毎月・研修エッセイ 

2004年 1月号

ごじょうごりん五常五倫
徳目は仁義礼智信の五常。五倫とは、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の、親・義・別・序・信をいう。ひとの縁による道で、父子は親しみ、君臣は義を重んじ、夫婦は別、つまり分け合い、長幼は序を守り、朋友は信じあうこと。また五常は、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝、の五典と同義である。現代においても倫理道徳の基礎にある思想である。 
 これらは江戸時代に日本人の心に深く浸透した。当時の学問といえば、読み書きそして庶民においては算盤である。また各階層において心の学問、すなわち物の見方考え方を学んだ。中心となるのは儒教。武士階級では、中国の宋代にしゅき朱熹がおこした朱子学が官学となる。朱子学は人間の欲望を抑え理想に傾きがちであった。
 空理空論の弱点を補ったのが陽明学。中国、明代の王陽明が唱え、心即理を根本におく。「ちこうごういつ知行合一」説は、知識と行動は一体のものであるとし、幕末の志士らに影響を与えた。思想家としては、中江藤樹や熊沢蕃山がいる。知られていないのは「ちりょうち致良知」説である。「良知」は孟子が道徳的判断力として使った言葉だが、王陽明はそれを発展させ「天理」とした。天理である良知の発揮が「致良知」なのだ。「天誅」という行動概念はここから起こったに違いない。
 自由な人間性を肯定する学問がおき、国学が中期から後期へかけて盛んになる。「万葉集」や「古事記」を通じて、古代の人々が天皇を尊重し「もののあわれ」を解する理想的な人たちとする。契沖、賀茂真淵、本居宣長がいる。
 町人武士大名にまで影響を与えたのが、石門心学。石田梅岩が「都鄙問答」を著した。名は興長、通称は勘平、号は梅岩。儒仏神の思想を取り入れて、町人の日常を基礎に自己修養を体系化した。ひとの生きる道、士農工商のそれぞれの道、乞食の道まで言及している。人のものを盗まないことが乞食道だという。論語を引き「君子は困窮しても道を守る。小人は困窮すれば道をはずれる」と説く。儒教圏のひとが不法に入国し、集団でスリや窃盗を働いているが、聞かせてやりたい話だ。
 商人には正しい道がある。欲深く貪ることを努めとしているが、道を知らない商人だ。貪れば家を滅ぼす。いまでいえば会社を滅ばすといえよう。商人の道は、倹約、勤勉、蓄財。欲を離れ仁を心がけ正しい道に適えば栄えることができると教えた。明治維新後、徳川慶喜が、後嗣の家達に、法学や商学は枝葉の学問で、心を修める学問に力を入れよと諭した。奇跡に近いほど内乱を少なく新しい国家に導いた政治家の言である。