださり、回復させてくださることのお約束でした。
神様は人間に服を着せるだけでなく、その人間を救うために、この時、裸の恥をも引き受けられました。十三章では、イエス様は弟子達の足を洗うために上着を脱がれた、とありましたが、その上着は、まさに今日の「着物」のことです。裸になられたのは、弟子達の心を洗い、罪から清めるためでした。
しかし同時にこの上着を分け合う兵士たちは、何とがさつで無神経で近視眼であることでしょうか。イエス様がどんな方なのか、何のために十字架に掛かれているのか、そういうことには気づかず、考えようともしません[10]。片方の強盗は、イエス様を見ているうちに、この方が神のキリストだと気づいたと言うのに、彼らが見ているのは着物を分け合うだけのことです。そして、そのような神を恐れぬ心から、イエス様の下着をくじ引きしています。
ヨハネは、このくじ引きにコメントして、
「…それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。」
と言います。これは、詩篇二二18の言葉です。そこでは、詩人が、神から見捨てられたかと表現するような苦しみの中から訴えています。そして、敵対する人々が寄ってきて、侮辱や嘲笑をしてくる様が描かれています。その中で、
「着物をくじ引きにします」
という言葉が出てくるのです。
そう考えると、イエス様の一枚の下着を分けたということが、この御言葉の成就であったというヨハネの意図も、キリストに逆らい嘲り慰み物にする人々がいることと、そのキリストの民をも同じように弄び、迫害し、あわよくば引き裂こうとする人もいることまで暗示しているのでしょう。けれども、その悪意にも関わらず、民は一つに守られる、彼らを引き裂くものはいない、ということなのです。
現実には、教会は必ずしも一致しているわけではなく、歴史を振り返っても、教派や民族の壁を挟んで争ってきた歴史もあります。ヨハネの時代でさえ、教会は既に外部からの迫害ばかりか内側からも偽教師や異端や不信仰の問題が噴出していました。私たちの教会や家庭も偉そうな事は言えません。それでも、民は一つ、と言えるのでしょうか。
ここで私たちは、イエス様が下着までもはぎ取られたこと、その時に、下着に証しされて民の一体性が証しされていることを深く覚えましょう。イエス様が民を一人残らず救われて、一つ民とされるとの御心は、すべてのものがはぎ取られなければ分からないのでしょう。私たちは、見えるところでの一致とか、自分の感覚を中心に、一つになるとか一致がないとか判断しがちです。人には愛や犠牲を厭わずに、自分に尽くしてくれることを求めるものです。けれども、イエス様の下さる一致は、個性や意見の違いがなくなることではなく、違いや問題があるにも関わらず「一つ」であるという一致です。私たちもまた、あれもこれもと思っていた余計なものをはぎ取られながら、何一つ持たない素寒貧にされるような思いをさせられながら、初めて、そうだ私たちはキリストにあって一つである、と本当に心から告白させていただけるような、そういう一致です。
見えないところで心を一つにする-いいえ、既に主にあって一つである-という事実を受け入れること。相手に阿るでもなく要求するでもなく、ただ「歩み寄る」でもなく、主にあって和解し、新しい一致に生きること、なのです。そして、十字架の主の足下で、自分の取り分を求め籤を引いているような生き方でなく、一人一人が日々、謙り、自分を捨て、主に栄光を帰することにおいて、一つを成就するよう招かれています。
「教会の礼拝や交わり、また中会での交わりに、神の民の一体性と、夫夫の豊かな個性を垣間見ます。主の苦難と兄弟姉妹の信仰とから、どれほど恵みを受け、襟を正されてきたことでしょう。どうか私たちが、自分ではなく、主の規準から一致を求め、和解し、心を合わせていくことが出来ますように、目の覆いを、余計な物を取り去ってください」
[2] もっとも、マタイとマルコは、くじを引いて着物を分けた、という記し方で終わっていますし、ルカは「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです」という有名な言葉と結びつけて、ですが、事実としてはマタイ、マルコと変わらず簡略です。マタイ二七35-36、マルコ十五34、ルカ二三34。
[3] マタイ二六、二七章は特に顕著です。
[4] 出エジプト記二八31-32。「エポデの下に着る青服を、青色の撚り糸だけで作る。その真ん中に頭を通す口を作る。その口の周囲には、織物の縁をつけ、よろいのえりのようにし、ほころびないようにしなければならない。」
[5] レビ記二一10。「兄弟たちのうち大祭司で、頭にそそぎの油がそそがれ、聖別されて装束を着けている者は、その髪の毛を乱したり、その装束を引き裂いたりしてはならない。」聖書には悲しみの表現として、衣服を裂くことがよく出て来ます。しかし大祭司は、自分の親が死んでさえ、祭服を破ってはならないとされていました。
[6] ヨハネ十七11、21-23。
[7] レビ記一3他「もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。…」そして、レビ記二一章全体が、祭司の身に欠けがあってはならないことを教えつつ、民の霊的な完全さを要求しています。
[8] 榊原康夫『ヨハネ福音書講解 下』二五三頁。
[9] 創世記三21。
[10] また、マルコ五25-34には、長血の女が「お着物にでもさわることでもできれば、きっと直る」との信仰をもってイエス様の着物にさわったことが掛かれています。その信仰をもって触った着物を、兵士たちは何も考えずに四分しています。
2011年6月19日 ヨハネ19章17-22節「ご自分で十字架を負って」
18節に、読み飛ばしてしまいそうなくらいあっさりと、
「彼らはそこでイエスを十字架につけた。…」
とありますが、これは、イエス・キリストが十字架に掛かられたという、キリスト教会の中心的メッセージといえる出来事です。ヨハネ伝が記された、紀元一世紀末の読者たちは、十字架刑というものをローマ帝国の処刑方法として、身近に目撃することが少なくなかったのですから、私たち以上にこのひと言に敏感であったでしょう。
十字架刑とは、ご存じのように、木に罪人の手足を固定して、野晒しにするという、残酷な処刑方法です。木の形は、様々あったようですが、よく絵で見るような、見上げるほど高く太い木を交差させた、あんな立派なものではなく、もっと短く、足も地上から三〇センチほど浮き上がる程度の木だったろうと考えられています。
「17彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。」
とあるように、処刑される罪人は、鉛の玉がついた鞭で打たれた後、自分で十字架の木を背負わされて、刑場まで歩かされる習わしとなっていました。それには、絵で見るような大きな十字架では重すぎるはずで、今では十字架の横木だけを背負わされたのだろうと考えられています。(それでさえも、鞭打たれた背中と肩には恐ろしい痛みを引き起こしたことは想像に余りあります)。
手足を固定されて磔にされ、重みで腕や肩の骨は外れます。耐えかねるほどの激痛はあっても致命傷や多量の出血はないまま、照り付ける日射や雨風に晒されて、二、三日は死なないのが普通であったといいます。まだまだ、十字架の苦痛を描写しきった訳では到底ありませんが、これぐらいにしましょう。
先週の小会報告で、清水武夫先生のテキストから分かち合った中にもありましたように、イエス様の十字架の苦しみは、今少しだけ述べたような肉体的な苦しみもさることながら、それ以上に、全人類の罪に対する神の聖なる怒りを受けられたことにありました[1]。それを、マタイやマルコの福音書は、
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」[2]
という言葉で伝えています。それは、私たちが想像することも出来ないし、終末的な滅びからも救われた以上、味わうことも決してなくされている苦難でした。しかし、清水先生が書かれていた、体を十字架に磔にされて動けないという最も不自由な状態でありながら、イエス様は、それを愛ゆえに自ら選んでくださった-拒むことも降りることも出来るのに、私たちを愛して、十字架に留まってくださった-という意味では、最も自由であられた、ということ[3]。ヨハネの福音書はこちらの方に焦点を当てています。それが、17節の、
「ご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所…に出て行かれた。」
という表現です。他の福音書が記すように、途中でクレネ人シモンが手伝った、という事実もあるのですが[4]、ヨハネはそのことに目を瞑って脚色しているのではなく、イエス様は十字架を、無理矢理背負わされたのではなく、ご自分から進んで担われたのだ、ということです。クレネ人シモンが手伝ったり、釘を打ったり十字架を立てたのは兵士だったり、裁判には大祭司や総督ピラトの丁々発止があったりしたとはいえ、何よりも大事なのは、イエス様が自らこの十字架を、いのちを捨てる道を、進んで選ばれたのだ、ということです。
すでにヨハネは、十18で言われていました。
「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」
イエス様が、ご自分からいのちをお捨てになる。その言葉が成就したのが、今日の箇所です。ですから、ヨハネの十字架記事は、一貫して暗さがありません。痛ましさよりも勝利宣言であり、酷たらしさよりも栄光が輝いています。
19節以下の、ピラトが書いた罪状書きを巡る記事もそうです。ピラトとしては、大祭司たちに対する屈辱感とか一矢報いようとの思いで、「ユダヤ人の王」と書いたのでしょう。それも、これ見よがしに、ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語、三つの言語で書きました。祭司長たちが、
「21…「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と言った。」
のに、ピラトは頑として聞かず、
「22…「私の書いたことは私が書いたのです。」」
と拒絶を通したのも、ピラトのプライドからに過ぎないのでしょう。しかし、明らかにヨハネはここに、イエス様がまことの「王」であられるとの摂理的な証しを見ています。
「20それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。…」
とあるのも、過越祭のごった返す中、ピラトが意固地に書いたイエス様の肩書きが、多くの人に、また様々な言語で証しされたという、不思議な神様の摂理を言いたいのです。
「18…イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった。」
とあるのも、ユダヤ人たちからすると、イエス様を死刑囚の三人の一人にしてしまうという冒涜的な思いからだったのでしょう。端っこではなく、紛れ込ませる、という図式です。しかし、その真ん中の十字架に、「ユダヤ人の王」と書かれた罪状書きが掲げられていたのだとすると、その光景の意味も一変します。罪人たちの王、罪人たちのために自らも十字架を負いたもう王、自らも苦しまれることによって罪人たちを慰めたもう王、という構図です。
イエス様が十字架に掛かられた地を、「髑髏の地」ゴルゴタ、ラテン語ではカルヴァリと言います。この場所がどこなのかは、現代、二つの説があって、定かではありません。「丘」ではないことは確かですが、なぜ髑髏と呼ばれていたのかさえ不明です。けれども、やはりヨハネは、イエス様が死の場所へ自ら進まれたのだと、ゴルゴタにダブらせて言いたいのでしょう。
ところで、17節と18節で、
「彼らは」
とありますが一体誰のことでしょうか。14節から16節の流れからすると、ユダヤ人、大祭司たちです。しかし、彼らは十字架に掛ける立場にはありませんでした[5]。マタイ、マルコでは、イエス様の処刑を実行したのは兵士たちだとされています[6]。それなのに、ヨハネは兵士が、とは言わず、ユダヤ人たちと思わせるような書き方をしているのです。直接手を下したわけではありません[7]。眺めていただけでした。それでも、彼らがイエス様を十字架につけ、ほかの犯罪人と並べて扱ったのです。いいえ、そればかりではなく、この「彼ら」の中に、私たちは自分たちも含めて読まずにはおれないのです。
大祭司はイエス様を十字架に殺すほど極悪で、私はそれ程悪くないし、そこにもいなかった、ではないのです。まさしくそのように、自分を正しいとする思い、自分は人より悪くないというエゴこそが、イエス様を十字架に磔にしたのです。けれども、その「彼ら」ことが同時に、イエス様が自ら十字架を負い、進んで私たちの罪と死を現す髑髏の地に赴き、測り知れない苦しみを味わって死んでくださった、ということでもあるのです。これは本当に不思議なことです。
言うまでもなく、イエス様は、「ユダヤ人の王」とも呼ばれますが、全人類の王、万物の王であられます[8]。ユダヤ人でさえ、ローマ帝国中に通じる言語で、イエス様が王として証しされている罪状書きを読みました。アウグスティヌスは、「もし「ピラトのような男が、私の書いたことは私が書いたのだ、変更できない、と言うことができるのなら、神が一度その[いのちの]書に書かれたものを取り消されるなどと考えられるだろうか」と言ったそうです[9]。イエス様を十字架に磔にするほどの私たちの罪をご承知の神が、その私たちの罪の暴力の真っ直中にひとり子をお送りくださった。それは、私たちをいのちの書に記すためでした。
私たちの救いは、イエス様の悲劇によってでなく、喜びと勝利の十字架によって成し遂げられたのです。ですから、私たちの罪や肉を、正当化したりせず、すべて十字架のイエス様にお委ねしましょう。ご聖霊が私たちにも、嫌々渋々ではなく、喜びと望みをもって、自分の十字架を負う心を下さって、イエス様に従わせてくださいますように[10]。
「主の御霊が私共の心を治めて、イエス様の十字架による贖いにますます与らせてくださいますように。全世界に告げ知らされる王、そして、この私の王であられる主が、いよいよ私共の目を開き、肉の思いを砕いて、恵みによって支配してくださいますように」
[1] 「私たちは、イエス・キリストが十字架の上で味わわれた苦しみの深さを永遠に理解し尽くすことはできません。その当時、十字架につけられて処刑された人はほかにもたくさんいました。けれども、イエス・キリストが十字架の上で味わわれた死の苦しみは、十字架刑という人間が加えることができる死の苦しみで終わるものではありません。イエス・キリストは十字架の上で、ご自身の民の罪に対する神の最終的な刑罰、すなわち地獄の刑罰に相当する苦しみを味わわれました。その苦しみについては、マルコ15・33、34に、「さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。そして、賛辞に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である」と記されています。…」清水武夫『私たちに現された神のみこころ』二六一頁
[3] 清水、前掲書、「外側から見たところ、最も不自由な状態にある、十字架につけられたイエス・キリストは、自由という観点から見たときには、そのご意志が完全に愛によって導かれている、最も自由な状態にありました。」二六四頁。
[6] マタイ二七27-38、マルコ十五16-24。ルカ二三章では、25節以下34節まで、「彼ら」の対象が定かではありませんが、34節ではその「彼ら」がイエス様の着物を分けたとありますから、やはり兵士たちのことでしょう。
[7] ヨハネ十八28では、「過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった。」とありましたが、十字架に触ったり、血に触れたりすることも、彼らは避けようとしたはずです。
[8] ルカ一32「…神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。33彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」マタイ二2「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。」ヨハネ十二13「…大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
[9] ジョン・C・ライル『ライル福音書講解 ヨハネ4』二八三頁。
[10] ルカ十四27「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」この「自分の十字架を負って」は、今日のヨハネ十九17と同じ原文です。
2011年6月12日 ヨハネ19章8-16節「他に王はいない」
「16そこでピラトは、そのとき、イエスを十字架につけるため彼らに引き渡した。」
とあるように、遂にイエス様の十字架刑が決定されます。しかし、今日のところを読みながら分かるように、ピラトは最後までイエス様の無罪を確信しています。このことをヨハネは強調しています。
「 8ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた。」
とあるのも、7節で、イエス様が、
「自分を神の子とした」
という言葉を聞いて、です。そんな方を殺すことへの恐れを持つのです。それでも、
「 9…「あなたはどこの人ですか」…」
とイエス様の裁判を何とか回避しようとしたり[1]、
「10…あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか」
と強気に振る舞ったりしているところはあります。しかし、そうした中でもますますイエス様の無罪を確信し、
「12…ピラトはイエスを釈放しようと努力した。…」
と言われるのです。13節で、
「そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語でガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。」
とあるのは、この時点でピラトはもう判決を処刑とせざるを得ないと諦めて、裁判の席に着いたのです。それでも、なお、
「14…ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」」
と言う。そして、15節で、激しい抵抗に遭いながらもなお、
「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」
と抵抗を試みているのです。ピラトはイエス様が「ユダヤ人の王」であり、十字架を回避させてやりたい、という態度を明白に打ち出しています[2]。
ところが、これとは対照的に、イエス様はご自分の十字架や死を回避しようなどとは全くなさっていません。10節でピラトが半ば脅して掛かっても、
「11…もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
と答えられるだけです。ピラトの権威に頼る事もないし、「ここであなたが勇気をもって無罪を宣言しなければ、あなたの罪は後々まで語り継がれてしまいますよ」と迫ったり裁いたりはなさらないのです。鞭打たれ、血と汗でグッショリ濡れておられた筈です[3]。痛みに喘いでいたでしょう、しかし、ご自身の死も、十字架の苦しみも、全く恐れてはいないのです。代わりに、ピラト自身の目を真理に向けようとされるのです。あなたに上から権威を与えた方がおられる。真理の証しをするためにわたしは来た[4]。そう言われて、振りかざしたはずの自分の権威が何の役にも立たないことを認めさせられ、身包みはがされるような思いをする。9節の問いに沈黙を守られたのも、それがピラトの責任回避に過ぎないと見抜いているからです。沈黙をもって、わたしは、ピラトよ、あなたの魂に向き合いたいのだ、と応えられるのです。
ピラトがイエス様のことを、「ユダヤ人の王」と再三呼んで指し示すのは、ピラト自身、王の前に立たされているかのような思いをしていたからです。自分の王、とまではまだ認めていませんが、イエス様の人並み外れた権威を確かに感じたのです。この世の王とは全く異なる、王の品格に触れて、そう告白せずにはおれなかったのです。
私たちは、福音書を読んで、ピラトが出て来る、ここのような記事を読むたびに、ピラトの臆病、失態、優柔不断により、イエス様の十字架という取り返しの付かない結末を招いた、というようなことをよく考えます。ピラトの責任、罪の重さ、ということでピラトを責めがちです。しかし、このヨハネの記事を読むと、そのような読み方自体、間違っていたのではないでしょうか。イエス様は、ご自分を無罪とするようピラトに促すようなことは、ひと言も仰いません。むしろ、イエス様は、十字架につくことを既に決意しておられます。ピラトよりも落ち着いていらっしゃる。
しかし、目の前にいるピラトを無視する、というのでもありません。イエス様は、ローマ総督とか権威という肩書きを一切はぎ取った、ひとりの人格としてのピラトと向き合おうとなさる。ご自分が十字架を避けるためではなく、ひたすらピラト自身の思いを真理へと向けさせようとする故です。
ですから、ここから私たちは、ピラトのせいでイエス様が十字架に架かられた、というような(イエス様ご自身が願ってさえいなかったような)皮相的な読み方はやめなければなりません。そうではなく、この臆病なピラトとイエス様への憎しみをむき出しにしたユダヤ人とのやり取りを通してさえ、いよいよイエス様が「ユダヤ人の王」、世界の真の王として証しされていく、という点にこそ目を留めなければならないでしょう。ユダヤ人は、卑怯にも、ローマ皇帝の権威をピラトに突き付け、
「12もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方[十五12-15の「友」と同じ語]ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」
「15カイザルのほかには、私たちに王はありません。」
とユダヤ人にあるまじき発言をします。これこそ律法違反です。しかし、その発言さえも、ますますイエス様こそが真の王であることを浮き彫りにするのです。
そして、そこにおいて私たちが忘れてはならないのは、イエス様は、この世の王とは違うという肝腎な事実です。ローマ帝国のカイザルが治めていたような、無理矢理の平和、政治的駆け引きでの決定、最後にはどの皇帝も落日を見たり、後継者争いで血が流されたりしたような、そういう支配とは百八十度違うのです。
今日はペンテコステ(聖霊降臨日)ですから、イエス様は聖霊による御支配である、ということを心に刻みましょう。聖霊は、私たちの心に働いてくださり、心を新しく作り替え、主イエスを信じる信仰を与えてくださいます。外側から強制的に、嫌々であろうと構わずに従わせ、目的を成し遂げる。民の心に多少の不平不満があろうとも意に介さない、という支配ではないのです。このこともまた、色々な御言から証しされていることですが、今日のイエス様の弁明も一つの鍵となります。
パウロはテモテへの手紙の中でこう言います。
「私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。」[5]
ポンテオ・ピラトに対してのすばらしい告白とは、今日の箇所にあるような、ピラトとイエス様とのやり取りの事でしょう。この言葉の前には、
「しかし、神の人よ。あなたは、これらのこと(金銭を追い求めて信仰を失うような歩み)を避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
12信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」[6]
とあります。テモテの「りっぱな告白」を受けて、イエス様のピラトに対する証しが触れられるのです。そして、この文脈全体が、
「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。」
を主文としています。先にお話ししましたように、イエス様の弁明は、そのような徳でも言い表されるようなものです。ご自身の損得や苦楽や対面などを全く気になさらず、ただ、まっすぐに、無私の心をもって、ピラトに、上にあるお方を証しされます。相手の気持ちを惹くことにも関心がなく、沈黙をも恐れません。
その告白は、私たちの告白の模範でもあるのです。ただに目標だというのでなく、まさしく聖霊は私たちの内に、このイエス様のご人格をお造りくださる、ということです。これは、外から強制されても、反対に宥め賺されようとも、教育や模範が準備されようとも、決して達成できないことです。心の根底から新しくされ、恵みによって、自分を捨て、真実を愛することは初めて出来るのです。そして、御霊はその御業をしてくださるのですし、御霊だけがこれを出来るのです。そのような意味で、イエス様が王であられる。私たちには、この方だけが王であられます。私たちはこの方の民であり友です。主が私たちを治め、新しくし、この世の国ならぬ神の御国に生きる者としてくださる。聖霊を遣わして、私たちを治めてくださり、主を告白する者とならせてくださるのです。
「真の王なる主が、御霊によって治めてくださり、救いに至らせるばかりか、主の御性質にさえ与らせてくださる幸いを感謝します。ますます私共が自分に死に、主の聖なる自由なお姿を日常の会話においてさえも醸し出すほどに、心底から新しい者としてください」
2011年6月5日 民数記三章「贖いの代価として」
民数記(英語名はNumbers)という題の通り、民の数ばかりだ、という印象を持つ方もいるでしょう。一章二章とイスラエル十二部族の内、十一部族の人口調査が行われてきました。今日の三章と四章では、そこで省かれていたレビ部族の統計が行われます。しかし、
「一49レビ部族だけは、他のイスラエル人といっしょに登録してはならない。また、その人口調査もしてはならない。」
と言われていたとおり、レビ族の数え方は他の部族とは違います。この三章では
「一ヶ月以上のすべての男子」[i]
であったのに対し、幕屋を運ぶ実働に焦点を当てる四章では、
「三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で務めを果たし、奉仕することのできる者をすべて」[ii]
と条件が加えられます。これに対して一章二章では、他の部族が、
「二十歳以上の者で、すべて軍務に付くことのできる者たち」[iii]
という条件で数えられています。勿論、これらの数字を擦り合わせて、大凡の数字を推測することは出来ます。しかし、問題は全体の人口を数えない、憶測してもならない、ということ自体ではなく、レビ族は特別な意味を持っているのだ、ということです。
「 5主はモーセに告げて仰せられた。
6「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンにつき添わせ、彼に仕えさせよ。
7彼らは会見の天幕の前で、アロンの任務と全会衆の任務を果たして、幕屋の奉仕をしなければならない。
8彼らは会見の天幕のすべての用具を守り、またイスラエル人の務めを守って、幕屋の奉仕をしなければならない。
9あなたは、レビ人をアロンとその子らにあてがいなさい。彼らはイスラエル人の中から、正式にアロンにあてがわれた者たちである。
10あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。」
レビ部族は、会見の天幕の務めを守る特別な使命が与えられていました。その特別さがここで、(数えない、という消極面以上に)積極的に述べられているのです。
前回二章では、イスラエルの民の配置図が描かれました。主が臨在される幕屋(移動式の「神殿」のようなものですが)を中心に、四方を民が宿営して囲んでいました。民のあらゆる中心は、神である主であり、主への礼拝であることが、まざまざと証しされていました。しかし、同時に、その幕屋と回りの宿営との間には距離が置かれなければならないとも規定されていました。民には近づくことが許されていない、主に対する汚れ、罪を、その距離が物語っていました。そして、その民と幕屋との間に宿営し、幕屋のわざに仕えることを許されていたのがレビ人だったのです。
しかし、ここには、単純にレビ人が特別だと羨んだり自惚れたりして終わりとは出来ない事実があります。12節13節で、
「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。
13初子はすべてわたしのものだからである。エジプトの国でわたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは、人間から初めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは主である。」
とあり、これが後半の40節以下で、イスラエル人のすべての男子の初子を数えて、レビ人の合計と比べ、足りない分を五シェケルずつ徴収して、ピッタリにせよと命じられるぐらい、具体的なこととして言われているわけです。レビ族は、初子の代わりとして、幕屋に仕えるのです。そして、初子だけが主のものだというのでなく、初子は民全体を象徴しているわけです[iv]。つまり、民の全体はそれぞれの家族の初子に集約されていて、その初子はレビ部族二万二千人が代わりであり、レビ部族にもゲルション、ケハテ、メラリの三つの部族があって、ケハテ部族だけが直接幕屋の什器に触れることが許されていて、そのケハテ部族の中にモーセとアロンが属していて、祭司の家系がおり、祭司の中でも大祭司だけが至聖所に入ることが出来る。このように何重もの「入れ子構造」になっているのです。大祭司は祭司を代表し、祭司家はレビ族を代表し、レビ族は初子の代わりであり、初子はすべての民の代表なのです。そして、イスラエルの民全体が、
「祭司の王国、聖なる国民」[v]
と言われていたのです。主の幕屋を中心として、いくつもの同心円が描かれていて、それぞれが外側の同心円に対して「祭司」であり、最後は世界に対する祭司としての民の存在意義が明らかにされる、という具合です。
ところで、確かに、民は幕屋に近づくことが出来ず、レビ人だけでなく祭司たちさえも、大祭司のように至聖所に入ることは出来ません。しかし、だからといって、大祭司が特別聖くて偉いのかと言えば、そうではありません。それは、4節で、
「しかしナダブとアビフは、シナイの荒野で主の前に異なった火をささげたとき、主の前で死んだ。…」
とある記述に明らかです。大祭司の息子、長男と次男。つまり、アロンの初子だったのでしょうし、次期大祭司となるはずだったものが、酒に酔い、主が命じられたのではない火を軽々しく奉仕に使って主の怒りの火に打たれた。これは、この三章の最初で記されなければならないほど、「原点」的なことでした。この事実を離れては、祭司家は祭司として仕えることを許されませんでした。決して、自分たちが特別きよいとか立派だからと勘違いをしてはならない。むしろ、自分たちがいかに相応しくないか、それなのに、主が憐れみによって、祭司として仕える光栄に与らせてくださっているのだ、と心に深く刻みつけていることが求められたのです。そして、その事自体もまた、民全体に対して、悔い改めと謙り、そして、主の一方的な恵みへの感謝を促すものでした。
こう考えると、先に申しましたような何重にも入り組んだ「入れ子構造」、同心円の意味も分かります。「要するにみんなが祭司だというなら、わざわざ祭司を立てたり回りくどいことを言ったりしなくてもいいではないか」という人はいつの時代でも必ずいます[vi]。しかし、平等を当然とするところでは謙虚さなど育ちません。禁じられることによって、自分たちが相応しくないことを覚えさせられる。また、立てられた「主の器」が、思い上がるのでなく、謙って主に栄光を帰するべきことを肝に銘じて仕え、語っていくときに、一人一人が謙ることを学べるのではないでしょうか[vii]。何よりも、最後に出て来る、「贖いの代金」[viii]という言葉は、私たちにとって極自然に、イエス・キリストの贖いを思い出させます。
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」[ix]
また、イエス様こそは、神様のひとり子であり、「長子」とも呼ばれています[x]。そのお方が私たちのために、自らを完全な生贄として神様に捧げてくださいました。ご自身のいのちをもって、私たちの贖いの代価を払ってくださいました。それによって、私たちは滅びからの救いにあずかったばかりでなく、神様のものとされ、私たちも神の子とされ、また、祭司とされているのです。この世界にあって、祭司として、主と世界との間に立つ存在として召されている、ということです。
「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、
6また、私たちを応徳として、ご自分の父である神のために祭司としてくださった…」[xi]
それは、大祭司アロンとその子らと同様、自分たちが相応しいからではないとの自覚と悔い改め、そして、私たちを贖ってくださった主の尊い恵みへの感謝を原点とすることです。すべての民の贖いを果たすためには、レビ人の数が足りない分は、ピッタリ代価を払ったことは、贖いを必要としない者もいないし、丼勘定で贖いは果たされるわけでもないことを示しています。私たちの救いも丼勘定ではなく、イエス様が、この私の分の代価をもキッチリと支払ってくださったのです。それも、五シェケルとか[xii]、初子だけとかという、どう考えても有効とは思えない(つまり予行演習に過ぎない)代金ではなく、神のひとり子の十字架という尊い犠牲とその執り成しによって、私たちが神様のものとされ、祭司として置かれているのです。
今から与る主の聖晩餐も、私たちの真ん中に主がいてくださることの証しです。私たちが相応しいからではなく、ただ主の恵みによって主との交わりを戴いています。けれども、この主の食卓こそが、世界の中心でもある、との思いで陪餐することも教えられるのです。
「不思議な不思議な恵みによって今日ここに招かれ、主のものとされ、福音を携えて出て行ける幸いを、改めて噛みしめます。主の十字架に一方的な憐れみを弁えるからこそ、この世の破れ口に立ち、希望と和解を語りうる、との御心を、私共を通しても現して下さい
[ii] 四23。また、30、35、39、43、47節。
[iii] 一3、他。
[iv] 「初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。」ローマ十一16。
[v] 出エジプト記十九6。
[vi] この民数記でも、十二章でアロンと姉ミリヤムが「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか」(2節)と「平等」を要求しだして、刑罰を受けます。また、十六章では、レビ人のコラが、「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか」(3節)と言い逆らって、地に呑まれます。
[vii] このことは、例えば、今日でも、主の聖晩餐や洗礼を執行できるのは、按手を受けた教職者に限るというシステムが果たしている意義の一つです。教職不要論者は、だれもが洗礼を授けたり主の聖晩餐を執行したりしても(少なくとも火急の場合ぐらいは)いいのだ、というでしょう。しかし、そこではそもそも救い(パンと杯)にあずかる資格さえない、という現実が薄まります。陪餐者は、席にいることによって謙るのですし、司式をする教職者は、格別厳しい裁きを受けることに恐れ戦きつつ、謙って配餐することが求められるのです。
[viii] 46-51節。
[ix] マルコ十45
[x] ヘブル一6。
[xi] ヨハネの黙示録一5-6。
[xii] これは、レビ記二七6では、満一ヶ月から五歳までの男子の贖い金額です。
2011年5月29日 ヨハネ19章1-7節
イエス様が十字架に架かられる日の朝、ポンテオ・ピラトの尋問を受けた場面を続けて聞いています。この裁判の結論は、イエス様を十字架に掛けることで決定したことに変わりはないのですが、そこまでに至るプロセスを、ヨハネは詳しく記しています。
特に、今日、目に付くのは、ピラトがイエス様を鞭打ちにし、人々の前に引っ立てて、
「 5…「さあ、この人です。」」
と言った件です。ピラトは、イエス様には罪があるとは思えなかったことは、前回でも、今日の4節と6節でも繰り返されている通りです。しかし、突っ慳貪に却下するよりも穏便に済まそうとして、恩赦という妥協策を提案します。罪がないのに恩赦しようという矛盾を犯します。それが功を奏さないと見ると、今日のところでは、
「 1そこで、ピラトはイエスを捕えて、むち打ちにした。」
この鞭打ちとは、ちょっとやそっとの「体罰」とは違います。上半身を裸にされ、手足を縛った上で、鞭打つのです[1]。ここにも、ピラトの矛盾があります。また、ピラトが命じたのではないでしょうが、兵士たちまでイエス様に好き放題を始めます。
「 2また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。
3彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と言い、またイエスの顔を平手で打った。」
鋭い棘が何本も飛び出た茨をひん曲げて輪にして、イエス様の頭に被らせます。「紫色の着物」は王が着る高貴な服を思わせますが、実際には薄汚れて紫色に変色した布だったのでしょう。それよりも、鞭で背中の皮が裂けたところに布を着せられては、イエス様の苦痛はどんなだったかと思います。最後の「平手で打った」は、棒で打ったとも訳せる言葉で、茨の冠の上から頭を棒で叩いたのではないか、とも言われます。
ここまでしたら、大祭司たちの怒りも収まると思ったのでしょうか[2]。
「 4ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです。」
5それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。」
しかし、これもまた、逆効果でした。
「 6祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ。」と言った。…」
ますますイエス様を十字架につける方に引っ張られていきます。とはいえ、ピラトがイエス様の無罪を知った上で、恩赦にしようとか鞭打たせるとか、「司法取引」のような形で済まそうとした時点で、すでに足下を見られていたのです。
このピラトの迷走振りを象徴するのが、彼の出入りです。祭司長たちが、汚れまいとして官邸に入らなかったために29節で出て来たピラトは、
「33…もう一度官邸に入って」
「38…またユダヤ人たちのところに出て行って、」
十九1では、イエス様を鞭打たせるためにまた入ったのでしょうし、
「十九4もう一度外に出て来て、」
「 9また官邸に入って、」
と出たり入ったり、ウロウロフラフラと七回も出入りをします。ユダヤ人たちが虚偽と憎しみに駆られて待つ外と、十字架を前にしてなお真理をお語りになるイエス様のいる中とを、行ったり来たりします。イエス様には罪はなさそうだが、真理だなんて受け入れられない。かといって、ユダヤ人の言いなりにもなりたくないが、怒らせると自分の総督としての立場が危うい…。光と闇との間で、優柔不断でいてはならないと、イエス様ご自身が幾度も警告してこられましたが[3]、ここではピラトがその反面教師として描かれているのです。
ところで、ピラトが、
「さあ、この人です」
と言ったのは、捕らえられて、鞭打たれて血を流しながらブルブルと震え、茨の冠と紫の着物を着せられている、この惨めなイエス様を見て、可哀想に思って同情を引きたかったのでしょう。しかし、この思惑とは裏腹に、
「さあ、この人です」(「この人を見よ」、ラテン語「Ecce Homo」)
という言葉は教会の歴史の中でも非常に愛されて、大切に使われてきた主題です。逮捕され、頭から血を流しながら人々の前に引き出されているイエス様の絵がたくさん描かれており、その題が「この人を見よEcce Homo」と呼ばれています。
本人が語った思惑とは別に、神様の摂理によって、深い真理が宣言されていた、という言葉は、今までにもあったのですが[4]、ここもまたそうです。ピラトはイエス様が、
「ユダヤ人の王」
かという点に拘るのですが、そのピラトの口を通して、ヨハネはイエス様を真の王として描こうとしています。それも、黄金と宝石の冠の代わりに、茨の冠を被らされ、華やかな王のマントではなく、血で汚れた着物を着せられている。けれども、これこそが、イエス様のお姿である。真の王の惨めな、しかし、決して心外なお姿ではなく、ここにこそ、イエス様がどのような王であられるかが、十分に現されています。この王は、威張り腐らないだけでなく、私たちのために限りなく謙ってくださった王です。民を上から支配し命じるのでなく、一番底辺にまで降りてきてくださったお方です。
ライトフットという神学者がここについてこういう事を述べているそうです。
「キリストが地ののろいである、とげといばらだけを冠としてかぶられたということは、キリストの王国がこの世のものではないことの最も確かなしるしであった」[5]。
先に読みました創世記三章は、エデンの園でアダムとエバが神様との契約を破ったときに宣告された呪いの言葉ですが、アダムに告げられた中に、
「土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、…」[6]
と言われていました。また、イエス様の「四つの種」の譬えでは、茨の地のことが、
「世の心遣いや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません」[7]
と言われていました。罪の結果、痛みや欲望に惑わされ、妨げられていることの象徴が茨でした。そして、レビ記十六章では、年に一度の「贖罪の日」には、
「[大祭司]アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ」[8]
とされます。イエス様の頭に茨の冠が乗せられたことは、イエス様が地に住む人々の罪の呪いを引き受けてくださった証しです。山羊が予告していたのは、イエス様の事でした。そして「イエス様が私たちの罪を負ってくださった」とは私たちが簡単に口にしがちな、慣れ親しんでしまった言葉ですが、私たちのすべての咎は、茨の棘以上にイエス様のおからだに突き刺さった。どんなにイエス様は苦しまれたことでしょうか。けれども、そのようにしてご自身が低くなり、凄まじい苦しみを引き受けられることによって、民を罪から救い出し、恵みの支配にあずからせるのが、この世の国とは全く違うイエス様の御支配なのです。
このイエス様の恵みの御支配は、私たちをも恵みによって新しくするものです。そこには、私たちもまた、この世の名誉や誉れを求めることをしないで、辱めや屈辱、苦しみをも厭わない者となる、という方向性もあるのだと思わされます。イエス様は、黄金の王冠ではなく、茨の冠を受けられた王でした。それは、人の目には惨めで、卑しくて、同情か軽蔑を買う他ないような冠でしたが、私たちにとっては、何と尊く有り難く輝いている冠でしょうか。私たちも、この世の栄冠を求めることはしないのです。笑われようと理解されまいと、何を気にすることがありましょう。
主が私たちを治めてくださって、私たちの心を本当に自由にしてくださるようにと祈らされます。犯した罪を裁かれることからも、人を傷つける茨のような言葉からも、この世の栄誉や人に振り回されることからも、解放されて、主を信頼して、主の道を踏みゆく者としてくださいますように、祈っていきたいのです。
「この人を見よ、と私共にも呼びかけてくださって、十字架の犠牲を忘れた生き方から引き戻してください。罪のないお方が、私共の罪をすべて負ってくださった。その恵みをいよいよ確信すると共に、その恵みに根差した生き方へと、あなた様の憐れみと御霊のお働きとによって、日ごとに与らせてください。揺るがない喜びを与えてください」
[1] この動詞マスティゾーは、ヘブル十一36では迫害の手段として用いられている言葉です。ギリシャ語には鞭打ちに当たる語が数種類ありますが、中でもひどいのはフラゲロオーで、死刑が確定した者に、鉛や骨片の付いた鞭を打ち付けるのです。これだけで亡くなる者もいましたし、そのショックのゆえに十字架上での死期が早まったために、「憐れみの鞭」という呼ばれ方もされたほどです(勿論、そのような呼び方は誤魔化しでしかありません)。ところで、問題は、このヨハネ十九1の鞭打ちが、ヨハネ独自の編集によりここに置かれてはいるものの、実際には、処刑確定後のフラゲロオーではないか、ということです。もしそうでないとすると、イエス様は、逮捕後(マルコ十四65、マタイ二六67-68、ルカ二二63以下)と、ピラトの尋問中(本箇所)と、処刑確定後(マルコ十五16-19、マタイ二七27-30)の三回、鞭打たれたことになります。この問題に対する意見は分かれているようですが、この時点でフラゲロオーの鞭打ちを加えられたのであれば、瀕死の目に遭わされたことになりますし、これがフラゲロオーとは別であれば、マスティゾーの上にフラゲロオーの鞭打ちが加えられた、ということになります。いずれにせよ、イエス様の受けた苦痛は尋常ではありません。それは、すべて、私たちの罪のためでした。
[2] ひょっとして、ピラトのうちには、真理だ何だと綺麗事を言うイエス様に対して、厳しい現実を突き付けてやろう、という思いもあったのかも知れません。しかし、人間の罪や現実が分かっていないのはピラトの方だったのであり、彼はまた、神様の愛の計り知れなさをも分かっていなかったのでした。
[3] 十二35-36「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」など。
[4] 七35「そこで、ユダヤ人たちは互いに言った。「私たちには、見つからないという。それならあの人はどこへ行こうとしているのか。まさかギリシャ人の中に離散している人々のところへ行って、ギリシャ人を教えるつもりではあるまい。」、同52「[祭司長、パリサイ人たち]彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」十一49-50「しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」、十二19「そこで、パリサイ人たちは互いに言った。「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった。」など。
[5] ライル『ヨハネ福音書講解4』229頁。
[6] 創世記三18。
[7] マルコ四18-19。
[8] レビ記十六21。
2011年5月22日 ヨハネ18章33-40節
前回から登場していますユダヤ総督の「ポンテオ・ピラト」という人は、教会の中では、使徒信条を告白するごとに、世界中の礼拝で「主は…ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と唱え続けてきたわけですから、もっとも口にされることの多いローマ人なのかも知れません。そのポンテオ・ピラトが、イエス様に十字架の苦しみを決めるまでの経緯が、今日のところから説き明かされていくわけです。といっても、これもヨハネ独自の視点、関心から描いていることは言うまでもありません。そして、ヨハネはかなりピラトに対して好意的な書き方をしていると言ってもいいようです。
はじめ、ピラトは、ユダヤ人たちに対して、イエス様の処刑判決を避けようとしました。その目論見には乗るまい、という意識があったようです。乗る気のないまま引き受けたイエス様の尋問で、ピラトは、
「33…「あなたはユダヤ人の王ですか。」」
と切り出します。これに対してイエス様は、
「34…「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」」
と切り返します。祭司長たちが、殺したくなるほど、ユダヤで大きな存在となっていたイエス様のことを、ピラトも噂ぐらいには聞いていたでしょう。ですから、この質問は、祭司長たちからの告発を受けて、というだけではないようです。イエス様も、それはピラト自身が聞きたいからそう聞くのか、祭司長たちの告発を受けて事務的に尋ねているのか、とピラトの内心を探ります。こう切り替えされてピラトは、
「35…「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」」
ローマ人が「ユダヤ人」という時には、理解しがたい野蛮人、という非常に蔑んだ響きがありました。「私はユダヤ人などではないのだ、あなたがユダヤ人の王であるかどうかなど私の知ったことではない」。そう吐き捨てています。しかし、続く、
「あなたは何をしたのですか」
は、ピラトの言葉です。ピラトがイエス様に抱いた関心です。34節の言い方で言えば、自分でこの問いを聴いているのです。
これに対してイエス様が仰る有名な言葉が、36節です。
「36イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
ユダヤ人たちとピラトがイエス様を扱おうとしたのは、「ユダヤ人の王」つまり、ローマ帝国の支配下にあったユダヤの独立を目論む、政治的な、あるいは軍事的な王を自称する、という罪状を巡ってでした。ピラトがイエス様に尋ねたのも、そうであるなら処罰をしなければならないぞ、というニュアンスがありました。しかし、イエス様は、
「わたしの国はこの世のものではありません」
この世に属する国ではない、と言われたのです。政治的な革命を起こそうというのではない、あなたが考えている国とは違う。こう言われてピラトは更に身を乗り出して、
「37…「それでは、あなたは王なのですか。」…」
と聞き直します。これもまた、ピラトが自分の言葉で言っている。そこで、
「…「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
しかし、真理という言葉を聞いた途端、
「38ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」」
と踵を返して、出て行ってしまいます。明らかにピラトは、真理などと言う話には付き合っていられない、と捨て台詞のようにこの言葉を吐いたのです[1]。
ピラトはローマという世界史上稀に見る大帝国の一端を担っていました。しかし、それは、真理などを問わない世界でもありました。この「真理」という言葉には、哲学的・抽象的な真理という以上に、もっと「誠」とか「真実」という意味合いもあるそうです。そのような意味での真理を、それは何だと吐いて捨てることが出来る。そんなものは綺麗事でしかないと背を向けてしまえる。ではこの世の国を動かすのはどんな原理かと言えば、イエス様が、
「もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。」
と仰ったように、戦いや競争の原理です。力や利害に動かされるのです。ここで「しもべ」とイエス様は仰いますが、これは3節では「役人」と訳されていた言葉です。官僚と訳してもよいでしょう。けれどもイエス様は、ここ以外には一度も「わたしのしもべ」という言い方をなさったことがありません。弟子達のことを言っているというのではなく、イエス様の国では弟子達を、役人やしもべとして使ったり、戦わせたり、犠牲を強いることはしない、ということも含んでいるのでしょう。しかし、この世の国は、人を使い勝手で評価して、手段化して、力尽くで事を推し進めようとするのです。そこでは、真理とか真実などは、絵空事でしかないと考えられるのは、無理からぬ事です。
ピラトは、イエス様の言葉に背を向けてはしまいますが、しかし、
「37…「私は、あの人には罪を認めません。」
とも言う通り、イエス様に罪がないことは認めるのです。ですから処刑を許可せずに済ませたいとも努力します。けれども、イエス様のお語りになる真理は受け入れる気がない。その中途半端さが、過越の恩赦を適用させる、という非常に拙い方法を取らせてしまうのです。罪がないはずのイエス様への訴えを却下すればよかったものを、罪人にした上で恩赦する、という提案は致命的な失策となりました。
「40すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ」と言った。このバラバは強盗であった。」[2]
そこでピラトは後戻り出来なくなります。十九章でピラトはイエス様を殺さないために努力をしますが、それは全て水の泡となります。ここにも、この世の国が、人を値踏みしたり切り捨てたりするような原理に立っていることが雄弁に語られているのです。
イエス様の国はこの世のものではない、ということは、出所が違うというだけでなく、立っている土台が違う、ということです。イエス様は、
「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
と言われましたが、先には、ご自身が真理であるとも仰ったのです[3]。「真理とは何か」とピラトは尋ねましたが、それは、真理そのものであるイエス様に対してでした。真理とは「絵に描いた餅」や綺麗事ではない。柔で初心な理想ではない。真理は、イエス・キリストにおいて生きていて、この方がその証しのために世にお生まれになり、イエス様の声に聞き従う人々が起こされていく。このお方が、この世界に溢れている、尤もらしい騙しごとから、フラフラした迷いから救い出してくださる。そういう力強い真実がここに問われているのです。
「わたしの国はこの世のものではありません」
と仰った言葉を早合点して、教会はこの世の政治には関わるべきではないとか、社会的責任という考えをしない人もいます。その延長で、国家に対して何も意見せずに服従して、ナチスや日本が軍国主義になっていった時にも、それを食い止める力となり得なかった、という歴史があります。御国がこの世のものではないとは、私たちがこの世と無縁である、という意味ではありません。この世の力の原理、真理よりも強盗を選んで憚らない姿勢、真実かどうかよりも日和見をし結果を計算しながら行動する如才なさ、損得や勝敗、そうした行動基準にはよらないということです[4]。王なるイエス様への信頼、その御言葉に証しされている、恵みの原理に従って生きるのです。
勿論私たちは神様の律法に完全に従っているわけではありません。不完全で欠けだらけのものです。ただ、王であるイエス様が、恵みによって私たちを導いてくださっています。そのイエス様の「恵みの御国」が、ローマ帝国や日本やアメリカや、この世の国々の上にあって、永遠に治めていると信じるのです。キリストがすべてを裁く日が来ることを告げ知らせるのです。そのようにしてこの世に、キリストの御国の証しをすることは私たちの使命です。
「主の言葉を諦めているような思いが私共のうちにあれば気づかせてください。そのような私共をさえ、あなた様が王として治めていてくださることに望みがあります。待ち望ませてください。あなた様との絆のうちに、また、あなた様を信じる教会の交わりのうちに、ますます真理を見出し、喜び、確信を強めていくことができますように」
[1] 後の使徒たちが、アテネで伝道したところ、「復活」という言葉を出した途端に引いてしまったのと通じます。使徒十七章。
[2] ヨハネでは、バラバはこの一箇所で名指しされているだけです。共観福音書では、強盗であったバラバの身代わりとなったイエス様の贖罪が言い表されていますが、ヨハネではそこまでは言わず、イエス様よりもバラバを(王よりも強盗を)選んだ、人々の罪の闇が強調されているのです。
[3] ヨハネ十四6
[4] この言葉の背景には、すでに、イエス様も弟子たちもキリスト者全員も、「この世のものではない」と言われていた言葉があります。ヨハネ十五19「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」、ヨハネ十七14「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。」同16「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」
2011年5月8日 ヨハネ18章の28-32
イエス様が十字架に掛けられるまでの、詳しい記述を追っていますが、今日の28節ではようやく夜空が白み始めます[1]。ここから十九16までが、ローマ総督ポンテオ・ピラトの登場となります。今日の所は、その導入部となりますが、二つの大きな問題があります。しかし、そこから見えてくる本論というものがあるわけです。
「28さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった。」
とあります。ユダヤ教では、汚れまいとして、禊ぎの儀式が大事にされまして、また、これこれをすると汚れる、外出から帰ってきたら手を洗ってからでないと食事をしないとか、汚れた罪人とは食事をしないとか、そういう規定が作られていました。そういう規定を気にしない異邦人は当然「汚れている」と見なされまして、異邦人の家に入ることも不浄とされていました。ですから、ローマ総督とはいえ、ピラトの家に入ることを拒んだ、というのは分かります。しかし、
「過越の食事が食べられなくなる」
とありますが、マタイ、マルコ、ルカの福音書によれば、イエス様と弟子たちは、既に「最後の晩餐」で、過越の祭りの食事を祝ったはずです。けれども、ヨハネはそう考えていないのでしょうか。確かに、十九14には、
「その日は過越の備え日で、…」
とさえ言われています。これだけを読み比べますと、共観福音書が、過越の食事の翌朝にイエス様が十字架に掛けられたとしているのに対して、ヨハネはイエス様が十字架に掛けられた当日が過越祭の日であったと、一日ずらしてある、ということになります。
しかし、ヨハネが「過越」と言う場合は、小羊が屠られる初日だけでなく、それ以降八日間続く祭り、「種なしパンの祭り」とも呼ばれている長い祭りを指しているようです。また、「備え日」という言い方も、安息日の備え日、つまり金曜日の事であって、過越の備え日とは、過越祭の前日、ではなく、(一週間続く)過越祭の中の金曜日、と考えればいいのです。ヨハネもやはり、過越の初日に最後の晩餐を考えています。
第二の問題は、31節の最後です。
「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
とユダヤ当局の人々は言います。しかし、ステパノの殉教やパウロが殺され掛けた事件などもあるわけです[2]。パウロ自身、かつてはキリスト教徒を迫害し、殺したのです[3]。31節の「死刑にする」と訳されているのは、「殺す」という言葉です。ユダヤ当局によって殺すことは少なくなかったのです。しかし、ここでは誰も死刑にする権限がない、と言うのはどうしてなのでしょう。これに加えて、ヨハネは、
「32これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」
と言います。異邦人の手によって殺される、ということは確かに、共観福音書ではイエス様が予告されていた通りなのですが[4]、そのために、ユダヤ人たちがピラトの手を借りようとした、というのは辻褄合わせではないか、という問題にもなるのです。
これについては、確かに、ユダヤはローマの属国として、建前上は処刑の権限は奪われていましたが、宗教的な問題などで処刑を行うことはある程度ローマ側も黙認していた、と考えられます。そこに介入することもあったのですが、特殊な宗教事情を持つユダヤ人には余り深入りしない、というのが現実的な統治政策だったのでしょう。そして、この場合、ユダヤ当局も、自分たちの手で殺すのではなく、ローマ帝国に対する反逆罪で訴えて、ローマの手によって殺させておいた方が、後々都合が良い、と考えたと思われます。29節30節のやり取り、
「そこで、ピラトは彼らのところに出て来て言った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
30彼らはピラトに答えた。「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」」
この、何とも木で鼻を括ったような会話は、要するに、ユダヤ当局側は、イエス様を殺して欲しくて、その願い通りにしてくれればいい、という御無理御尤もの要求です。この結果、イエス様は十字架に掛けられることになっていくのです。
ここで私たちが気づかされるのは、ユダヤ人たちが、汚れまい、過越の食事を食べられなくては堪らない、とピラトの敷居を跨ごうともしなかったくせに、その心にはイエス様を殺してやろう、異邦人ピラトの手を汚させてやろう、自分たちは安全圏にいてやり過ごそう、という物凄い自己矛盾がある、という事実です。裕福な彼らにとっては、過越の御馳走に目が眩んだ、ということではなく、宗教的な儀礼として一週間の祭りの食事を欠かすまい、という殊勝さを見せながら、その過越の本体である、まことの小羊イエス様を十字架刑にさせて悶え苦しむ所を眺めてやりたいというゾッとするような自己中心が同居している、という状態です[5]。
汚れているとか、きよくなる、というのは、儀式的なことではありません。それは、徹底的に心の問題です。生き方のことです。いくら汚れたモノや人を退け、生け贄や禊ぎを繰り返した所で、心に憎しみや傲慢を握り締めているなら、その人は本当は汚れを手放したがらずに生きているだけです。
ところで、32節で言われていた、
「ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことば…」
とは、十二32、33です。
「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
33イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。」
とあります。つまり、ヨハネでは、イエス様の死に方は、異邦人に渡されて、ということよりも、地上から上げられる死に方、として予告されていたのです。もしも、ユダヤ当局が、ピラトに訴え出ず、自分たちの手でイエス様を処刑していたとしたら、その方法は、ステパノと同じく石打ちの刑であった筈です[6]。実際、イエス様がこれまでにも殺され掛けたのは、石を投げかけられてだったのです[7]。けれども、それでは駄目だったのです。イエス様が十字架に上げられる。それは、イエス様の愛の栄光を現していると共に、そのイエス様を信じて仰ぎ見る者がみな永遠のいのちを与えられ、イエス様の所に引き上げていただくことを象徴する死に方です[8]。それは、石打ちでは駄目で、十字架において象徴されることです。
このイエス様の十字架の贖いだけが、私たちをイエス様の所へと引き上げてくれるのです。ヨハネは、きよめのための大きな水瓶など、福音書の最初から、当時のきよめの概念に勝る、真の清め主なるイエス様のお姿を描き出してきました。この方が私たちを救ってくださる。それは勿論、私たちが自分を清める努力をするからではありませんし、そんな努力など何の役にも立たないと認めることでもあるのですが、しかし、イエス様は私たち人間の努力では無効なきよめを私たちに果たしてくださる、という事もまた忘れてはならないでしょう。イエス様が、どんな死でも構わず兎に角死にましょう、というのでなしに、十字架に上げられる死を選ばれた、ユダヤ議会の思惑とは別に摂理的にそれが成就した、という事実を心に留めましょう。
イエス様の十字架は、私たちがイエス様を仰ぐためであり、私たちをもそこに引き寄せてくださるためです。汚れに触れまいという消極的な清さではなく、完全に神様に信頼し、友のためにいのちを捨てる、そのような聖なる姿をイエス様はお示しになりました。そこへとイエス様は私たちをも引き上げてくださる。それが、十字架という死なれ方でした。きよくあろうとしながら、本当の汚れに鈍感であるのは、私たちの姿でもあります。どんなに律儀に生きていても、言葉で人を傷つけ、心で見下していれば汚れているのです。神様から愛を戴かなければ、私たちの心は自己中心でしかありません。
まず、そのような自分に気づき、本当に謙らされ、祈らされる。そして、何とこんな自分のために、イエス様が十字架に掛かってくださったと仰がされる。本当に心も言葉も、取り繕うのでなく、きよく、イエス様のように変えていただきたいと願わされる。その「悔いた、砕かれた心」に、イエス様の十字架の御業は現されるのです。
「聖なる御力により、私共を引き上げてください。冷たい憎しみや思い上がりから、あなた様の愛へと生まれ変わらせてください。あなた様の与えようとしておられるのが、赦しや救い以上のものであることを、心燃やされる永遠のいのちであることを、十字架を仰ぐたびに思わせてください。こんな者にも用意されている恵みの賜物を感謝します」
[2] 使徒七58、二一31、二二22。
[3] 使徒九1「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、」、同21「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。」二二4「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。」など。
[4] マタイ二〇19、マルコ十33、ルカ十八32。
[5] 加藤常昭牧師は、ここでマルチン・ルターが説教している言葉を引用します。「主イエスを裁いたのは聖人たちである。」(『ヨハネの福音書5 加藤常昭説教全集16』九頁)
[6] レビ記二〇27、二四16、申命記十三10、十七5、二一21、二二21、24。
[7] ヨハネ八59、十31。
[8] ヨハネ三14-16「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ここで言われているのは、民数記二一4-9の出来事です。主につぶやいた人々は、モーセが造った青銅の蛇を仰ぎ見た時に救われました。木の棒に掛けられた蛇を仰ぎ見たように、十字架に掛けられたイエス様を仰ぎ見るときに、私たちは救いに与るのです。
2011年5月1日 民数記二章「会見の天幕の回りに」
出エジプト記、レビ記、と続いて展開されてきた、神の民として生きる道を、民数記ではそれに従って歩み出していく。あるいは、民がそれにどう応答したか、に焦点を当てて章が進んでいきます。その第一歩が、一章の人口調査であり、その統計に基づいて、今日の二章が綴られていきます。即ち、「会見の幕屋」を中心とする、民の配置図が描かれていくのです。
この配置図は、十二部族を四つのグループに分けて、東西南北に配置する、という構成になっています[i]。正確には、東・南・西・北で、この順序は非常に大切です。というのは、これは宿営するときの配置だけでなく、移動する際にもこの順番で行進していくからです。このことは、真ん中と最後で、
「17次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営は、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならない」
「34イスラエル人は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗ごとに宿営し、おのおのその氏族ごとに、父祖の家ごとに進んだ。」
とある文章からも明らかです。つまり、ここでは民の宿営の際の配置図が描かれてはいるのですが、宿営して落ち着くことは想定されておらず、むしろ、約束の地に向けて旅をしていく群れなのであって、宿営の際にも、行進の際にも、民の中心には、「会見の天幕」がある、ということです。四章や十章11-28節を見ますと、実際に移動する時には、ユダグループが旅立つ間に、会見の天幕を解体し、ルベングループの先に、幕屋の外側を担ぐゲルション族とメラリ族が旅立って、ルベングループとエフライムグループとの間に、契約の箱など、最も大切なものを運ぶケハテ族が動くことになっていました。しかし、二章では真ん中でレビ人が進む、ということに絞っています。つまり、もっと理念的なこととして、民の中心には、主の「会見の天幕」があるべきこと-主がおられ、その主とお会いする、そのことの中心性が宣言されているのです。
しかし、主がおられる、また、主と共にある、ということを、親しさとだけ考えることも許されていません。
「 2「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。」
この距離は、聖なる主に対する民の霊的な汚れを象徴しています。ヨシュア記三4では、契約の箱との間には二千キュビト、即ち、約一キロメートルを空けるように命じられていて、今日の「距離をおいて」もそれぐらいを考えて良いのかも知れません。また、民と幕屋との間にレビ人が宿営したことも、祭司の部族が間に立って執り成しをする必要がある事実を示しています。
主を中心としていながら、その主に対して軽々しく近づくことを決して許されない罪の現実。しかし逆に言えば、民に近づくことを許されない者たちでありながら、なお、主が中心にいて、共におられて、確かに導き、教えてくださっているのです[ii]。ですから、主が中心におられることは、決して、自分たちの力や正しさを保証する訳ではありません。却って、主の前にある謙りや恐れを促すものです[iii]。
実は、お気づきになった方もいるでしょうが、一章の人口調査と、この二章の配置の順番には大きな違いがあります。ヤコブには二人の妻と二人の側女がいました。一章は、まずその姉のレアが産んだ子、それから妹のラケルが産んだ子を記し、それから側女二人が産んだ子を記すという順番でした[iv]。それがこの二章では、一章では三番手だったユダから始まり、四番目で長子のルベン、シメオンと入れ替わっています。四男ユダが筆頭となり、第一のグループを率いて、移動の際には先頭に立った、ということです。
長男ルベンとシメオンが四番手、五番手に降格した理由は、創世記の四九章や歴代誌第一の五1-2にも明言されています[v]。ルベンは父の側女であるビルハと関係を持ち[vi]、シメオンはレビと一緒に、一つの街の男子全員を虐殺したのです[vii]。
また、ユダが第一となった積極的な理由としては、ユダが自分の立場を擲って、父ヤコブと兄弟たちとの間を取り持とうと行動したことがありました[viii]。それが、高く評価されて、創世記四九章のヤコブの遺言では、ユダに対して長い言葉が連ねられるのです。また、カレブ、ダビデ王、ソロモン王、とユダ族は指導者を輩出します。そして、メシヤもユダ族から生まれることが預言され、やがて、イエス様がお生まれになる。メシヤは「ユダ族の獅子」とも呼ばれました[ix]。そのような将来を秘めた部族として、ユダが先頭に立てられるのです。言わば、ここには、そのユダ族からお出でになるイエス様が先頭に立って民を導いて行かれるお姿が暗示されているのだ、とも言えるでしょう。
しかし、だからといって、他の部族が貶められていると早合点してもなりません。また、この順番が十二部族の優劣を現しているわけでもありません。ルベンの代わりに長子の権利を授かったのは、ユダではなくエフライムです[x]。ヤコブが偏愛した妻ラケルの子らは第三グループです。順序としては、三番目ですが、契約の箱からの距離で言えば近くだとも言えるのです。
また、ルベンが一章の位置から変更されているのは、父の寝床に上ったからです。しかし、レビ記の規定によれば、それは死刑に当たる破廉恥罪です[xi]。死罪を犯したのです。それでも、四番目の座に就くことは許されて、幕屋の直前を歩む第二部隊を率いる立場でもあるのです。これをどう考えるか、です。人間的には、長子の座を剥奪されただけでも、極まりない屈辱であり、顔に泥を塗られたような仕打ちだと言えるかも知れません。これを恨み続けることも出来ます。しかし、そういう人間的な言い方を覆すのが、「神の国の原理」です。私たちを支配するのは、主の聖なる御心であって、私たちの面子などではありません。プライドなどは徹底的に砕かれればいいのです。私が、私が、という所から自由にされることこそ、主の深い恵みです。失敗や罪を犯す自分であることは、隠したり忘れたりするのではなく、そのままに認めて謙るときに、却って、恵みとなります。失敗も誇りも含めた、今あるすべてを、今ある立場を、神の恵みの御手の中で、感謝して受け入れて、すべての栄光を主に帰する道だけが、いのちに至るのです。すべてが恵みであり、主の御手の中にある、という信仰告白を言い切ったとき、私たちはその時点でプライドを放棄したのです。
旅路のゴールは決まっていました。約束の地、カナンです。しかしそこに着くことが目的だったのであれば、ユダは風を切りながらカナンに向かって猪突猛進していけばよかったでしょう。けれども、カナンに早く着くことが目的ではありませんでした。幕屋の上に立つ、主の臨在の柱が旅立てば出発し、留まっていれば一年でも宿営していた、と九章にあります[xii]。早く着くことではなく、主とともに歩むことが大事なのです。それゆえに、部族毎の順番が決定的なのではないし、いい気になったり僻んだりする必要もないのです。
私たちもまた、主の臨在を戴いています。主が私たちの中心でいてくださるし、私たちもまた、主を中心として歩むことを願っていくのです。マタイの福音書を閉じるのは、
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」[xiii]
との約束です。主の聖晩餐は、まさに主の臨在を噛みしめる恵みです。その主の臨在を大切に温めつつ、イエス様に導かれて進むのです。そこで大事なのは、前進とか成長ばかりではありません。留まる時もあります。失敗をして第一線から退かされるような時もあります。それでも、降格のように見えて、実はより主のそばに置かれている、ということなのではないでしょうか。
教会には組織化など要らない、と秩序不要論を振り翳す人もいます。しかし、聖書は、神の民は「烏合の衆」ではなく、体系化され、制度を持つ共同体であることをハッキリと教えています。でもそうして整えられることによって、効率的に全速前進し、華々しく進むというのではない。私たちにとって先陣を切ることが大事なのではない。早くゴールに着くことが大事なのでもない。主の名を語りつつ、主を余所にしてしまう歩みとなる誘惑と戦いながら、私たちとともにいてくださる主の恵みを恐れ多く覚えていくのです。
「ともにおられる主、私共を近くに引き寄せて親しくお交わりくださる主。イエス・キリストの十字架と復活の贖いにより成し遂げられた、この幸いな交わりを中心に、地上の旅路を歩み続けさせてください。罪からお救いください。先立ってくださるのは、ユダの獅子イエス様です。御国への憧れと信頼をもって、喜び歌いつつ、旅を重ねさせてください」
[i] 上図は、ウェンナム『民数記』(いのちのことば社、ティンデル旧約聖書中会シリーズ、2009年)八〇頁より。
[ii] 「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」Ⅰテモテ六15-16。
[iii] しかし、イスラエルの歴史を繙くと、自分たちには主の契約の箱があるのだ、神殿があるのだ、自分たちは特別なのだ、と思い上がって、散々な失敗を招いたことが繰り返されています。けれども、そういうことではないのです。
[iv] ただし、42節で記されるガド族の順番は、二章への伏線となっています。
[v] 「イスラエルの長子ルベンの子孫-彼は長子であったが、父の寝床を汚したことにより、その長子の権利はイスラエルの子ヨセフの子に与えられた。系図の記載は長子の権利に従って行うものではない。ユダは彼の兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出るのであるが、長子の権利はヨセフに帰したからである。」
[vi] 創世記三五22。
[vii] シメオンとレビは、創世記四九5-7でこの罪のゆえに呪われ、「彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう」と言われます。しかし、シメオンは散らされて、部族としての消息は不明となりますが、レビは幕屋に仕える部族として民の中に点在するという別の形で「散らされ」ます。
[viii] 創世記四三1-10、四四16-34。
[ix] 黙示録五5「見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので…」。
[x] 上述、歴代誌第一五1-2。また、創世記四八章、四九22-26、参照。
[xi] レビ記十八8と29。また、二〇11。
[xii] 民数記九15-23。
[xiii] マタイ二八18-20。
2011年4月24日 イースター礼拝 ルカ24章36-53節
イエス様が十字架に架かろうとしておられる前夜、逮捕から取り調べが行われ、同時に、一番弟子であったはずのシモン・ペテロがイエス様を三度否認する、という出来事の最後の部分です。鶏が鳴く、というのは、当時の真夜中を過ぎて三時頃のことを指す言い方でもありました。他の福音書を見ると、二回目と三回目の否認の間には、一時間ほどの時間差があったとも分かります[i]。夜中の出来事とはいえ、刻々と時は過ぎていって、十字架に架かられる朝は近づいているのです。
そういう中で、25節に、
「一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。…」
とあるのは、何とも素知らぬ振りをして、という感じがします。前回見たとおりの、イエス様の誠実なお答え振りとは対照的で、何食わぬ顔で手を火に翳している、その姿が既に非常に危険です。
三度イエス様を裏切ったペテロの失敗は、私たちにとってはある意味では慰めでもあり、私たちも似たようなことをしている、とか、失敗もあって良いのだ、とか、最後に外に出て激しく泣いたとあるドラマが忘れがたいものであったりします。しかし、このヨハネの福音書は、他の共観福音書と同様にこのペテロの裏切りを記しつつも、とてもドライな伝え方をしています。特に、最後の、ニワトリの声を聴いて、ペテロが外に出て泣いた、という件はスッパリ割愛して、
「するとすぐ鶏が鳴いた。」
で終わっています。ペテロがどうした、男泣きに泣いた、物凄い後悔に苛まれた、そういう所には持っていかないのです。ですから、私たちも、ペテロの涙とか弱さへの共感、人間くささということに飛びつかずに、ヨハネの冷静な筆致を追ってみたいと思います。
そこから教えられることの一つが、悪の誘いは巧みである、ということです。
「26大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」」
けれども、ひょっとして最初にこれを言われていたら、ペテロも観念していたかも知れません。これは否定できない、諦めようと思ったかも知れない[ii]。けれども、それまでの二度の否認があったために、ここでそうだと潔く言えなくなっていた。それも17節では、
「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」
と、「違いますよね」と水を向けられたために、そのまま、
「そんな者ではない」
と口走ってしまった。違うと思わせておけばいい、白を切っておけばいい、という甘えがありました。そして、25節でも同じ言い方で言われたとき、もう少し強く、
「否定して、「そんな者ではない」と言った。」
その甘さが、三度目に、決定的な証拠を突き付けられても、
「27それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。」
となってしまうのです[iii]。「悪への道は緩やかなカーブである」という格言があります。しかし、それが緩やかなカーブであるから悪いのではなく、緩やかなカーブなら大丈夫と甘く考える私たちのプライド、思い上がりこそが問題なのは言うまでもありません。
ところで、すぐ鶏が鳴いた、というのは、十三38でイエス様が、
「まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
と仰っていたことを強く思い出させます。そして、この結び方は、ペテロがそれを聴いてイエス様の言葉を思い出したという以上に、私たち読者に、あのイエス様のお言葉の真実さを思い出させたいのです。ペテロが思い出して外に出て噎び泣いた、ということよりも大事なのは、私たちが、このペテロの裏切りをも予告しておられた事実を思い出すことです。そして、その直後に主が、
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
と仰っていた、あの励ましに気づくことが大事なのです。また、この主の恵みの宣言に気づかず、自分が自分が、と言っている間は、主の行かれる所に私たちが行くことなどは出来るはずがないのですが、徹底的に砕かれていく中で、私たちは本当の意味で主について行く者となれるのであり、主の家に住まう者となれる、という事なのです。
思えば、このペテロの三度の否認は、初代教会にとっては指導者の過去の汚点でもあったわけです。宗教なり政治なり、何かしらの団体が立ち上げられていく時、求心力を失わないためには、リーダーのこんな失点は伏せておきたいものではないでしょうか。ところが、ペテロも聖書記者もそのようには考えなかったのです。それも、四つの福音書が揃いも揃って、ペテロを、肝腎な信仰告白における失敗者だと伝えているのです。
これは、実に不思議な事ですが、ここにこそキリスト教の根本的な信仰姿勢、また、伝道姿勢があります。それは、ペテロや指導者、牧師や説教者、また、キリスト者やその集まりとしてのキリスト教会が、どれほど立派で、魅力的で、聖人であるか、愛に溢れているか、いのちをも惜しまない信仰者であるか、という宣伝の仕方を決してしない、ということです。
しばしばそのように生きることが「神の栄光を現す生き方」であり、自分たちをよく見せることが「あかし」であると思い込まれている嫌いがあります。このような場合ですと、敵対する人々の前でも、守られて、恐れることなく、主の弟子であると告白できた、躓かなかった、という体験が「あかし」だということになるでしょう。勿論、実際そのようにさせていただいたならそれも証しなのですが、そういうものが「素晴らしい証し」であるとか、もっと言えば、失敗した自分などは人に晒したくない、というプライドは問い直さなければなりません。そのようなプライドを持っている限り、私たちは自分が、突かれただけで主を裏切り、見捨てて、売り渡してしまう者でしかない、という現実には目を瞑っているのです。しかし、すべての福音書がペテロの否認を伝えている事実は、人間の罪の現実に目を瞑ることを止めることから、キリスト者の信仰の世界へと踏み出せるのだ、と語っているのではないでしょうか。
この意味でも、鶏が鳴いた、という結び方は象徴的です。先に申しましたように、鶏鳴時とは当時は午前三時頃でした。鶏が鳴いた、とは、鶏が鳴いただけでなく、明け方近く、まだ真っ暗だが間もなく朝となる。そういう予感でもあります。ヨハネは、折々に時を描写します。「時は第十時ごろであった」[iv]、「すでに夜であった」[v]、「時は第六時ごろであった」[vi]という具合です。そしてここでも、ペテロの否認が夜明け間近に起きたのだと印象づけています。それは、単なる時間だけでなく、霊的な意味でも、朝が来ようとしているということです。ユダは裏切りの心で夜に出て行ったのですが、ペテロが主を否認した今、夜は明けようとしています。人間的には、これはお先真っ暗な状況です。拭いがたい汚点です。けれども、ヨハネはそうではないと考えています。この、人間的には消し去りたい過去、隠し伏せておきたい臑の疵から、夜明けは見えてくる。闇の世界の真っ直中に来てくださったイエス・キリストとの出会いがある。世の光であるイエス・キリストがおいでになる。
しかし、それはどのようにしてでしょうか。ペテロの所にイエス様が飛んできてくださったのではありませんでした。一つには、御言を思い出させてくださることによって、でした。もう一つ、先のことになりますが、よみがえりの後、イエス様はペテロに近づかれて、「あなたはわたしを愛しますか」と問うてくださるのです。
しかし何よりも、イエス様は十字架に架かられることによって、ペテロの闇に光をもたらされました。この時に鶏が鳴いて告げ知らせた朝は、他でもない、イエス様が十字架に架かられる朝でありました。イエス・キリストが十字架にお掛かりになった。私たちのために、十字架にいのちを捨ててくださった。ご自身を裏切り、見捨て、疑う者たちのために、闇の中を歩む私たちのために、キリストがおいでになって神の愛を示すため、十字架にいのちを捨ててくださった。私たちが立派だからではなく、誠実に歩むことを条件として、でもなく、まことに値なき者たちのために、無条件の、一方的な憐れみにより、イエス様が私たちのためにいのちを捨てられたのです。
私たちは本当に弱い者です。神様から離れ、プライドばかりが高くなり、簡単に足を掬われ、いつ死ぬとも知れない、惨めな者です。しかし、そのような私たちが、主に愛され、永遠のいのちを与えると主に約束されている幸いを、虚心に仰ぎたいと思います。
「受難週を迎え、棕櫚の主日に、私共の賛美や信仰が上辺のものかと心を探られます。しかし、そこに主がお出でになった。この私共のところに主がお出でになった。この驚くべき恵みを告白させてください。深い謙りをもって証しをさせてください。私共のために十字架にいのちをお捨てになった主を仰ぐことをもって、私共の存在を証しとしてください」
[ii] とはいっても、26節でペテロを追い込んだ人は、ペテロがイエス様の弟子であるに違いないと分かっても、それ以上追求しようとはしませんでした。もしペテロが弟子であると公言したとしても、笑われるだけで、捕らえられる心配もなければ、何の危険もなかったのです。それでもペテロは脅えてしまい、揺さぶられてしまいました。
[iii] 最後の所は、「もう一度否定した」と短く、他の福音書のように「のろいをかけて誓い始めた」という強調した描写はしません。それが却って、ペテロの内心の動きを強調しています。うっかり、から、きっぱり、そして、あっさり、へと雪崩落ちてしまったのです。
[iv] 一39。ヨハネがイエス様とお会いしたときです。
[v] 十三30。ユダが裏切りに出て行ったときです。
[vi] 十九14。ピラトの裁判が始まったときです。
2011年4月17日 ヨハネ18章25-27節「ニワトリが鳴いた」
イエス様が十字架に架かろうとしておられる前夜、逮捕から取り調べが行われ、同時に、一番弟子であったはずのシモン・ペテロがイエス様を三度否認する、という出来事の最後の部分です。鶏が鳴く、というのは、当時の真夜中を過ぎて三時頃のことを指す言い方でもありました。他の福音書を見ると、二回目と三回目の否認の間には、一時間ほどの時間差があったとも分かります[i]。夜中の出来事とはいえ、刻々と時は過ぎていって、十字架に架かられる朝は近づいているのです。
そういう中で、25節に、
「一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。…」
とあるのは、何とも素知らぬ振りをして、という感じがします。前回見たとおりの、イエス様の誠実なお答え振りとは対照的で、何食わぬ顔で手を火に翳している、その姿が既に非常に危険です。
三度イエス様を裏切ったペテロの失敗は、私たちにとってはある意味では慰めでもあり、私たちも似たようなことをしている、とか、失敗もあって良いのだ、とか、最後に外に出て激しく泣いたとあるドラマが忘れがたいものであったりします。しかし、このヨハネの福音書は、他の共観福音書と同様にこのペテロの裏切りを記しつつも、とてもドライな伝え方をしています。特に、最後の、ニワトリの声を聴いて、ペテロが外に出て泣いた、という件はスッパリ割愛して、
「するとすぐ鶏が鳴いた。」
で終わっています。ペテロがどうした、男泣きに泣いた、物凄い後悔に苛まれた、そういう所には持っていかないのです。ですから、私たちも、ペテロの涙とか弱さへの共感、人間くささということに飛びつかずに、ヨハネの冷静な筆致を追ってみたいと思います。
そこから教えられることの一つが、悪の誘いは巧みである、ということです。
「26大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」」
けれども、ひょっとして最初にこれを言われていたら、ペテロも観念していたかも知れません。これは否定できない、諦めようと思ったかも知れない[ii]。けれども、それまでの二度の否認があったために、ここでそうだと潔く言えなくなっていた。それも17節では、
「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」
と、「違いますよね」と水を向けられたために、そのまま、
「そんな者ではない」
と口走ってしまった。違うと思わせておけばいい、白を切っておけばいい、という甘えがありました。そして、25節でも同じ言い方で言われたとき、もう少し強く、
「否定して、「そんな者ではない」と言った。」
その甘さが、三度目に、決定的な証拠を突き付けられても、
「27それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。」
となってしまうのです[iii]。「悪への道は緩やかなカーブである」という格言があります。しかし、それが緩やかなカーブであるから悪いのではなく、緩やかなカーブなら大丈夫と甘く考える私たちのプライド、思い上がりこそが問題なのは言うまでもありません。
ところで、すぐ鶏が鳴いた、というのは、十三38でイエス様が、
「まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
と仰っていたことを強く思い出させます。そして、この結び方は、ペテロがそれを聴いてイエス様の言葉を思い出したという以上に、私たち読者に、あのイエス様のお言葉の真実さを思い出させたいのです。ペテロが思い出して外に出て噎び泣いた、ということよりも大事なのは、私たちが、このペテロの裏切りをも予告しておられた事実を思い出すことです。そして、その直後に主が、
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
と仰っていた、あの励ましに気づくことが大事なのです。また、この主の恵みの宣言に気づかず、自分が自分が、と言っている間は、主の行かれる所に私たちが行くことなどは出来るはずがないのですが、徹底的に砕かれていく中で、私たちは本当の意味で主について行く者となれるのであり、主の家に住まう者となれる、という事なのです。
思えば、このペテロの三度の否認は、初代教会にとっては指導者の過去の汚点でもあったわけです。宗教なり政治なり、何かしらの団体が立ち上げられていく時、求心力を失わないためには、リーダーのこんな失点は伏せておきたいものではないでしょうか。ところが、ペテロも聖書記者もそのようには考えなかったのです。それも、四つの福音書が揃いも揃って、ペテロを、肝腎な信仰告白における失敗者だと伝えているのです。
これは、実に不思議な事ですが、ここにこそキリスト教の根本的な信仰姿勢、また、伝道姿勢があります。それは、ペテロや指導者、牧師や説教者、また、キリスト者やその集まりとしてのキリスト教会が、どれほど立派で、魅力的で、聖人であるか、愛に溢れているか、いのちをも惜しまない信仰者であるか、という宣伝の仕方を決してしない、ということです。
しばしばそのように生きることが「神の栄光を現す生き方」であり、自分たちをよく見せることが「あかし」であると思い込まれている嫌いがあります。このような場合ですと、敵対する人々の前でも、守られて、恐れることなく、主の弟子であると告白できた、躓かなかった、という体験が「あかし」だということになるでしょう。勿論、実際そのようにさせていただいたならそれも証しなのですが、そういうものが「素晴らしい証し」であるとか、もっと言えば、失敗した自分などは人に晒したくない、というプライドは問い直さなければなりません。そのようなプライドを持っている限り、私たちは自分が、突かれただけで主を裏切り、見捨てて、売り渡してしまう者でしかない、という現実には目を瞑っているのです。しかし、すべての福音書がペテロの否認を伝えている事実は、人間の罪の現実に目を瞑ることを止めることから、キリスト者の信仰の世界へと踏み出せるのだ、と語っているのではないでしょうか。
この意味でも、鶏が鳴いた、という結び方は象徴的です。先に申しましたように、鶏鳴時とは当時は午前三時頃でした。鶏が鳴いた、とは、鶏が鳴いただけでなく、明け方近く、まだ真っ暗だが間もなく朝となる。そういう予感でもあります。ヨハネは、折々に時を描写します。「時は第十時ごろであった」[iv]、「すでに夜であった」[v]、「時は第六時ごろであった」[vi]という具合です。そしてここでも、ペテロの否認が夜明け間近に起きたのだと印象づけています。それは、単なる時間だけでなく、霊的な意味でも、朝が来ようとしているということです。ユダは裏切りの心で夜に出て行ったのですが、ペテロが主を否認した今、夜は明けようとしています。人間的には、これはお先真っ暗な状況です。拭いがたい汚点です。けれども、ヨハネはそうではないと考えています。この、人間的には消し去りたい過去、隠し伏せておきたい臑の疵から、夜明けは見えてくる。闇の世界の真っ直中に来てくださったイエス・キリストとの出会いがある。世の光であるイエス・キリストがおいでになる。
しかし、それはどのようにしてでしょうか。ペテロの所にイエス様が飛んできてくださったのではありませんでした。一つには、御言を思い出させてくださることによって、でした。もう一つ、先のことになりますが、よみがえりの後、イエス様はペテロに近づかれて、「あなたはわたしを愛しますか」と問うてくださるのです。
しかし何よりも、イエス様は十字架に架かられることによって、ペテロの闇に光をもたらされました。この時に鶏が鳴いて告げ知らせた朝は、他でもない、イエス様が十字架に架かられる朝でありました。イエス・キリストが十字架にお掛かりになった。私たちのために、十字架にいのちを捨ててくださった。ご自身を裏切り、見捨て、疑う者たちのために、闇の中を歩む私たちのために、キリストがおいでになって神の愛を示すため、十字架にいのちを捨ててくださった。私たちが立派だからではなく、誠実に歩むことを条件として、でもなく、まことに値なき者たちのために、無条件の、一方的な憐れみにより、イエス様が私たちのためにいのちを捨てられたのです。
私たちは本当に弱い者です。神様から離れ、プライドばかりが高くなり、簡単に足を掬われ、いつ死ぬとも知れない、惨めな者です。しかし、そのような私たちが、主に愛され、永遠のいのちを与えると主に約束されている幸いを、虚心に仰ぎたいと思います。
「受難週を迎え、棕櫚の主日に、私共の賛美や信仰が上辺のものかと心を探られます。しかし、そこに主がお出でになった。この私共のところに主がお出でになった。この驚くべき恵みを告白させてください。深い謙りをもって証しをさせてください。私共のために十字架にいのちをお捨てになった主を仰ぐことをもって、私共の存在を証しとしてください」
[ii] とはいっても、26節でペテロを追い込んだ人は、ペテロがイエス様の弟子であるに違いないと分かっても、それ以上追求しようとはしませんでした。もしペテロが弟子であると公言したとしても、笑われるだけで、捕らえられる心配もなければ、何の危険もなかったのです。それでもペテロは脅えてしまい、揺さぶられてしまいました。
[iii] 最後の所は、「もう一度否定した」と短く、他の福音書のように「のろいをかけて誓い始めた」という強調した描写はしません。それが却って、ペテロの内心の動きを強調しています。うっかり、から、きっぱり、そして、あっさり、へと雪崩落ちてしまったのです。
[iv] 一39。ヨハネがイエス様とお会いしたときです。
[v] 十三30。ユダが裏切りに出て行ったときです。
[vi] 十九14。ピラトの裁判が始まったときです。
2011年4月10日 ヨハネ18章19-24節「平手でうたれても」
ヨハネが記す、イエス様の受難記事を読んでいます。イエス様が捕らえられて、後々までも有名な、権力を牛耳ってユダヤ社会に君臨していた、大祭司アンナスの前に引っ立てて来られた。そこでのやり取りが記されているのがこの箇所です[1]。
このやり取りは、前回もお話ししました通り、ペテロがイエス様の弟子であることを三度否定した裏切りの間に差し挟まれています。こういう構成にすることによって、ヨハネは、ペテロの大失敗という出来事の上っ面に捕らわれず、そこで同時進行していたイエス様のこのお言葉を聞きながら、ペテロの躓きをも理解しなさいよ、というようです。
しかし、そうは言っても、今日の部分を読んでも、イエス様は何かのらりくらりとはぐらかしておられるような印象を強く持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。正面からお答えになっていないと思うのです。しかし、実は、ここでイエス様はしっかりと、また、鋭く答えていらっしゃるのです。
大祭司が訪ねたのは、
「19…弟子のこと、また、教えのことについて」
であったとあります[2]。しかし、イエス様はこれに、
「20…「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。
21なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」
と返されます。イエス様の仰るとおり、本当に知りたければ、大祭司も十分な情報源はあったのです。「公然と」という言葉は、七26にもあります。人々が、
「この人は公然と語っているのに、彼ら〔議員たち〕はこの人に何も言わない」
と言っていたのです。勿論、夜ひっそりと訪ねてきたニコデモのような人もいましたから[3]、そういう人とは隠れて話したこともありました。しかし、こそこそと、あるいは、弟子たちにだけ特別に明らかにされた「奥義」のようなものはなくて、どこでも公然と人々にお語りになり、教えを叫ばれたイエス様の姿がヨハネ伝では強調されているのです。それなのに信じなかった、ということだったのです。大祭司にも十分な情報が届いていました。議会が密偵を送り込んで教えを調べ上げようとしていました[4]。イエス様が死人をよみがえらせたという奇跡さえ伝わっていました。それを、すべて棚に上げて、政治的に解決することしか考えなかったのが大祭司を中心とするユダヤ当局の思惑だったのです。
ですから、イエス様はこうした尋問を突っぱねられます。それと共に、証人を呼んで証言させて、事実を確定せよ、という、律法の示す、裁判の大原則を提示されるのです[5]。裁判の尋問であれば、二、三人の証言が必要なのではないか。この時大祭司が、イエス様に対してどんな尋問方法を取ったかは知りませんが、そういう尋問方法ではなく、証言者を集めることが律法の教える裁判のやり方ではないか、と突き返されているのです。
これに対して即座に反応を示したのが、「そばに立っていた役人のひとり」でした。
「22イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。
23イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」」
「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」[6]
と仰っていたイエス様が、流石にこの時はカッとなって言い返した、というようにも読めます。けれども、今までにお話しして来ました通り、ヨハネは、イエス様がご自分の苦難の最期を、ご自身の栄光のときを呼んでおられ、仕方なしにではなくご自分からいのちをお捨てになるとき、友のためにいのちをも捨てる全き愛の現れそのもの、となさっている、そういう面を強調しています。ですから、ここでも平手で打たれてムッとなさったと考えなくてもいいのです。本当にカチンと来たなら、その神通力で平手打ちにどんな仕返しでも出来たのです。でも、イエス様はそうはなさいませんでした。「悪い証拠を示しなさい」というのも、今まで民衆がイエス様に求めて来た、しるしを見せよ、何かしてくれ、と積もり積もった要求が背景にあるでしょう[7]。イエス様が見せてきた事には、悪い証拠などない。聴衆の証言だろうと何だろうと、イエス様のなさってきたことには一点の染みもなかったのです。そのことをイエス様は思い出させようとなさるのです。
この役人は、大祭司に代わってイエス様を懲らそうとしたのでしょう。大祭司に対してその横柄な言い方は何だ、と憤るのです。だから、お前などは平手打ちにしても構わないのだ。そういう発想です。当の大祭司が、どれ程、欲得にまみれ、イエス様にどんな偏った扱い、律法の原則を踏み躙った尋問をしているのか、ということはサッパリ頭にないようです。大祭司の悪行は棚に上げてしまう。そして、自分がイエス様を引っぱたくのも悪いとは思わないで、正義だと思い込んでいるのです。恐ろしい思い上がりです。
しかしまた、私たちの中にも似たような発想がないでしょうか。権威を与えられた者は特別である。そういう人が多少公正を欠いたようなやり口で行動していても許されるのだ。権力者を特別扱いする。あるいは自分もまた、何かちょっと権威ある立場になると、そこで自分が法になり、神になり、多少の傍若無人も許されると考えてしまう。それでいて、他者からの批判や態度が横柄で傲慢だと手を挙げかねない。そういう権威主義、俗物根性もまた、罪が産み出すものです。人間の心が、罪の闇に覆われている証しです。恐るべき罪、しかし、私たちがいつしか当たり前に流している暴力である。牧師もまた、権威を与えられている以上、心底警戒していなければならない罪です。
けれども、イエス様は、そういう私たちの闇に、力強く挑戦しておられるのです。この役人に対しても、イエス様は実に真摯です。「虎の威を借る狐」でしかないような者に、イエス様は、答えておられます。
「悪者を責める者は、自分が傷を受ける」[8]
という御言の大元でもある知恵あるお方が、ここでこのしもべに語りかけておられます。それは、カッとなってとか、話せば分かってくれるかもとか、そんな程度の考えしかできない私たちには測り知れない、主の深い慮りだと思います。それは、一切の権威とか批判、抑圧を恐れることのない、真の自由を伴っての態度です。
大祭司の前で尋問される、圧倒的な状況です。私たちなら、足が震えて仕方がないでしょう。しかし恐れることなく、媚びることなく、違うことは違うと言い切れる。これは、イエス様が見せている力強さです。それが、ペテロがイエス様を知らないと口走ってしまい、あと二回、否定を繰り返す、腰砕けのまん中に置かれた意味はハッキリしています。脅え、躓き、恐れてしまう道ではなく、イエス様は、どんな場所でも、平安に満たされ、勇敢に歩まれるお方です。恐れず、威風堂々、毅然としている。しかも、そこでの小物の役人にさえ心を砕かれる。そのような、恵みに溢れたお姿が強調されているのです。
12節をお話ししたときに、アウグスティヌスが、イエス様を捕らえて縛った兵士たちも、後々イエス様を信じたかも知れないと語っていた説教を紹介しました。それならば、ここでイエス様を平手打ちにした役人だって、後々イエス様を信じるようになったことだってなかったとは言えないでしょう。イエス様に面と向かって言われた言葉が抗しきれないほど響く日が来たのかも知れない。そして、自分の手をじっと見ながら、この手でイエス様を平手打ちにしたのだ、と思い返さずにはいられずに生きたということだって、なかったとは言えない。そうだとまでは言えませんが、少なくとも私たちは、自分もまた、イエス様に平手打ちのような無礼を幾度となく食らわせてきた覚えがある筈です。イエス様を否定し、この世の権力に阿るようなことをしてしまう者に過ぎなかった私たちが、イエス様によって捉えていただいて、今ここにあるのです。
「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」[9]
との御言に励まされて、神以外のものを恐れることのない生き方へと招かれています。その生き方は、ペテロが失敗したように、いざという時、臆病に流される生き方ではなく、勇気を戴いて立つ。平手で打たれても、挫けない、堂々と、しかも愛をもって、敵をも愛する愛をもって対する歩みなのだ。そういう歩みへと私たちは導かれているのだ、とハッとさせられるのです。
ヨハネ伝執筆当時、迫害が強まっていく中で、格別な励ましとなることを願いつつ、ヨハネはイエス様のお姿を書いたことでしょう。これは、今の私たちにとっても、生きた励ましである主のお姿です。自分の力で勇敢であれ、と言われているのではありません。主に繋がる時に、主は私たちに、勇気も愛も平安も下さるのです。
「今なお、私共のうちに、御言ならぬ基準と二股掛けている所がありましたら、どうかお示しくださって、ただあなた様のみを恐れ、謙り、強くされて、みわざに仕えさせてください。恐れぬ心、傷つかぬ心に添えて、私共の贖い主、恵みの主を告白させてください」
[1] 前々回に申しましたとおり、24節が14節の後にあった、という説が正しければ、この場面は大祭司カヤパの前での尋問ということになります。しかし、いずれにしても、今回の説教の骨子に変化はありません。この節をも念頭に置きながら、本当に言いたいことは、どちらでも大きな変化はない、との理解に立っています。
[2] 共観福音書に記される、イエス様の「罪状」は、神殿を三日で建てると言ったのか、また、イエスはキリストか、という点ですが、これについては、ヨハネは既に、二19、十24-38などで触れています。
[3] ヨハネ三章
[4] ヨハネ七32
[5] 民数記三五30、申命記十七6、十九15
[6] マタイ五39
[7] 二18、六30、八13、十24、十二37、など。
[8] 箴言九7b
2011年4月3日 民数記1章「荒野の会見の天幕で」
有名な、ペテロが三度イエス様を否定した箇所です。これも、四つの福音書が揃って記している記事です。後の、使徒ペテロ-イエス様の十二使徒の代表者として初代教会を導くペテロ。そのペテロが、イエス様の十字架の時にどこにいたのかと言えば、イエス様の弟子だろうと問われて、三度も激しく頭を振って、「そんな人は知らない」と、知らんぷり、無関係を決め込んだ。これは、初代教会にとっては、実に不利な出来事でした。しかし、聖書はこの事実を、伏せるのでなく、しっかりと刻みつけるのです。
最後の晩餐の席で、イエス様はこのことを予告しておられました。ペテロは、
「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
と胸を張りましたが、イエス様は、
「あなたは三度わたしを知らないと言います」
と言い切られました。その言葉がここで成就しているのです。自分だけは大丈夫、イエス様が心配する程、私は恩知らずではない。たとえ殺されようともイエス様と一緒ですと自信満々であったペテロの鼻っ柱は、完璧に挫かれます。自分は、と自惚れる心は、徹底的に砕かれなければなりませんでした。
ところで、ヨハネはここでもやはり、他にはない独自な書き方をしているのですが、一つ大きく目につくのは、
「15シモン・ペテロともう一人の弟子は、イエスについて行った。この弟子は、大祭司の知り合いで、…」
という記述です[1]。前回もお話ししたように、ヨハネはイエス様の逮捕に、「大祭司」が関わっていることを非常に強調しています。その大祭司の知り合いであるということ自体が罪だとは言えませんが、それでも、そこには危うさが潜んでいることに注意しなければならない筈です。しかし、ヨハネは、知り合いだった本人の「もう一人の弟子」よりも、その弟子の言わば「コネ」を利用しようとしたペテロの危険に焦点を当てます。勇敢さを見せようとしながら、大祭司とのコネに縋ろうとしていたペテロの危うさ、でしょう。
ここでペテロが、
「15…イエスについて行った。」
と訳されているのは、イエス様に「従う」とも訳される、弟子としての大事な姿勢です。ですから、やっていることは、ペテロの勇敢さ、従順ぶり、のようです。また、以前にも申しましたように、ヨハネは、ゲッセマネの園で、弟子たちがイエス様を捨てて逃げていったとは記しません。逃げ出すどころか、ローマ兵と戦い、敵陣にまで忍び込むという勇敢ぶりです。しかし、このときは、ペテロの行動は弟子としては不従順でした。なぜなら、イエス様は先に何と仰っていましたか。
「 8…この人たちはこのままで去らせなさい。」
と命じてくださっていたではありませんか。最後の晩餐の席でも、
「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません」
と言われていたのです。イエス様が守ろうとかばってくださり、逃がしてくださったのに、ペテロは剣を振り回しただけでは飽きたらず、まだ懲りないで、ノコノコとしゃしゃり出て、イエス様についていっているつもりになり、大祭司の庭にまで入り込み、結局はイエス様を否認してしまう。これは、何と愚かなことでしょうか。
また「孫引き」になりますが、カルヴァンの注解を加藤常昭牧師がこのように紹介しています。「人々の分別というのは、どんなに虚しいものであろうか。そのくせ、自分の判断が正しく筋が通っていると思ったときに、それを神が是認してくださるかどうかを問わないで押し通そうとする。…そのようなとき、私どもは「神が私たちに命じておられるよりも遥かに多くのことをしたがるものだ」[2]。また、「ペテロは自分の務めを果たそうと、おせっかいにも、大いなる情熱を燃やした。…しかも自分を窮地に追い込んだ。本当は、死を賭けてでも、大胆に自分の信仰を告白すべきところに、自ら追い込まれて立ちながら、しかしそこに至って勇気が挫けている」[3]。こうカルヴァンは言っているそうです。神が命じておられるよりも遥かに多くのことをしたがる。それを「おせっかい」と言い切り、命懸けで告白すべきところに自ら立ちながら勇気が挫ける。深く、鋭い指摘だと思います。
ペテロとしては、自分の正しさを証明したかったのかも知れません。イエス様への愛を、勇気を見せたかったのかも知れません。しかし、自ら証明したがるものなど愛ではありません。イエス様の愛は、十字架において証しされましたが、それはその一方的で、いのちさえも惜しまないゆえに証しされたのであって、ペテロがここに至って腰砕けになったのは、結局愛ではなかった、ということです。(勿論、私たちは、自分のいのちを焼かれるために渡したとしても、愛がない、という場合もあることを忘れてはなりません[4]。)
17節で門番の女が、
「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」
と声を掛けたのは、疑っているというよりも、そうではないという答を予想した、軽い問いかけです。しかし、弟子である筈がないわよね、と言われたそのたったひと言でペテロはもうダメでした[5]。イエス様が、「わたしがそれだ」と仰ったのと対照的に、
「そんな者ではない」
と言い切ってしまいます。そして、ペテロは、イエス様を逮捕しに来たであろう、
「18…しもべたちや役人たち…」
と一緒になって、素知らぬ顔で炭火の周りに立ち、暖を取ってしまうのです。
ところが、ここでヨハネは、第二、第三の否定に行かず、19節以降にイエス様の尋問の場面を差し挟みます。読者の教会は、すでに他の福音書に馴染んでいて、ペテロの三度の否認も知っていたとヨハネは念頭に置いていた筈です。ですから、そのお馴染みの話の中に、敢えてイエス様と大祭司とのやり取りを割り込ませたのは、このペテロの否認をも、イエス様との関わりにおいて考えて欲しかったからでしょう。実際、19節は、
「そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。」
とするのです。そこでイエス様が何と答えられたかはまた次回にお話しすることにしますが、8節9節で、弟子たちを守られることを最優先なさったイエス様は、この時も、ペテロや弟子たちを守り、救うために立たれているのです。
このイエス様の御愛に留まりなさい、とイエス様は仰ったのです。何も、勇敢なところを見せよとか、命懸けで戦えとは仰らず、無謀でもついて来いとも言われませんでした。このイエス様の愛への信頼がないままイエス様に従って行ったとしても、それはイエス様からますます遠退くことでしかありません。ヨハネは弟子たちが逃げたとは記していない、と申しました。かえって、イエス様について行こうとする弟子の姿を記す、と申しました。しかし、その心がイエス様の愛を差し置いて、自分たちの分別やお節介な思いに捕らわれている限り、彼らは従っているとは到底言えません。却って、イエス様を見捨てているのです。イエス様の心に背を向けて、遠くにいるのです。
私たちも、本当にイエス様の愛に委ねているでしょうか。他にどうすることも出来なくなったときに「委ねるしかない」という言い方をします。それはそれで感謝なことですが、どうしようもなくなって委ねる、のではなく、まず委ねる、なのではないでしょうか。委ねなさいと言われていれば、まだ委ねる以外に道があったとしても、じっと委ねることが出来るでしょうか。なくてはならぬものではないことのために、人間的なコネだとか剣だとか、自分の熱心だとか奉仕だとかに、落ち着かずに走り回ってしまう[6]。それは、善意ではあっても、不信仰であり、罪であり、イエス様の御心にはそぐわないのです。
しかし、ペテロの否認は、失態ではあっても、避けては通れないものでした。これはスキャンダルであるというよりも、キリスト者はみな、高ぶる心を砕かれなければならない、ということであり、ペテロはその代表格として、ここで大失敗を通らされたのです。自分の正しさや力への誇りが砕かれた先にしか、イエス様との出会いはなかったのです。私たちも同じです。何かが出来る、という思いにしがみつけなくなったところで、
「あなたはわたしを愛しますか」[7]
とだけ仰るイエス様との出会いがあるのです。この御声を聴いていきたいと思います。そのためにも、よく働く者であるよりも、主の愛を喜ぶ者とされたい。動くよりも先に、手を休め、委ねて、静まる者として成長させていただきたい。そして、命を賭けても果たすべき告白を、誤ることがありませんように、と願うのです。
「私共も多くの失敗を犯してきました。それを恥じて忘れるのでなく、そこにこそあなた様の御真実を体験し、恵みというものを知らされたことでした。逸る心を、一方的なあなた様の恵みに、全身全霊で、繋ぎ止めさせてください。多くの業をなそうと、お節介に走るより、主への信頼を第一に、主に従わせてください。主の愛の実を実らせてください。」
[1] ヨハネは自分のことを匿名でこの福音書の中に何度も登場させています。ですから、これもヨハネ自身のことではないか、とする説もありますが、私としてはそうではないと考えた方が辻褄は合うという方の立場です。これがヨハネのことではないとする立場の理由としては、ガリラヤの漁師であったヨハネが大祭司の知り合いであったとは考えにくいこと、実際、使徒の働き四13では、大祭司がペテロとヨハネを見て、「無学なただの人」であるという以上の判断をしなかったこと、などが挙げられます。
[2] 加藤常昭『加藤常昭説教全集15 ヨハネによる福音書4』334頁。
[3] 同上。
[4] 「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」Ⅰコリント十三3。
[5] ここには、創世記三章のエデンでの誘惑と重なる点があります。①サタンの誘惑が「食べてはいけないと言われたのですか」と事実の全否定から始まっていること、②サタンは女を用いて誘惑を果たしたこと。
[6] イザヤ三〇15-18「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。あなたがたは言った。「いや、私たちは馬に乗って逃げよう。」それなら、あなたがたは逃げてみよ。「私たちは早馬に乗って。」それなら、あなたがたの追っ手はなお速い。ひとりのおどしによって千人が逃げ、五人のおどしによってあなたがたが逃げ、ついに、山の頂の旗ざお、丘の上の旗ぐらいしか残るまい。それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」
2011年3月27日 ヨハネ18章15-18節「イエスに従うためには」
有名な、ペテロが三度イエス様を否定した箇所です。これも、四つの福音書が揃って記している記事です。後の、使徒ペテロ-イエス様の十二使徒の代表者として初代教会を導くペテロ。そのペテロが、イエス様の十字架の時にどこにいたのかと言えば、イエス様の弟子だろうと問われて、三度も激しく頭を振って、「そんな人は知らない」と、知らんぷり、無関係を決め込んだ。これは、初代教会にとっては、実に不利な出来事でした。しかし、聖書はこの事実を、伏せるのでなく、しっかりと刻みつけるのです。
最後の晩餐の席で、イエス様はこのことを予告しておられました。ペテロは、
「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
と胸を張りましたが、イエス様は、
「あなたは三度わたしを知らないと言います」
と言い切られました。その言葉がここで成就しているのです。自分だけは大丈夫、イエス様が心配する程、私は恩知らずではない。たとえ殺されようともイエス様と一緒ですと自信満々であったペテロの鼻っ柱は、完璧に挫かれます。自分は、と自惚れる心は、徹底的に砕かれなければなりませんでした。
ところで、ヨハネはここでもやはり、他にはない独自な書き方をしているのですが、一つ大きく目につくのは、
「15シモン・ペテロともう一人の弟子は、イエスについて行った。この弟子は、大祭司の知り合いで、…」
という記述です[1]。前回もお話ししたように、ヨハネはイエス様の逮捕に、「大祭司」が関わっていることを非常に強調しています。その大祭司の知り合いであるということ自体が罪だとは言えませんが、それでも、そこには危うさが潜んでいることに注意しなければならない筈です。しかし、ヨハネは、知り合いだった本人の「もう一人の弟子」よりも、その弟子の言わば「コネ」を利用しようとしたペテロの危険に焦点を当てます。勇敢さを見せようとしながら、大祭司とのコネに縋ろうとしていたペテロの危うさ、でしょう。
ここでペテロが、
「15…イエスについて行った。」
と訳されているのは、イエス様に「従う」とも訳される、弟子としての大事な姿勢です。ですから、やっていることは、ペテロの勇敢さ、従順ぶり、のようです。また、以前にも申しましたように、ヨハネは、ゲッセマネの園で、弟子たちがイエス様を捨てて逃げていったとは記しません。逃げ出すどころか、ローマ兵と戦い、敵陣にまで忍び込むという勇敢ぶりです。しかし、このときは、ペテロの行動は弟子としては不従順でした。なぜなら、イエス様は先に何と仰っていましたか。
「 8…この人たちはこのままで去らせなさい。」
と命じてくださっていたではありませんか。最後の晩餐の席でも、
「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません」
と言われていたのです。イエス様が守ろうとかばってくださり、逃がしてくださったのに、ペテロは剣を振り回しただけでは飽きたらず、まだ懲りないで、ノコノコとしゃしゃり出て、イエス様についていっているつもりになり、大祭司の庭にまで入り込み、結局はイエス様を否認してしまう。これは、何と愚かなことでしょうか。
また「孫引き」になりますが、カルヴァンの注解を加藤常昭牧師がこのように紹介しています。「人々の分別というのは、どんなに虚しいものであろうか。そのくせ、自分の判断が正しく筋が通っていると思ったときに、それを神が是認してくださるかどうかを問わないで押し通そうとする。…そのようなとき、私どもは「神が私たちに命じておられるよりも遥かに多くのことをしたがるものだ」[2]。また、「ペテロは自分の務めを果たそうと、おせっかいにも、大いなる情熱を燃やした。…しかも自分を窮地に追い込んだ。本当は、死を賭けてでも、大胆に自分の信仰を告白すべきところに、自ら追い込まれて立ちながら、しかしそこに至って勇気が挫けている」[3]。こうカルヴァンは言っているそうです。神が命じておられるよりも遥かに多くのことをしたがる。それを「おせっかい」と言い切り、命懸けで告白すべきところに自ら立ちながら勇気が挫ける。深く、鋭い指摘だと思います。
ペテロとしては、自分の正しさを証明したかったのかも知れません。イエス様への愛を、勇気を見せたかったのかも知れません。しかし、自ら証明したがるものなど愛ではありません。イエス様の愛は、十字架において証しされましたが、それはその一方的で、いのちさえも惜しまないゆえに証しされたのであって、ペテロがここに至って腰砕けになったのは、結局愛ではなかった、ということです。(勿論、私たちは、自分のいのちを焼かれるために渡したとしても、愛がない、という場合もあることを忘れてはなりません[4]。)
17節で門番の女が、
「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」
と声を掛けたのは、疑っているというよりも、そうではないという答を予想した、軽い問いかけです。しかし、弟子である筈がないわよね、と言われたそのたったひと言でペテロはもうダメでした[5]。イエス様が、「わたしがそれだ」と仰ったのと対照的に、
「そんな者ではない」
と言い切ってしまいます。そして、ペテロは、イエス様を逮捕しに来たであろう、
「18…しもべたちや役人たち…」
と一緒になって、素知らぬ顔で炭火の周りに立ち、暖を取ってしまうのです。
ところが、ここでヨハネは、第二、第三の否定に行かず、19節以降にイエス様の尋問の場面を差し挟みます。読者の教会は、すでに他の福音書に馴染んでいて、ペテロの三度の否認も知っていたとヨハネは念頭に置いていた筈です。ですから、そのお馴染みの話の中に、敢えてイエス様と大祭司とのやり取りを割り込ませたのは、このペテロの否認をも、イエス様との関わりにおいて考えて欲しかったからでしょう。実際、19節は、
「そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。」
とするのです。そこでイエス様が何と答えられたかはまた次回にお話しすることにしますが、8節9節で、弟子たちを守られることを最優先なさったイエス様は、この時も、ペテロや弟子たちを守り、救うために立たれているのです。
このイエス様の御愛に留まりなさい、とイエス様は仰ったのです。何も、勇敢なところを見せよとか、命懸けで戦えとは仰らず、無謀でもついて来いとも言われませんでした。このイエス様の愛への信頼がないままイエス様に従って行ったとしても、それはイエス様からますます遠退くことでしかありません。ヨハネは弟子たちが逃げたとは記していない、と申しました。かえって、イエス様について行こうとする弟子の姿を記す、と申しました。しかし、その心がイエス様の愛を差し置いて、自分たちの分別やお節介な思いに捕らわれている限り、彼らは従っているとは到底言えません。却って、イエス様を見捨てているのです。イエス様の心に背を向けて、遠くにいるのです。
私たちも、本当にイエス様の愛に委ねているでしょうか。他にどうすることも出来なくなったときに「委ねるしかない」という言い方をします。それはそれで感謝なことですが、どうしようもなくなって委ねる、のではなく、まず委ねる、なのではないでしょうか。委ねなさいと言われていれば、まだ委ねる以外に道があったとしても、じっと委ねることが出来るでしょうか。なくてはならぬものではないことのために、人間的なコネだとか剣だとか、自分の熱心だとか奉仕だとかに、落ち着かずに走り回ってしまう[6]。それは、善意ではあっても、不信仰であり、罪であり、イエス様の御心にはそぐわないのです。
しかし、ペテロの否認は、失態ではあっても、避けては通れないものでした。これはスキャンダルであるというよりも、キリスト者はみな、高ぶる心を砕かれなければならない、ということであり、ペテロはその代表格として、ここで大失敗を通らされたのです。自分の正しさや力への誇りが砕かれた先にしか、イエス様との出会いはなかったのです。私たちも同じです。何かが出来る、という思いにしがみつけなくなったところで、
「あなたはわたしを愛しますか」[7]
とだけ仰るイエス様との出会いがあるのです。この御声を聴いていきたいと思います。そのためにも、よく働く者であるよりも、主の愛を喜ぶ者とされたい。動くよりも先に、手を休め、委ねて、静まる者として成長させていただきたい。そして、命を賭けても果たすべき告白を、誤ることがありませんように、と願うのです。
「私共も多くの失敗を犯してきました。それを恥じて忘れるのでなく、そこにこそあなた様の御真実を体験し、恵みというものを知らされたことでした。逸る心を、一方的なあなた様の恵みに、全身全霊で、繋ぎ止めさせてください。多くの業をなそうと、お節介に走るより、主への信頼を第一に、主に従わせてください。主の愛の実を実らせてください。」
[1] ヨハネは自分のことを匿名でこの福音書の中に何度も登場させています。ですから、これもヨハネ自身のことではないか、とする説もありますが、私としてはそうではないと考えた方が辻褄は合うという方の立場です。これがヨハネのことではないとする立場の理由としては、ガリラヤの漁師であったヨハネが大祭司の知り合いであったとは考えにくいこと、実際、使徒の働き四13では、大祭司がペテロとヨハネを見て、「無学なただの人」であるという以上の判断をしなかったこと、などが挙げられます。
[2] 加藤常昭『加藤常昭説教全集15 ヨハネによる福音書4』334頁。
[3] 同上。
[4] 「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」Ⅰコリント十三3。
[5] ここには、創世記三章のエデンでの誘惑と重なる点があります。①サタンの誘惑が「食べてはいけないと言われたのですか」と事実の全否定から始まっていること、②サタンは女を用いて誘惑を果たしたこと。
[6] イザヤ三〇15-18「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。あなたがたは言った。「いや、私たちは馬に乗って逃げよう。」それなら、あなたがたは逃げてみよ。「私たちは早馬に乗って。」それなら、あなたがたの追っ手はなお速い。ひとりのおどしによって千人が逃げ、五人のおどしによってあなたがたが逃げ、ついに、山の頂の旗ざお、丘の上の旗ぐらいしか残るまい。それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」
[7] 二一15、16、17。
2011年3月20日 ヨブ記1章「御心が見えないとき」
今週ヨブ記をお話しする予定ではありませんでしたが、震災以来のことがありましたので、教会として、またキリスト者としてこのことを受け止めるためにも、ストレートにヨブ記を選ぶことにしました。もともと今日は、年間テーマとしました、「私たちに現された神の御心」を学ぶことにしていました[1]。しかし、今回のような大災害を前にして、私たちの心に浮かぶのは、やはり、こういう中で「神の御心」はどこにあると考えたらいいのか、ということではないでしょうか。なぜこんなことが起きたのか、とか、神はどうしてこんなことを許されたのか、と思わずにはいられません。
神様の御心を知る、というのは、とても現実的なことです。心情的にはとても追いつかない部分があるとしても、私たちが今日学ぶ予定としていたことは、決して、この震災のことと無関係ではなく、むしろこのような時にこそ、確かな光として私たちを支えてくれる、そういう学びであるのだと信じます。そして、その具体例として、礼拝では、ヨブに目を留めたいのです。
昔、その地方随一の財産を持ち、家族にも恵まれ、何より、
「 1…潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた」
ヨブがいました。しかし、家畜も十人の子どもたちも相次いで失い、妻と二人きりになってしまいました。この苦難のどん底で、なお神を褒め称えたヨブでした。
ヨブが、これほどのひどい苦しみ、災害や不幸と呼べるような事態に会ったのは、ヨブに何か罪があったからでしょうか。そうではない、とこの一節は最初に宣言しています。しかし、ヨブの友人たちは違いました。ヨブが激しい言葉で嘆きを吐露したとき(三章)、友人たちは一人ずつ、ヨブを窘め出すのです[2]。
しかし、神様のなさることは、そのような単純なものではなかったのです。「良いことをしていれば厄は来ない、ひどい目に遭うのはそれなりの後ろめたいことがあるに違いない」というような思い込みでは当てはまりません。主は、ヨブがこんな試練に相応しいとんでもない奴だとか、苦しんでも気に留めないくらいどうでもいいと思われていたのではありません。むしろ、ヨブを、
「わたしのしもべヨブ…彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない…」[3]
と誇っていらっしゃるのです。
ともすると、天の場面のことは、ブラリと現れたサタンに主がうっかり声を掛け、サタンの挑発に載せられて、サタンの手にヨブを委ねたために、ヨブがとばっちりを食らってとんでもない厄に遭ってしまった、というような読み方に私たちは陥りやすいのです。しかし、主の偉大さを前提としている聖書は、そういう誤解は心外でしょう。
「 6ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、…」
とは、主が御使いたちを召し集めて会議されているときであり[4]、その会議の「決議事項」がヨブの苦難であったということは、最初からこの会議の「議題」はヨブのことだったのです。そこにサタンが発言を許され、ヨブの財産に手を掛けることを許されたことは、サタンの攻撃もすでに主の予定に織り込み済みだった、と言うことです。
しかし、そこに至る主とサタンとの会話からは、とても大切なことが見えてきます。
「 9…ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
11…彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
踏み込んで言えば、財産が守られ、幸せを保証されている限り主を恐れる、というような信仰は、サタンにとってお笑い種でしかない、ということです。そんなものは人間のエゴイズムでしかない。そんな信仰は信仰ではない。サタンも納得して、取るに足らずと一笑に付すような御利益信仰は、神様にとっても信仰ではない、とも言えます。だから、主はサタンの誤りを証明なさるためにも、ヨブの苦難を許されたのです。
勿論、私たちは弱い者です。どんな苦難が来ても、すべてを奪われても、平然として信仰を保てと言うのではありません。震災や津波で家も家族も奪われた人に、「そんなものより神様をひたすらに喜べ」などとは言いません。しかし、それでも、こういう災害に圧倒されながらも、私たちキリスト者は、「ああ、やはりこの世のものは過ぎ行くのだなあ。私たちの信仰は、この世にではなく、ただ主イエス・キリストのみに根差す信仰なのだなあ」とつくづく実感せざるを得ないのではないでしょうか。そして、聖書が教える信仰が、何かの御利益とか幸せとか、別の目的があってイエス様を信じる、というのではなく、イエス様との人格的な交わりであること、何がなくても神に栄光を帰し、神を喜ぶという信仰であることに立ち返らされるのではないでしょうか。
そのために試練がある、とまでは言いません。私たちには、天上で、主と御使いとサタンがどんな会話を交わしているか、知らないのです。しかし、実は、ヨブも、天上の会話を知ることはありません。三章以降、延々と、苦難の嘆きを訴えるのですが、最後に主がヨブに答えて、ヨブも訴えを止めるのは、主が裏事情を明かしてくださるから、ではないのです。結局、ヨブは主とサタンとの対話があったことさえ知らされません。ただ、ヨブは、主のみわざが自分ごときの思い及ばぬほど大きく、数えきれず、深いものである、ということを突きつけられて平伏すのです。人間としての自分の限界、分際というものを弁えさせられて、それで納得するのです。人間の小ささ、無力さ、その知識の浅さ、営みの儚さ、その計画の呆気なさ。しかしそれを、「世の無常」と儚んで終わるのが御心ではないのです。それは、あくまでも、神の御前にあっての被造物としての自覚です。無限、永遠、不変の主に生かされているに過ぎない、しかし、確かに生かされているこの私。その大きな御手の中にあるということなのです。
そして、主は、ヨブのためにも天上の会議を開き、サタンをも用いつつ制限されて、大胆かつ緻密なご計画を立てておられたように、私たち一人一人にも、ご計画をもっておられます。しかし、それは、決して地上での幸福を最終目的とした計画ではないことを忘れないようにしましょう。この地上という仮住まいでの祝福は、主の豊かな恵みを味わい知るためのお膳立てに他ならないのであって、いつかは失うものに過ぎません。主は、私たちに余りあるほどの祝福を下さっていますが、でもそれが私たちにとってどうしても必要なものだとは考えてはおられないのです。それらすべてを失っても、なおなくてならぬものは失われることがない、とお考えなのです。
ですから、起こりうる災いが起こったからといって、いちいち、なぜ自分が(あの人が)こんな目に遭うのか、と詮索することは無意味なのです。千年に一度の大地震であろうと、千年に一度は巻き込まれる時代があるのです。不条理な出来事に、無理矢理、道理を当てはめようとしても、矢張り無理があるのです。なぜこんなことが、と神様の御心を狭い了見で決めつけたり、神を非難したりすることも止めましょう。
ヨブ記においてさえ垣間見えるのですが[5]、ヨブを試みに会わせられた主ご自身が、決してヨブを一人放っておかれてはいませんでした。主は、人となってこの世においでになり、理不尽極まりない扱いを受けて、十字架に死なれました。全く潔白で正しいお方が、凄惨な最期を遂げられました。今でも、これを理由にキリストの生涯そのものを失敗と見なす人々がいます。しかし、私たちは逆に、イエス様の十字架から、不幸や悲惨が、その人に原因があるとか、神の天罰だと軽々しく決めつける、皮相な見方は決してしてはならないと教えられているのです。苦難は神の与り知らぬところでもなければ、神が賽子を振られたのでもなく、神の測り知れないご計画によることです。その目的が何だとは分かりませんが、しかし、それは私たちを愛して止まぬ神の、深い思慮があってのことなのです。
ヨブの友人たちは、このことを弁えずにヨブを諭そうとします[6]。これが実は、ヨブにとって最大の試練となります。財産や子どもたちを失ったに匹敵するのが、生きている友人たちに責め立てられる辛さです。私たちはこのようなことをしてはなりません。却って、苦難そのものの意味は分からなくても、どんなときでも愛し合い、泣く者と共に泣き、出来る形で仕えること、支えること、とりなして祈ることは、変わらない神の御心なのです。
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」[7]
と告白しつつ、ともに歩むことです。そのように「明らかにされた御心」を私たちが辿っていくことによって、どんな艱難もまた、天の御国に続く小道となるでしょう。
「大いなる主よ。あなた様の御業は私たちには計りがたいのですが、分からないからこそ信頼し、委ねさせてください。悪の力が私共を、何とかして疑いや絶望を植え付けようと働きます。吠え猛る獅子のごときサタンの力に欺かれることなく、かえってますます主を信頼し、御国を仰ぎ、歌いゆかせてください。私共がこの地上の仮暮らしでお預かりしているもの、やがては失うものを、あなた様の恵みの御心のために使わせてくださり、今この国の置かれている状況にも、御栄えを現してください。主の御名により」
[1] 清水武夫『私たちに現された神の御心』(いのちのことば社、2009年)。現在の小会の学びのテキストです。
[2] 決してヨブの友人たちは、冷たく、ガチガチ頭だったわけではありません。二章の後半で、ヨブを慰めに来た三人の友人は、ヨブの苦しみを見て、言葉を失い、七日七晩、灰の中に黙ったまま座っていた、とあります。深い同情をして、惜しみなく傍らに立とうとした、得難い友人たちでした。しかし、その友情の底にも、「こんなひどい苦しみに遭ったからには、ヨブに何か罪があったのではないか」という疑いが芽を出し、膨らんでしまっていた、ということでしょう。愛情や人情に厚いだけではなく、聖書から正しい神理解を得ていくことがどんなに必要かを例証しています。
[3] 一8。また、二3。
[4] これと似た、主と御使いたちとの「会議」は、Ⅰ列王記二二19-22にも見ることが出来ます。
[5] 十九25「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」
[6] それは、ヨブの生き方だけでなく、主との関係をも因果応報のような低俗なものとさせる誘惑でもありました。
[7] 節。これは、厳密には、主が取られたのではなく、サタンが取ったのですが、ヨブはそれを知りません。しかし、この点をヨブが知ることは最後までありませんし、だからこそ、本質的な問題ではないと言えます。
2011年3月13日 ヨハネ18章12-14節「神の言葉は繋がれない」
最後の晩餐の、長い説教と祈りが終わって、今日の十八章から、いよいよイエス様の逮捕と裁判、そして、十字架に至る歩みが伝えられていきます。お気づきになった方もいるでしょうが、他の福音書と比べて、ヨハネの書き方はここでも独特です。まず、ゲッセマネの園での祈りがありません。あの、汗を血のように滴らせて祈られた祈りを、ヨハネは省いてしまいます。
けれども、この理由は明らかです。今まで見て参りました最後の晩餐の説教において、イエス様はご自身の十字架を、苦難や恐れとしてではなく、栄光の時、勝利の時と見ておられるのです。勿論、ゲッセマネの祈りのような凄まじい緊張、戦いという事実はあります。しかし、そのような煩悶の根底には、そうやって救いの御業を果たし、愛である父の御心を全うするのだ、という喜びや確信を抱いておられたのです。ヨハネは、そちらの勝利の面を、ずっとここまで強調してきたのです。そして、このイエス様の主権的な面は、今日の箇所全体にも通底しています。
第一に、イエス様が園に来たのに続いて、裏切り者のユダも敵の一団を率いてやってきます。
「 2ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。
3そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。」
ユダは晩餐の席を中座して、敵のところに行ってから、一旦は、最後の晩餐の家に戻ってきたのでしょう[1]。そこからエルサレム郊外の園にまで来ることが出来たのは、ユダがこの場所を知っていたからです。しかしこの書き方は、ユダがこの場所を知っていることを承知の上で、イエス様がわざわざこの園を選ばれた。もっと言えば、イエス様がユダをここに誘い込まれて、迎えられたかのような書き方なのです。
また、ユダが一隊の兵士(ローマ兵たち)を率いて来たとあるのも、実はヨハネの福音書だけなのです[2]。この中隊は六百人から千人という大軍勢でした[3]。それだけの屈強な兵士たちがここに来たのです。これに立ち向かうイエス様は、弟子達合わせても十二人です。多勢に無勢、孤軍奮闘どころではありません。しかし、
「 4イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか」と彼らに言われた。」
逃げも隠れもせず、敵の前に堂々と姿を現されるのです[4]。そして、だれを捜すのかとお尋ねになる[5]。
「 5彼らは、「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「それはわたしです」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らといっしょに立っていた。
6イエスが彼らに、「それはわたしです」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。」
この箇所は不思議です。何が起こったのだろうか、と思います。思い出して戴きたいのは、このイエス様の言葉が、ここまでヨハネの福音書で大切なキーワードであった事実です。嵐のガリラヤ湖で波に揉まれていた弟子達の小舟に、湖上を歩いて来られて、
「わたしだ。恐れることはない」[6]
と言われたのは、同じ言葉です。エゴー・エイミーとの、力強い言葉です。更にこの言葉は先に読みました出エジプト記三14で、主がご自身を名乗られて、
「わたしは、『わたしはある』という者である」
と仰った、神である主の比類のないご人格を示すお名前でもあります。しかし、この言葉を聞いて、捉えに来た人々が地に倒れ伏したのは、神様の恭しいお名前を発したことに恐れをなして、ということではありません。なぜならここに来たのは、殆どがローマの兵士だとされているからです。異邦人である彼らは、エルサレム神殿の至聖所に入ることだって厭いません。その彼らがここで地に倒れた事実を説明できる理由はありません。また、ヨハネもわざわざ三度、イエス様が、
「それはわたしです」(エゴー・エイミー)
と仰ったことを重ねて記すことによって、この出来事がイエス様の神としての宣言と結びついて読まれるようにしています。つまり、これは、イエス様がご自身の神としての御力を現された、奇跡的な出来事なのです。
「主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。」[7]
その雷鳴のごとき声は、六百人とも千人とも数えられる軍隊をも薙ぎ倒すほどの力があったのです。イエス様の逮捕や十字架は敗北でも不本意でもなく、イエス様が自ら死へと赴かれる勝利の道でした。また、ここで敵たちが手に手に持っていたのが、
「ともしびとたいまつと武器」
だったと記すのもヨハネだけです。武器はともかく、灯火と松明とわざわざ記すのは何故でしょう。これは、イエス様を、いのちの光、人の光、と呼んできたことと繋がるでしょう[8]。そして、イエス様に従わぬ生き方が、夜、闇、と呼ばれてきたのです。ユダたちが夜の闇の中、イエス様を捕らえに来たことは、彼らの心の闇を象徴しています。そこで彼らが、灯火や松明を手に持ち、何千という炎をかざしてイエス様を照り巡らしたところで、イエス様の力には叶わないのです。一溜りもなく地に倒されてしまうのです。しかし、イエス様はその力でご自分を救おうとはなさいませんでした。
「 8イエスは答えられた。「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」」
ご自身は捕まり、弟子達は逃がさせるのです。それも闇に乗じてこっそり、とか、この権威の力で堂々と逃がす、というのではなく、兵士たちに去らすようお命じになるのです。この事を注釈して、
「 9それは、「あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした」とイエスが言われたことばが実現するためであった。」
とヨハネは言います。イエス様が六39や十七12で仰っていた言葉です[9]。父が選ばれた者はひとりも失わない。そのために、イエス様は十字架へと進み行かれます。数え切れない程の兵士をも打ち倒した御力は、私たちを確実に救い、決して滅びないよう守られる力でもある。そのことへの信頼を新たにされるのです。
しかし、その御力を信頼することなく、弟子達は剣を振り回します。
「10シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
11そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
主の弟子の戦いは、剣を振り回して得られる戦いではありません。主が与えてくださる杯を飲む戦いです。剣や武力や、お金や影響力、などということでは到底勝てっこないのです。右耳を切り落として、かえってビクビクするのが落ちです。いや、お金の力で躓いたのがユダだったのではありませんか。教会は、主の力を信頼することなく、この世での勢いや金銭や目に見えるところで勝とうとしてはならない。負けそうだとイジけてもならない。顔を上げて、主の勝利を確信して、堂々とイエス様の後に従わなければならないのです。
さて、この剣で敵に斬りつけたエピソードも、切ったのがシモン・ペテロで、切られたのがマルコスだと名指しになるのもヨハネだけなのです。ペテロはこの後、イエス様を認めず、最後に回復していく上での大切な伏線であるからでしょう。しかし、マルコスと呼ぶのはどうしてなのでしょうか[10]。ひょっとすると、ヨハネの読者にとって、このマルコスの名がよく知られていたからではないでしょうか。他の福音書の時代にはそうではなくとも、もっと時代が下って、大祭司のしもべで、イエス様を逮捕する先頭に立ち、シモンに耳を切られたマルコスも、イエス様を信じるようになっていた、ということではないのでしょうか。
そんな人物がすぐさま信じたとは言いませんが、神様は信じる筈がないような人の心にも色々な形で迫ってくださって、傷を癒し、いいえ傷を通して働き、心を開いてくださる事例は、枚挙に遑が無いほどあるのです。それは決して剣の力では出来なかったでしょう。神様が、御霊によって、長い時間を掛けて、様々に人の心に働きかけてくださる。その御力を信じて、私たちも主の後に従って、顔を上げて歩んでいくのです。
「私共の心を開いてくださって、御手の内にお守りくださっている幸いを感謝します。そして、恐れに満ちた手を開かせてくださって、武器を捨て、頑なさを手放させてくださることを感謝します。恐れのなかに失われることのないように、どうぞ平安を与えてください。そして、私共の平安と確信が、見えない力となって、光となりますように」
[1] ヨハネは記しませんが、ゲッセマネの祈りの三時間、妨げられることなく祈ることが出来たのは、ユダたちがそれまで最後の晩餐の家に行ったり、目ぼしい場所を探しあぐねていたからだと考えられます。
[2] マタイ、マルコ、ルカは、剣や棒を持った「群衆」と記すだけです。
[3] マタイは、イエス様が「それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。」と仰ったことを記します(二六53)。新改訳聖書の欄外は、この軍団は六千人編成だったと注していますが、十二軍団であれば七万二千人ということになります。
[4] ライルが次のようなことを述べています。王として担がれようとしたときは隠れたイエス様は(ヨハネ六章)、捕まろうとする時には出て来られました。エデンの園で最初のアダムは罪を犯した身を隠しましたが、ゲッセマネの園で第二のアダム(イエス)は敵に会い罪の贖いを成し遂げるために姿を現されました。
[5] これは、一38でイエス様が最初の弟子達に「何を求めているのですか」と問われたのと似ています。「求めている」と「捜す」とはともにゼーテイテという原語です。
[6] 六20。
[7] 詩篇二九4。
[8] 一4-5「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」など。
[9] このイエス様の言葉を、ヨハネが旧約聖書の引用と等しい根拠ある言葉として引用していることにも注意。
[10] 多くの注解者は、すでにペテロもマルコスも亡き後だったから、差し障りがなかった、という理由を述べています。しかし、聖書の名指し、あるいはその逆の匿名、には、大切な意味、牧会的配慮がある、と私は考えています。
2011年2月27日 ヨハネ18章1-11節「イエスはすべてのことを知っておられたので」
最後の晩餐の、長い説教と祈りが終わって、今日の十八章から、いよいよイエス様の逮捕と裁判、そして、十字架に至る歩みが伝えられていきます。お気づきになった方もいるでしょうが、他の福音書と比べて、ヨハネの書き方はここでも独特です。まず、ゲッセマネの園での祈りがありません。あの、汗を血のように滴らせて祈られた祈りを、ヨハネは省いてしまいます。
けれども、この理由は明らかです。今まで見て参りました最後の晩餐の説教において、イエス様はご自身の十字架を、苦難や恐れとしてではなく、栄光の時、勝利の時と見ておられるのです。勿論、ゲッセマネの祈りのような凄まじい緊張、戦いという事実はあります。しかし、そのような煩悶の根底には、そうやって救いの御業を果たし、愛である父の御心を全うするのだ、という喜びや確信を抱いておられたのです。ヨハネは、そちらの勝利の面を、ずっとここまで強調してきたのです。そして、このイエス様の主権的な面は、今日の箇所全体にも通底しています。
第一に、イエス様が園に来たのに続いて、裏切り者のユダも敵の一団を率いてやってきます。
「 2ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。
3そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。」
ユダは晩餐の席を中座して、敵のところに行ってから、一旦は、最後の晩餐の家に戻ってきたのでしょう[1]。そこからエルサレム郊外の園にまで来ることが出来たのは、ユダがこの場所を知っていたからです。しかしこの書き方は、ユダがこの場所を知っていることを承知の上で、イエス様がわざわざこの園を選ばれた。もっと言えば、イエス様がユダをここに誘い込まれて、迎えられたかのような書き方なのです。
また、ユダが一隊の兵士(ローマ兵たち)を率いて来たとあるのも、実はヨハネの福音書だけなのです[2]。この中隊は六百人から千人という大軍勢でした[3]。それだけの屈強な兵士たちがここに来たのです。これに立ち向かうイエス様は、弟子達合わせても十二人です。多勢に無勢、孤軍奮闘どころではありません。しかし、
「 4イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか」と彼らに言われた。」
逃げも隠れもせず、敵の前に堂々と姿を現されるのです[4]。そして、だれを捜すのかとお尋ねになる[5]。
「 5彼らは、「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「それはわたしです」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らといっしょに立っていた。
6イエスが彼らに、「それはわたしです」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。」
この箇所は不思議です。何が起こったのだろうか、と思います。思い出して戴きたいのは、このイエス様の言葉が、ここまでヨハネの福音書で大切なキーワードであった事実です。嵐のガリラヤ湖で波に揉まれていた弟子達の小舟に、湖上を歩いて来られて、
「わたしだ。恐れることはない」[6]
と言われたのは、同じ言葉です。エゴー・エイミーとの、力強い言葉です。更にこの言葉は先に読みました出エジプト記三14で、主がご自身を名乗られて、
「わたしは、『わたしはある』という者である」
と仰った、神である主の比類のないご人格を示すお名前でもあります。しかし、この言葉を聞いて、捉えに来た人々が地に倒れ伏したのは、神様の恭しいお名前を発したことに恐れをなして、ということではありません。なぜならここに来たのは、殆どがローマの兵士だとされているからです。異邦人である彼らは、エルサレム神殿の至聖所に入ることだって厭いません。その彼らがここで地に倒れた事実を説明できる理由はありません。また、ヨハネもわざわざ三度、イエス様が、
「それはわたしです」(エゴー・エイミー)
と仰ったことを重ねて記すことによって、この出来事がイエス様の神としての宣言と結びついて読まれるようにしています。つまり、これは、イエス様がご自身の神としての御力を現された、奇跡的な出来事なのです。
「主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。」[7]
その雷鳴のごとき声は、六百人とも千人とも数えられる軍隊をも薙ぎ倒すほどの力があったのです。イエス様の逮捕や十字架は敗北でも不本意でもなく、イエス様が自ら死へと赴かれる勝利の道でした。また、ここで敵たちが手に手に持っていたのが、
「ともしびとたいまつと武器」
だったと記すのもヨハネだけです。武器はともかく、灯火と松明とわざわざ記すのは何故でしょう。これは、イエス様を、いのちの光、人の光、と呼んできたことと繋がるでしょう[8]。そして、イエス様に従わぬ生き方が、夜、闇、と呼ばれてきたのです。ユダたちが夜の闇の中、イエス様を捕らえに来たことは、彼らの心の闇を象徴しています。そこで彼らが、灯火や松明を手に持ち、何千という炎をかざしてイエス様を照り巡らしたところで、イエス様の力には叶わないのです。一溜りもなく地に倒されてしまうのです。しかし、イエス様はその力でご自分を救おうとはなさいませんでした。
「 8イエスは答えられた。「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」」
ご自身は捕まり、弟子達は逃がさせるのです。それも闇に乗じてこっそり、とか、この権威の力で堂々と逃がす、というのではなく、兵士たちに去らすようお命じになるのです。この事を注釈して、
「 9それは、「あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした」とイエスが言われたことばが実現するためであった。」
とヨハネは言います。イエス様が六39や十七12で仰っていた言葉です[9]。父が選ばれた者はひとりも失わない。そのために、イエス様は十字架へと進み行かれます。数え切れない程の兵士をも打ち倒した御力は、私たちを確実に救い、決して滅びないよう守られる力でもある。そのことへの信頼を新たにされるのです。
しかし、その御力を信頼することなく、弟子達は剣を振り回します。
「10シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
11そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
主の弟子の戦いは、剣を振り回して得られる戦いではありません。主が与えてくださる杯を飲む戦いです。剣や武力や、お金や影響力、などということでは到底勝てっこないのです。右耳を切り落として、かえってビクビクするのが落ちです。いや、お金の力で躓いたのがユダだったのではありませんか。教会は、主の力を信頼することなく、この世での勢いや金銭や目に見えるところで勝とうとしてはならない。負けそうだとイジけてもならない。顔を上げて、主の勝利を確信して、堂々とイエス様の後に従わなければならないのです。
さて、この剣で敵に斬りつけたエピソードも、切ったのがシモン・ペテロで、切られたのがマルコスだと名指しになるのもヨハネだけなのです。ペテロはこの後、イエス様を認めず、最後に回復していく上での大切な伏線であるからでしょう。しかし、マルコスと呼ぶのはどうしてなのでしょうか[10]。ひょっとすると、ヨハネの読者にとって、このマルコスの名がよく知られていたからではないでしょうか。他の福音書の時代にはそうではなくとも、もっと時代が下って、大祭司のしもべで、イエス様を逮捕する先頭に立ち、シモンに耳を切られたマルコスも、イエス様を信じるようになっていた、ということではないのでしょうか。
そんな人物がすぐさま信じたとは言いませんが、神様は信じる筈がないような人の心にも色々な形で迫ってくださって、傷を癒し、いいえ傷を通して働き、心を開いてくださる事例は、枚挙に遑が無いほどあるのです。それは決して剣の力では出来なかったでしょう。神様が、御霊によって、長い時間を掛けて、様々に人の心に働きかけてくださる。その御力を信じて、私たちも主の後に従って、顔を上げて歩んでいくのです。
「私共の心を開いてくださって、御手の内にお守りくださっている幸いを感謝します。そして、恐れに満ちた手を開かせてくださって、武器を捨て、頑なさを手放させてくださることを感謝します。恐れのなかに失われることのないように、どうぞ平安を与えてください。そして、私共の平安と確信が、見えない力となって、光となりますように」
[1] ヨハネは記しませんが、ゲッセマネの祈りの三時間、妨げられることなく祈ることが出来たのは、ユダたちがそれまで最後の晩餐の家に行ったり、目ぼしい場所を探しあぐねていたからだと考えられます。
[2] マタイ、マルコ、ルカは、剣や棒を持った「群衆」と記すだけです。
[3] マタイは、イエス様が「それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。」と仰ったことを記します(二六53)。新改訳聖書の欄外は、この軍団は六千人編成だったと注していますが、十二軍団であれば七万二千人ということになります。
[4] ライルが次のようなことを述べています。王として担がれようとしたときは隠れたイエス様は(ヨハネ六章)、捕まろうとする時には出て来られました。エデンの園で最初のアダムは罪を犯した身を隠しましたが、ゲッセマネの園で第二のアダム(イエス)は敵に会い罪の贖いを成し遂げるために姿を現されました。
[5] これは、一38でイエス様が最初の弟子達に「何を求めているのですか」と問われたのと似ています。「求めている」と「捜す」とはともにゼーテイテという原語です。
[6] 六20。
[7] 詩篇二九4。
[8] 一4-5「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」など。
[9] このイエス様の言葉を、ヨハネが旧約聖書の引用と等しい根拠ある言葉として引用していることにも注意。
[10] 多くの注解者は、すでにペテロもマルコスも亡き後だったから、差し障りがなかった、という理由を述べています。しかし、聖書の名指し、あるいはその逆の匿名、には、大切な意味、牧会的配慮がある、と私は考えています。
2011年2月6日 レビ記26章「契約を決して捨てない主」
レビ記もあと一章となりました。こういう最後の段階で、今日のような長い章が置かれている、ということは、レビ記が何を言いたいかを理解する上で、とても大切なこと、立ち止まって改めて考えるだけの価値のあることだと言えます。
一度読んで気づかれた方も多いでしょうが、この章は、1節2節が要となる命令で、3節から13節が、主に対して従順であった場合の祝福。14節から45節までが、主の戒めに聞き従わなかった場合の懲らしめの道を示していく内容となっています。そして、一読して分かるとおり、圧倒的に、不従順であった場合の厳しい報いについての叙述が長く、詳しいのです。その中に、
「18もし、これらのことの後でも、あなたがたがわたしに聞かないなら、わたしはさらに、あなたがたの罪に対して七倍も重く懲らしめる」
という言い回しが、四回出て参りました[1]。五段階にも渡って罰せられながら、なお悔い改めることをせず、主に反抗して、勝手な生き方をし、遂には、
「33わたしはあなたがたを国々の間に散らし、剣を抜いてあなたがたのあとを追おう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟となる。」
イスラエルの国から追い出され、外国に移されて住まわせられることになる。そのような民の頑なな姿です。そして、祝福についてよりも呪いの方が、圧倒的な分量と詳しさで描かれている、という事自体、民の信仰よりも、その頑なさ、民の心の罪深さこそが大前提となっているからでしょう。
実は、ここまでのレビ記が、一章からずっと、民の心にある汚れ、神様に逆らい、自分の罪を隠して手放そうとしない罪の現実を明らかにしていました。エジプトの奴隷生活からは救い出されたものの、自分たちの心が罪に縛られている。神様の祝福を戴いていながら、その恵みさえも悪用して、傲慢になって平然としている姿が浮き彫りにされてきました。そういうレビ記の流れを締めくくろうとしているこの二六章で、民の未来予想図が、祝福よりも呪いの道への展望を示して紡ぎ出されていくのです。
神様は、民のために、祝福を用意されています。3節から13節に描かれていく祝福は、豊作や平和、子宝、何よりも主との親しい交わりという豊かな恵みで満ちています。
「12わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。
13わたしはあなたがたを、奴隷の身分から救い出すためにエジプトの地から連れ出したあなたがたの神、主である。わたしはあなたがたのくびきの横木を打ち砕き、あなたがたをまっすぐに立たせて歩かせた。」
とあるのは、創世記から繰り返されている主の契約の言葉を踏まえているものです。主が私たち人間との契約を立てて、ご自身の民とし、私たちの神となってくださるということは、民を豊かな恵みで祝福しようとの惜しみない愛の御心に基づいています。12節は、エデンの園で、主がアダムやエバと親しく歩いておられた時代をさえ懐かしませる言葉です[2]。それは本当に豊かな祝福でした。決して神様は、ただ恐ろしく、ビクビクすべき方などではありません。けれども、そんな主に対して軽々しく逆らい、滅びを招いてしまう人間の愚かさがここに暴かれているのです。
また、先の二四章二五章では、年間のお祭り行事や、七年ごとの「安息の年」、五〇年ごとの「ヨベルの年」といった規定のことが述べられていました。時間の中で、神様が贖いの恵みを民のうちに育んでくださる、という御心を教えられました。歴史の中、時間をかけて神様の贖いのご計画が完成していく、という希望に慰められました。けれども、この二六章が示すのは、同じ時間、歴史の中で、どんどん主から離れ、御心に背いていく人間の姿です。主の贖いのご計画があることも事実ですが、民は民で、すぐにも浮き草のように迷い出て行くものである、ということも事実なのです[3]。
確かにここに描き出されていく呪いの光景はおぞましい。残酷で、容赦のない呪いです。しかし、それほどの呪いをもってしてでも、主は民に、厳しくも粘り強く、悔い改めへと招かれているという事実に目を留めたいと思います。こんなに軽薄だから、恩を仇で返す民だから、いっそ愛想を尽かして滅ぼしてしまってもいいだろうに、しかし主は、七倍、七倍、としつつもなお悔い改めへと導こうとなさるのです。そして、最終的に外国の地に移されたその場で、
「40彼らは、わたしに不実なことを行ない、わたしに反抗して歩んだ自分たちの咎と先祖たちの咎を告白するが、
41しかし、わたしが彼らに反抗して歩み、彼らを敵の国へ送り込んだのである。そのとき、彼らの無割礼の心はへりくだり、彼らの咎の償いをしよう。」
と悔い改めが約束されています。そして、
「43それにもかかわらず、彼らがその敵の国にいるときに、わたしは彼らを退けず、忌みきらって彼らを絶ち滅ぼさず、彼らとのわたしの契約を破ることはない。わたしは彼らの神、主である。」
と和解が確約されているのです。
このレビ記二六章は、レビ記としては珍しいことに、儀式についての規定というものが一切ありません。聖所や安息日という言葉はありますが、それについての細々とした規定はありません。むしろ、最終的に外国に散らされてしまう時には、
「31わたしはあなたがたの町々を廃墟とし、あなたがたの聖所を荒れ果てさせる。わたしはあなたがたのなだめのかおりもかがないであろう。」
と告げられる通りになるのです。もう生け贄を捧げることも、儀式を守ることも、祭司やレビ人が仕えることも出来ない状態です。しかし、そんなどん底において、
「彼らの無割礼の心はへりくだり」
と言われるのです。聖所も荒れ果て、遠くの国に帰郷の望みも失せてしまう、そのような中で、民は初めて悔い改める。自分の罪を認めて告白する。そして、主がその、悔いた、砕かれた心を受け入れてくださる。その上、故郷に帰ってくるとは(少なくともここでは)言われません[4]。大事なのはイスラエルの地でもない、割礼でも聖所という場所でもない、主ご自身なのです。ですから、レビ記の最後に、このような追放の末の回復が示されることは、「皮肉にも」というよりも、むしろ、最初から儀式や生け贄はあくまでも手段だと考えられているのです。民が主に対して聖となり、心を隠すことなく主に向けさえすれば、生け贄などは不要でした。けれども民の心に染みついた罪があるために、主は民のために儀式という(不完全な)手段を設けてくださったのです。
さて、今、イエス様がおいでになって、まことの生け贄としてご自身を捧げてくださり、贖いのみわざを果たしてくださって以来、新約の教会である私たちは、手段としての儀式からは解放されています。儀式には民の心を変える力はありませんでしたが、イエス様は私たちの心をきよくすることがお出来になるのです[5]。けれどもそれは、私たちが、罪があり頑なな心のままでも呪いや懲らしめを受けることがない、という意味ではありません。そうではなく、イエス様が生け贄や儀式には出来なかった、私たちの心の傲慢を、自分の力や正しさを頼もうとする心を、聖霊によって確かに打ち砕いてくださるという、まことの大祭司としてのお働きをなしてくださる、ということです。
レビ記二六章は、私たちが本当に悔い改めなければ、隠れた所で神様を捨てて、どうしようもなくなる救われがたい者であるという事実を教えていますが、イエス様は聖霊により、私たちにこの事実を心から認められるようにしてくださいます。恵みによらなければ呪われて滅びるしかなかった。29節にあるように、我が子をさえ食い物にして自分を守ろうとするような鬼畜と成り果てるような自分なのだ-そう認めさせてくださって、主に結びつけてくださる。それが、イエス様にある救いです。レビ記のメッセージを、レビ記の限界を超えて、私たちの人生に確りと適用してくださるのです。
罰せられても罰せられても、なお頑なに歩むような人間をも主は見捨てることなく、与えてくださった契約を決して破棄なさらない主の御真実に私たちは守られています。だからといって、安穏としてしまえば、失う代償は余りにも多くなる、ということもまた、ここから教えられます。それでもやはり、私たちが様々な失敗や挫折を経て、喪失や痛みを通らされながら、でなければ、神様に心を許さなくなってしまい、贖いの実質を失ってしまう、という事も事実なのです。人生の出来事の一つ一つを益として、私たちに働きかけ、最後には必ず安息を用意していてくださる主の測り知れない御心と導きがあります。その主の慈しみを思いつつ、今月のパンと杯を戴きましょう。
「私共の受けるべき呪いを主イエス様がすべて引き受けてくださったと信じさせていただける幸いを、本当に感謝します。そればかりか、呪わしい傲慢な心そのものをきよめ、あなた様の憐れみに縋らせていただける祝福を、感謝いたします。恵みによって今ここにある喜びを噛みしめて謙り、頑なさを捨て、主と隣人に心から仕えさせてください」
[1] 二六18、21、23-24、27-28。七という数字は、聖書では「完全数」と呼ばれて、神様がなさる完全さを象徴します。ですから、文字通り量的に七倍、ということではなく、神様の確かで完全な御心によって、更に重く厳しく打たれる、ということです。けれども、それでも懲りずに主に逆らい続けるのです。
[2] 「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた」(創世記三8)。また、Ⅱコリント六16では、「神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」」と本節が引用されて、新約の民の指針とされています。
[3] 二六章と二五章との結びつきは、1節に「ついで主はモーセに仰せられた」という定型句がないこと、二六5が二五18を、二六10が二五21-22を踏まえていること、二六34以下の「地は安息を取り戻す」「安息の年」と言った表現が二五章の「安息の年」を前提としていること、などからも明らかです。
[4] 申命記の二八-三〇章も、このレビ記二六章と似た、祝福と呪いとの並置をしますが、そちらの三〇章では、「私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主はあなたの繁栄を元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを厚め、そこからあなたを連れ戻す。」とあります(1-4節)。また、エレミヤ書などにも帰還は預言されていますし、実際にそれが成就したのは、エズラ記、ネヘミヤ記などが伝えるとおりです。しかし、このレビ記二六章の、「帰還なしの回復」の記述は、最終的な回復が地理的な帰還を本質、もしくは必須条件とするものではないことを教えている点で注目に値します。これは、今日のイスラエル共和国の建国が、聖書の成就だとして、パレスチナ問題などを一蹴しようとする傾向が根強くある事実を批判的に見る上でも大切な事実です。
2011年1月16日 ヨハネ17章9-16節「御名への守りを祈られている」
十字架前夜のイエス様の「大祭司の祈り」が、8節までは、イエス様ご自身と御父との関係を祈っていました。この9節から19節までは、今イエス様と一緒にいて、この祈りを聞いている弟子たちのための願いになっています。
「 9わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。」
イエス様が、世のため(つまり、神様に背を向けて歩んでいる世界のため)ではなく、弟子達のために祈る、というのが、この部分です。そして、20節以下では、それが、この時点での弟子達だけでなく、弟子達の働きを通して、これから救われていく人々へと拡大されていきます。
では、その人達のために、何を祈られたのか、という事は私たち自身も含めていただいている訳ですから、私たちはよくよくこの部分を考えてみなければなりません。イエス様が私たちのために、どんなことを祈られたのだろうか。それは当然、私たち自身が何を祈り願えばいいのか、ということの軸・方向性・手がかりになる筈です。そう考えますと、イエス様がここで祈られていることは、おおよそ私たちが考えがちなこととは違うなあ、逆に言えば、イエス様の目には、私たちが何と「明後日を向いた」祈りや生き方をしているのかと思われているのだろうか、と考えさせられるのです。
お願いしますと言っておきながら、イエス様の願いが出てくるのは11節です。
「11わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」
御名の中に保ってください、という願いです。それも、父の御名の中に保つ、と言われます。これは、今までにも見てきましたように、イエス様が地上においてなさった御業は、御名を弟子達に明らかにする、ということで、御名(つまり、神様のご人格や御業を含めた、神様ご自身)を知ることが、イエス様への信仰を産み出し、人格的に結びつくのです。その絆こそが「永遠のいのち」そのものであって、そのいのちの結びつきを弟子達に与えることこそが、イエス様が地上において成し遂げられた使命であり、イエス様の栄光でもあったのです。イエス様は、今、十字架のみわざを成し遂げて、天に昇られるに当たって、その御業を父が、続けて支えて、弟子達を御名のうちに守ってくださるようにと祈っています。
「12わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。」
イエス様は、これまでの生活の中で、弟子達に御名を明らかにしただけでなく、御名の中に保ち、守った、と言われます[1]。私たちも祈る時に「守ってください」と言うことがよくあります。その場合、神様が見えない手によって、禍から守る、心を守る、というものではないでしょうか。「御加護」とでもいう守りです。けれども、ここでイエス様が、御名の中に保ってくださいとか、ご自分が御名の中に弟子達を保った、という場合は、(見えない守りという以上に)御名を明らかにするという原点と無関係ではないはずで、具体的な教え、聖書の言葉、そして、礼拝の説教と無関係ではないはずです。そして、御言葉の教えを教えられることによって、弟子達は、神様がどのようなお方であるかを思い起こし、深められ、イエス様への信仰において成長していくのです。
こうして分かるのは、イエス様が私たちのために祈られたのは、私たちが何かが出来るように、とか、何かをしておくように、というような事ではなかった、という事実です。成果を上げるとか、力や賞賛を得るとかいったことではなく、御父の御名の中に留まる、ということなのです。
これは、今まで見てきました、十三章以来の「告別説教」でも確認させられてきたことです。例えば十五4では、
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」
と言われていました。また、愛し合いなさいとか信じなさい、と言われていたのも、何かをする、ということではなく、主の愛の中に留まることの結果に他なりません。
私たちはつい、自分たちが行動することが条件とか資格のように考えがちです。何も出来ないと自分が駄目だと思ったり、何もしていないことは無駄や無価値だと見下してしまったりするものです。神様でさえ、私たちに行動を期待していると思い込んでいる節があります。しかし、ここでイエス様は、
「彼らはあなたのものだからです。
10わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。…」
と、弟子達がご自分のものであることを断言しています。
「わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのもの」
という表現には、私たちはどうも身勝手な印象を持ってしまいますが、神であるイエス様と御父との間には、そんな独善的な関係はありません。永遠の愛の絆、分かち合い-惜しみなく、また掛け替えなく、すべてのものを共有しておられる中で、私たちのことを、ご自身のもの-あなたとわたしのもの-と喜んで、誇らしげに呼んでくださっている。その確かさの中で、弟子達を守り、また、弟子達が信仰からはみ出ることのないようにと願っていらっしゃるのです。イエス様がみもとに行かれるのも、
「13…彼らの中でわたしの喜びが全うされるため…」
だと言われるのです。
同時にこの願いは、私たちが如何に主の御名から離れやすいものであるか、をも考えさせられます。主の守りがなければ、私たちの力だけでは、この主との親しい絆から飛び出して、カサカサに渇ききった、虚栄の世界に振り回されてしまうのです。
「14しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。」
神様に背を向けた世の反発に、何とかして、イエス様から引き離そうとする誘いかけに、もし主の守りがなければ一溜りもない私たちです。
「15彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」
悪い者、つまり、悪魔が攻撃をしかけて来るのです。色々な形で、私たちを主の愛から引き離そうとする力があることを私たちは知っています。
これは、極めて具体的な話です。教会の交わりや礼拝だけで綺麗事の教理として聴かれて終わる話ではなく、ここから遣わされていくそれぞれの現場で、信仰から引き離され、イエス様ならざるものを信じさせようとする誘惑がある。そのような中で、このイエス様の祈りを、その祈りを聴いておられる御父を、私たちはどう信じるのでしょうか。イエス様の15節の祈りは逆にして、
「彼らを悪い者から守ってくださるようにというのではなく、この世から取り去ってくださるように」
と祈られた方がよかったんじゃないでしょうか。
けれどもイエス様は、そうは祈られませんでした。
「16わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」
私たちは、この世に遣わされて、この世にいますが、この世に属してはいないのです。イエス様と同じように、と言われるように、この世に属していないというだけでなく、イエス様と御父のものなのです。この世にあるから危険、御国に行けば大丈夫、ということではない。この世にあって、誘惑に晒され、実際に躓くこともあるとしても、イエス様の祈りの中に、神の確かな恵みの御心の中に、御国にあるかのごとくに守られているのです[2]。世から取り去った方がいいんじゃないかとは思われなかった、この世にあって、悪い者の誘惑に圧倒されるような中でも、測り知れない主の守りの中で歩む私たちである方がよいのだ、と主は思われたのです。これは本当に恐れ多いことです。
今私たちが、この世界で、イエス様を信じるのと全く相容れない環境の中で、流されそうになりながら生きていることにも、主の深いご計画と積極的な御心があるのです。私たちが、悔い改めを重ねながら、主の御名によって生かされていることは、主の栄光が現されるためです。
「今日も、こうして私共が御言葉を聴かせていただくことにより、御名の内に守ってくださるあなた様の御業が果たされて、ここからそれぞれの場へと遣わされていく幸いを感謝します。小さな灯火ですが、あなた様の光として立てられた御心を仰いで、歩み続けさせてください。主の御名への信頼をもって、主の足跡について歩ませてください」
[1] 「保つ」と「守る」は似ていますが、「保つ」には、対象が自分から逸脱しないこと、「守る」には、対象を逸脱させようとする外からの働きかけから守る、というニュアンスの違いがあります。
[2] ルカには、この同じ夜の、イエス様と一番弟子のペテロとのやりとりを記しています。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
2011年1月9日 ヨハネ17章6-8節「みことばを守弟子たち」
いよいよ、イエス様は捕らえられて裁判にかけられ、十字架に架けられる、長い長い苦難の一日を迎えようとしている夜。晩餐の席で、弟子たちに対して告別の説教をお語りになり、その最後に祈られたイエス様ご自身の祈りがヨハネ十七章です。その冒頭で、
「 1あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください」
と祈られて、
「 4あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました」
と言われていました。今日の箇所では、その果たされたみわざがどのようなものであったかをまとめてもう少し詳しく確認しています。その第一は、
「 6わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。」
という、「啓示」のみわざです。
「御名を明らかにする」とありますが、誓書で言う「名」とはただの「呼び名」ではなく、その人の人格、その為人、その人そのものを指します。ですから、神様の御名を明らかにしたとは、既に知られている主というお名前の他の、新しい名称を知らせた、というようなことではなく、神様とはどんなお方であるかをイエス様がお知らせくださった、ということです。イエス様は、
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。だれでも、わたしを通ってでなければ、父のみもとに行くことはできません。」[1]
と仰いました。ですからイエス様は、天の父への道を開いて、ハッキリと神様が見えるようにしてくださるお方なのです。
しかし、その知識は、弟子たちだけが知ったものなのでしょうか。ここでイエス様は、
「わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に」
と仰っています。けれども、イエス様はこの福音書の前半で、散々、弟子以外の人々にも奇跡を現し、その意味を説き明かし、神様のことをお知らせくださっていたはずです。ところが、その人々はイエス様の、奇跡は喜びはしたものの、その意味、イエス様のメッセージには憤慨したり、拒絶したりして、イエス様から離れ去り、あるいは、イエス様を殺す作戦を練ったりしたのでした。イエス様がいくら神様の御名をありとあらゆる方法で明らかに示してくださっても、人間はそれを否定したり、憤慨したり、都合よく揉み消そうとするものです。「神がいるなら見せてくれ。そうしたら信じるから」というような人は、会えば自分の物の見方も人生も180度変えなければならなくなるようなお方と会いたくない自分が分かっていないのです。
ですから、御名を明らかにしていただくためには、知識を知らせるだけでなく、それを受け取ることが出来るように、心をも新しくしてくださらなければなりません。イエス様はそれを弟子たちになさって、父の御名を彼らに対して明らかにし、受け取らせてくださったのです。そこで
「 7いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。」
とあるのは現在形ではなく、完了形で述べられています。ある時に決定的に知って、それ以来、その影響がずっと変えられて戻ることがない、というニュアンスです。それは、イエス様が明らかにしてくださった時以来の、決定的な影響だ、という意味で、もう知っている、強い言い方をするなら、もう知ってしまっている、というのです。
「 8それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。」
これは、分かったようでよく分からない文章ではないでしょうか。イエス様が、父なる神様からいただいた御言葉を、弟子達に与えられて、弟子達はその御言葉を受け入れて、イエス様が父から来られたことを知り、父から遣わされたことを信じました。そういうわけで、父がイエス様に与えられたものがみな、父から出ていることが分かっているのだ、というのです[2]。
父から与えられた御言葉[3]が、余すところなく弟子達に与えられ、弟子達がそれを受け入れた結果が、父のことを知る、というよりも、イエス様が父から出て来たことを知り、父がイエス様を遣わされたことを信じました、というのです。これは、不思議な、しかし、とても大切な繋がりです。
「あなたがわたしを遣わされたことを」
というフレーズは、この「大祭司の祈り」で五回も使われています[4]。イエス様が父から遣わされた方である、という事実と告白は決定的です。3節でも、
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」
とさえ言われていたのです。イエス様が父から遣わされた方であると知り、信じる信仰なくして、ただ神様を知るとか、分かる、ということはないのです。父が与えられた御言葉とは、イエス様に対する信仰、父から来られた神なるお方、父が遣わされた唯一の主としてのイエス様を信じることを目的としているのです。これぬきに、神様の愛だとか、神様の御心を占うとか、イエス様は立派な人格者だとかいくら言っても、それは筋違いなのです。
このことを踏まえると、もう一つの事が分かります。6節で、
「彼らはあなたのみことばを守りました。」
とあります。信じました、知っています、と言われています。けれども、その信仰や知識がどれほど的外れなものであったかは、先の十六章の結びでも明らかだったではありませんか。他の福音書によれば、この最後の晩餐の席でなお、誰が一番偉いかと背伸びをし合っていた道化ぶりでした。そして、イエス様は、
「あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています」[5]
とさえ仰っていたのです。その彼らを評して、信じた、受け入れた、そればかりか、御言葉を守りましたとさえ言われるのは、言い過ぎではないでしょうか。これを聞いていた当の弟子達でさえ、流石に耳を赤くしたのではないでしょうか。
ですから、イエス様が仰るのは、その言葉の一つ一つをきっちりと守るとか間違いのない信仰を持つ、というようなことではありません。イエス様を受け入れての人格的な関係、絆に入れられた、ということで十分と見なされているのです。それがどれほど人の目には覚束無く、不十分であろうとも、イエス様との絆がある、という事実が大事なのです。私たちが失敗をしたり、罪を犯したりしたとしてさえも、そこで悔い改めて、主の民としての回復をいただけたらよいのです。
主が私たちとの間に与えてくださった、救いの契約は、当然のことながら、私たちが主に対して忠実であることを内容としています。しかし、私たちが正しく、忠実に歩むことを、前提とか条件としているのではありません。むしろ、ソロモンが神殿奉献に際しての祈りで祈った通り、
「罪を犯さない人はひとりもいない」[6]
ということを前提としています。そして、罪を犯したから契約が破棄される、というのではありませんし、契約を破った罰則として、滅びや天罰が下される、というのでもないのです。罪を犯した場合には、その罪を悔い改めるようにと導いてくださる。そのために、必要ならば厳しく懲らしめもなさる。そして、どんなに遅れて、遠くの地にまで追いやられてようやくそこで悔い改めたとしたら、そこから祈りを聞いて、回復を与えてくださる、そういう契約なのです[7]。
こういう主との絆に入れていただいているゆえに、この弟子達は、御言葉を守ったと言われ、私たちも主の民と呼ばれています。小さな信仰です。明日にも背くかも知れないものです。けれども、主イエス・キリストを慕っています。神なるお方が、父に遣わされて、私たちのところに来てくださった。父の家に私たちを導いてくださる、と約束し、私たちの足を洗ってくださった。このことを信じて、受け入れています。この絆こそが、イエス様が父の御名を私たちに明らかにしてくださったということなのです。
「私共が世から取り出されてイエス様に与えられたという、その確かさの中で今ここにあることを感謝します。貧しい私共のこともまた、あなた様が歓びをもって天の父に、誇りさえもって報告してくださっている、その声を聞かせていただきます。その愛を知ってしまった者として、主を仰ぎつつ、恵みに根差して、この週も歩ませてください」
[4] 8節、18節、21節、23節、25節。